ソトブログ

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日々のレッスン #010――それでコガラが去ると、どこかからアジサシ類がやってきて、「なすがままに、なすがままに。」と聴こえるように鳴いて飛び去っていった。

写真はセグロカモメ(2020.2、和歌山県某所・漁港)

 

 それでわたしは山に登りながら――あれは下りだったか、コガラの群れに出会ったことを忘れていた。久しぶりの山で体力が不安で、荷物を減らしてカメラも双眼鏡も持って行かなかった。ジジジ、と地鳴きらしい鳴き声が方々から聴こえてきて、そのうちの一羽はわたしの目の前の横枝に止まった。ツツピー、のシジュウカラやツピンツピンのヒガラとは異なるさえずり。あとで確認した図鑑には、「ツチョツチョツチョ」と書かれているその声を聴いた気がするし、それら他のカラ類とは違って喉の黒いネクタイ模様はなくて、喉からお腹にかけて白いコガラの姿態はとりわけつつましく、かわいらしく思えるわたしの感性は安易というかステレオタイプだけれど、ひとりの記憶だからか、帰ってからカズヒコに、
「コガラみた、T山で。」と言ったら、
「コガラ?」と疑問形で返されたときにもう自信がなくなっていた。T山で声だけじゃなくちゃんと姿を見たのが初めてだったから、というのもあるけれど。T山に登り始めて夏のブランクを除いて半年、それも月一回くらいのハイクでその場所で会いたい鳥に全部会えるなんて思うほどわたしは野暮じゃないけれど、コガラくらいでも――「くらい」なんて言いかたはコガラに失礼なのは承知だれどこれ以上、エクスキューズを重ねていたらこのメモの文章もわたしの脳内もコンランしてしまう――、カズヒコの野鳥脳がなければ確信をもって観察できていないのは我ながら情けない、と思う。野鳥の会の会員の名が廃る。


 それでコガラが去ると、どこかからカモメがやってきて――これも違った、アジサシ類がやってきて、
「なすがままに、なすがままに。」
 と聴こえるように鳴いて飛び去っていった、というのがわたしがカズヒコにその日そのあと喋ったことだが、
「山にアジサシいないじゃん。」と一蹴された。
「通っていったんだよ。」
「ウソとか冗談ならせめてホトトギスみたいなトケン類にしとけばいいのに。それか『気がつくといきなり目の前をヤマドリが歩き去った。』とかさ。」
 というカズヒコの言い分にも彼の願望が入っているのがおかしかった

 

 表紙の写真は、初代『ケンブリッジ・サーカス』と同じく、木原千佳さんがリバプールの街角で撮った写真である。「あの標識にとまっているカモメが飛び立つところを撮りたい」と木原さんが言って、みんなで固唾を吞んでカモメの飛翔を待ち、やがてカモメがふわっと飛び上がって、すかさず木原さんがシャッターを押して全員が喝采した、あの瞬間の爽快さはいまも覚えている。人生のたいていのことがああいうふうに上手く行けばいいのにな、とときどき思う。

 

柴田元幸『ケンブリッジ・サーカス』(新潮文庫、2018年)「文庫版あとがき」より。

 

シリーズ「日々のレッスン」について

日々のレッスン」は、フィクションと日記のあわいにあるテキストとして、不定期連載していくシリーズです(できれば日記のように、デイリーに近いかたちで続けていけたら、と考えています)。また、それにApple Musicから選曲した<野鳥音楽>プレイリストを添えた「日々のレッスン ft. Bird Songs in Apple Music」を、月1、2回のペースで更新しています。

 

【日々のレッスン・バックナンバー】

 

【本連載「日々のレッスン」の前作に当たる拙著・小説集『踊る回る鳥みたいに』、AmazonSTORESリアル店舗にて発売中です。】

日々のレッスン #009――「読み返したい本」のどこかのページを開き、書き写すのだ。できればノートに、手で(ペンで)。あるいはポメラでも、PCでも構わない。

 

 サブスクリプション・サーヴィスの動画をひたすらザッピングして結局、アン・ハサウェイの『ブルックリンの恋人たち』(2014年)を観返していた――何度も読み返したくなる本があり、いくらでも観返したくなる映画がある。そんなにたくさんはない。たぶん三桁はいかない。実際に読み返す、観返すものはもっと少ないか――続けてDVDで持っている、ジョナサン・デミ、2008年監督作の『レイチェルの結婚』。こちらも主演はアン・ハサウェイ。ジョナサン・デミは『ブルックリンの恋人たち』にも製作として名を連ねている。そういえば両作、雰囲気がよく似ている。物語や構成よりも、音楽や景色、世界が前面に出ている。レイヤーの順序がふつうとは違うみたいに。

 

 もちろんわたしはアン・ハサウェイに移入している、それが正しい観かただからだ(わたしにとってはそうだ、とわたしが信じているからだ)。
 何度も観返そうとして、読み返そうとして、いつも途中になってしまうモノも多い。だから物語の序盤だけに、妙に思い入れている作品が少なくない。どころか、(これはたぶん本だけだが)一度も読み通したことがなく、何度もなんども前半部、序盤、どうかすると序文や「まえがき」ばかり何度も読んでいる本がある。

 

 下手なカウンセラーもどきや宗教家もどきなら、
「あなたはいつも、人生をやり直したいのです。」「若返り願望の代償行為です。」「そんなことは無益です。」「なすがままに、なすがままに。」
 なんて言うだろうか? 通勤のクルマのなかでひとり沈思黙考していると、こんなふうにくだらない考えが浮かんでしまった。
 こんなとき、本より映画にアドヴァンテージがあるのは、映画は「画(え)」を思い出す、想いうかべることができるところだ。本は映画でいうひとまとまりのシークエンスくらいの分量=「文量」を、そのまま記憶できない。持ち運んで脳内で再生できない。小説ならまだ、映像に置き換えて思い出せるけれど、映像に置き換えたものはもとの小説ではない。人文書や科学系の読み物、評論・論文ならなおさらだ。

 

 だからこんな気分に陥ったらわたしは家に着いてすぐ本を開き、どれでも付箋をたくさん貼っている「読み返したい本」のどこかのページを開き、気持ちにいくらか余裕があるなら、付箋を貼ったそこを書き写すのだ。できればノートに、手で(ペンで)。あるいはポメラでも、PCでも構わない。書き写すことが重要だ。コピペじゃだめだ。わたしが下手な宗教家なら必ず、写経をさせるだろう。
 こんな話は誰にもしたことがないけれど、しおりさんならどんな顔をして、何ていうだろう? あるいは妹なら?
 ――そう思いながら書き写した、こんなふうに。

 

 私たちは自分の色や柄の好みを完全に説明し尽くすことができないし、まして好みを自分の意志でガラリと入れ替えることもできない。私が「私」と思っているものは、私の意志によって操作できないものの集合体なのだ。私は私の意志によってでない何かによっていつの間にか私が心地好いと感じるようになった音楽や風景に接することで、気持ちを和らげたりしているだけで、この一連の過程で私が主体的に関わることができているのは、特定の音楽や風景を選び出すという行為ぐらいのものだ。――このことをまず前提として理解しておいていただきたい。ただし、前もってことわっておくが、ここから私は「だから人間なんて小さなものだ」というようなネガティヴな議論をはじめるつもりは毛頭ない。私が考えようとしていることは、むしろそれゆえに人間が自由になれる可能性があるということだ。本章を含めてこの本の残り四章は、すべて〝人間の肯定〟〝人間の自由〟〝生と死のいまとは違った理解の可能性〟を目指して書いていくつもりだ。

 

保坂和志『世界を肯定する哲学』(ちくま新書、2001年)より

 

【本文中で言及した映画作品】

ブルックリンの恋人たち』Song One(2014年、監督・脚本/ケイト・バーカー=フロイランド)。アン・ハサウェイ好きのわたしの値踏みを割り引いても、下記『レイチェルの結婚』と並び、彼女の主演作でも最も好きな作品のひとつ。90分に満たない作品でテンションの低いストーリーなのに、音楽やブルックリンの街がひたすら魅力的。

 

レイチェルの結婚 CE [DVD]

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  • デプラ・ウインガー
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レイチェルの結婚』Rachel Getting Married(2008年、監督/ジョナサン・デミ)。アン・ハサウェイは本作で第81回アカデミー賞主演女優賞ノミネート。

 

シリーズ「日々のレッスン」について

日々のレッスン」は、フィクションと日記のあわいにあるテキストとして、不定期連載していくシリーズです(できれば日記のように、デイリーに近いかたちで続けていけたら、と考えています)。また、それにApple Musicから選曲した<野鳥音楽>プレイリストを添えた「日々のレッスン ft. Bird Songs in Apple Music」を、月1、2回のペースで更新しています。

 

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【本連載「日々のレッスン」の前作に当たる拙著・小説集『踊る回る鳥みたいに』、AmazonSTORESリアル店舗にて発売中です。】

日々のレッスン #008――「喋らない人間」だから。

 

 邪道も邪道だと思うけれど、わたしの耳にはイヤフォンが入っている。夏を挟んで、四ヶ月ぶりの山登り。「山登り」といってもわたしが登るのはいつもこのT山、標高六〇六メートル。いつもひとりで。たまにカズヒコと。
 ソロハイクといえば聞こえはいいが、山を歩きながらわたしはポッドキャストで人のお喋りを聴いている。今日はお喋りというより、『メディアの終わりの人類史』という哲学者による講義みたいなものだ。

 

 わたしは『水曜どうでしょう』というテレビ番組が好きだ。あの最高にくだらない、エクセルシオールに面白い番組を臨床心理士で大学の先生の著者が分析した、『結局、どうして面白いのか』という本があって、それがまた最高に面白いのだが、その本に書いてある通り、『どうでしょう』の面白さを見ていない人に伝えるのは難しい。
 しかしそのことに、この本自体は成功しているのであって、『結局』はすごい本だ。ぜひみんなに読んで欲しい。みんな、って誰だっけ?

 

 わたしがポッドキャストのような(ラジオのこともある)他人のお喋りを聴きながら山に登るのは――身体とアタマを切り離すことで、身体の疲れを吹き飛ばせるという面もあるが――、わたし自身が、「喋らない人間」だからだ。
 L・M・Tなんていってハジメちゃん、しおりさんと月一、二回くらい集まってお喋りしているけれど、わたしは思っている三分の一も喋っていない自信がある。三分の一、というのは具体的・定量的なものではなくて感覚的なもの、単なる実感だ。
 わたしは友人のSSWのバニーくん(バニー・ウェイラーから拝借した二ツ名らしい)に訊いてみたいのは、
「さァ、曲を作るぞ。」
 といって自室やスタジオに籠って曲を作るのではなくて、何にもないとき、わたしがこうして山に登っているときみたいに、別のことをしているときに、ふと。という感じで曲が、その一部分やメロディーやコード、気の利いたリフみたいなものが思い浮かぶ、なんてことがあるかどうか? ということだ。


 わたしは山を登りながら人の会話を聴いていると、「話したい」ことがアタマに浮かんでは消えていく、あるいはコップに水が溜まるみたいにして増えていき、やがてこぼれていく。そのなかに、すごく話したかったはずのこともあるけれど、忘れてしまったものは、「そういうものだ」と思うしかない、山頂に辿り着いて、適当に座り込んだらすぐにノートを開き、まだコップに残っていることどもを書きつけている。それでも話せることは三分の一だ。
 だからこんなふうに、わたしはそれを搔き集めてまとまった文章を書くようになった。以来、「みんなに読んで欲しい」なんてそんなアテはないのに、思うようになったのだ。

 

 しかし、何だかわからないが面白いということになると、それを理解して忘れ去ってしまうことができない。いわば、わからないものは消費することができないのです。そして「水曜どうでしょう」は、「わかりにくい」ということがわかりにくく作られています。そうすることで、とてもわかりやすいことをやっているように見えるのです。
(中略)
 このように、何かとかかわりを持ち続けるためには、そのことに対して「わからない」ということが一つの原動力になるのです。しかし、われわれは一方で「わからない」という状態がとても苦手です。わからないものをそれと知りつつ抱え続けることは苦痛を伴います。しかし、「水曜どうでしょう」では「わかりにくい」ということそれ自体がわかりにくく、一見わかりやすく感じられるので、この「わかりにくいもの」と負荷なくつきあうことができるのではないでしょうか。


佐々木玲仁『結局、どうして面白いのか 「水曜どうでしょう」のしくみ』(フィルムアート社)

 

シリーズ「日々のレッスン」について

日々のレッスン」は、フィクションと日記のあわいにあるテキストとして、不定期連載していくシリーズです(できれば日記のように、デイリーに近いかたちで続けていけたら、と考えています)。また、それにApple Musicから選曲した<野鳥音楽>プレイリストを添えた「日々のレッスン ft. Bird Songs in Apple Music」を、月1、2回のペースで更新しています。

 

【日々のレッスン・バックナンバー】

 

【本連載「日々のレッスン」の前作に当たる拙著・小説集『踊る回る鳥みたいに』、AmazonSTORESリアル店舗にて発売中です。】

野鳥/映画/登山/アロマテラピー/そして日常――そんな小説集『踊る回る鳥みたいに』、リアル店舗展開中です。【書店編】

 

 当ブログでの連載に加筆・修正し書下ろし短編を加えた小説集、拙著『踊る回る鳥みたいに』。本書は、Amazonのセルフ出版サーヴィス「KDP=Kindle Direct Publishing」で制作・販売している作品です。
 とはいえ、わたしの暮らす南紀・和歌山を主な舞台(モデル)にしていることもあって、「地元の人に読んでもらいたい、そして和歌山に旅に来られた方に、和歌山だけで買える本として、手に取ってもらいたい――。

 

 出版後、そんな思いが芽生え、<書下ろしエッセイを掲載した小冊子を付録にした特別ヴァージョン>を作成し、紀南を始め和歌山県内の書店やショップでのお取り扱いをお願いして、ありがたいことに、徐々に取り扱い店舗も増えて来ました。今回はその、書店編。和歌山県の、北から南へ順番に、紹介いたします。どちらも本当に素敵な、わたし自身、大好きな書店さんです。

 

<紀北>海南市「OLD FACTORY BOOKS」

 

【OLD FACTORY BOOKS】ウェブサイト:https://teruakisukeno.jp/


 和歌山市の南に隣接する海辺の街、海南市。こちらは古くから工芸、とりわけ漆器の街として知られているのですが、「OLD FACTORY BOOKS」さんはその名の通り、昭和2年建造の「旧田島うるし工場」の建物を改装して運営されています。文化庁の登録有形文化財である建屋は赤レンガの内壁も非常に風情があり、クルマでは入りにくい細い路地のなかにあることもあって、まさに「ここにしかない場所」。

 

 店主はパートナーであるイラストレーター/絵本作家のすけのあずささん(左記リンクはすけのあずささんのnoteへ)とともに2年間の世界一周新婚旅行(訪れた国計50ヶ国!)をされたという助野彰昭さん。京都での学生時代足繫く通われたという、あの「遊べる本屋」ヴィレッジヴァンガード*1に強く影響されたと仰っていましたが、そんな読書体験と、ご自身の世界観のミックスされた選書・蔵書が魅力的な新刊/古書店です。

 

うみのハナ

うみのハナ

Amazon

すけのあずささんの絵本『うみのハナ』


 こちらでは自作のポップを書かせていただきました。わたしの手書き文字が下手過ぎて、読みづらい(読めない?)可能性もありますので、こちらに再掲させていただきます。

 

ひとりの女性、そのまわりの友人、家族――彼ら、彼女たちがわたしたちと同じように生きて、日々を過ごしている。本を閉じたあとも……。そのことだけを考えて、書いた小説です。音楽や映画やアロマテラピー、野球、小説。そのどれかが好きなら、あるいはそうじゃなくても、「いまここ」に暮らしているあなたなら、きっと愉しめる。そんな想いで届けたい、そう思っています。/著者・津森ソト

 

※OLD FACTORY BOOKSさんで書かせていただいた手書きポップより。

 

 

店舗情報:OLD FACTORY BOOKS(オールド・ファクトリー・ブックス)
https://teruakisukeno.jp/
和歌山県海南市船尾166

Open/金16:00~21:00、土10:00~17:00 
※詳細等は上記OLD FACTORY BOOKSさんのウェブサイトをご確認下さい。

 

<紀南>白浜町「ivory books」

 

【ivory books】ウェブサイト:https://ivorybooks.jp/


ivory books」さんは、初めて拙著『踊る回る鳥みたいに』の取り扱いを快諾して下さった書店さんとして、先日紹介させていただきましたが、こちらも元々は銀行だったという白壁の美しい建物をリノベーションされたお店。店主の中村美帆子さんは、拙著を個人的にもご購入下さり、その読後感を素敵な帯文&イラストにしていただきました。美帆子さんオリジナルの帯付き『踊る回る鳥みたいに』は、こちらでのみ購入できます。

 

 「ivory books」さんのInstagramでご紹介いただいた際のテキスト(下記参照)も感無量&我が意を得たりで、わたしが読書にまつわるポッドキャストを始めるきっかけにもなりました。

 

 
 
 
 
 
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店舗情報:ivory books(アイボリー・ブックス)
https://ivorybooks.jp/
和歌山県西牟婁郡白浜町1111-34御幸ビルディング1F
Open/11:00~16:00
Close/日・月・祝日
※詳細等は上記ivory booksさんのウェブサイトをご確認下さい。

 

<紀南>那智勝浦町「らくだ舎」

 

【らくだ舎】ウェブサイト:https://rakudasha.com/


 和歌山県那智勝浦町旧色川村という、那智勝浦の海辺の市街地からもクルマで30~40分ほど山道を登った里山にある、こちらもサイトスペシフィックな書店「らくだ舎」さん。というか、書店でもあり、オリジナルブレンドやシングルオリジンのコーヒー、地元産のお茶や自家製ジンジャーエールにサンドイッチ、鹿肉ハヤシライス(土曜日のみ)も愉しめる<喫茶室>、そして地元で暮らす皆さんに長年愛されてきたという地域のお店<色川よろず屋>も併設されています。

 

併設の「色川よろず屋」さんでは、野菜やお茶など、地域の産品も販売されています。


 書店でありながら、自由に本を読んで、借りることもできる<図書室>(販売の書籍とは別。寄贈もできます)や“自分のおすすめの本を1冊持ってきてもらうと、置いてある誰かのおすすめ本を1冊持ち帰ることができる。”という<本の交換所>があったり。さらにはおいしいもの付きの手紙=<おいしい手紙(左記リンクはらくだ舎さんのサイト内<おいしい手紙>へ)というプロジェクトや、「ひと・農・食・地域・暮らし」にまつわる編集・ライティングをも手掛けていらっしゃる店主の千葉智史・貴子ご夫妻。


 人口300人ほどの色川地区の半数ほどが新規定住者という、移住者が多い山里で、自らも移住者としてサスティナブルな暮らしを模索し活動されている千葉ご夫妻の――野鳥たちの声がそこかしこの山々や川から聴こえてくる色川地区の書店に、わたしの本がひっそりと並べられている。そのことを、心から嬉しく思います。

 

 

店舗情報:らくだ舎/らくだ舎喫茶室
https://rakudasha.com/
和歌山県那智勝浦町口色川742-2
Open/木・金・土: AM10:00~PM5:30
※「色川よろず屋」は、Open/水: PM12:00~PM5:30
※詳細等は上記らくだ舎さんのウェブサイトをご確認下さい。

 

和歌山にお越しの際はぜひ、上記の書店さんへ!

 

 リアル店舗での販売は、すべて、<野鳥文学>の目線で文学作品を紹介するミニ・エッセイ「<野鳥文学>の世界へようこそ」とその表紙代わりの野鳥写真ポストカードを付録として、850円(税込)で販売しています。どうぞよろしくお願いします。
 また、同ヴァージョンはわたし自身のオリジナル・ストア「Soto Refreshment Books」(STORES)でも通販していますが、こちらは850円+送料150円となります。和歌山にお越しの際はぜひ、リアル店舗で実物を見て、お買い上げいただきますようお願いします。どちらも個性的で素敵な書店さんばかりです。

 

 ※次回は拙著『踊る回る鳥みたいに』を取り扱って下さっている、書店以外のお店をご紹介します。

 

*1:(※実はわたしも、大学生だった1999年~2001年頃、神戸のヴィレッジヴァンガードでアルバイトをしていまして、お店にお伺いした際、助野さんとはVV話をたくさんさせていただきました。)

ポッドキャスト、始めました。読書/本読みの愉しさに色んな角度から光を当てるラジオ「ア・ピース・オブ・読書」配信中です。

 

anchor.fm

第1回 小説は、どこから読み始めて、どこで読み終わってもいいもの? by ア・ピース・オブ・読書

 

「元から読まない人」「昔は読んでいたけど、今は読まない人」にも聴いて欲しい。そんなポッドキャスト番組、始めました。

 

 いまどきはそうでもないかもしれないな、ということを念頭に置きつつ言うのですが、わたしは「書く人間」にありがちな、「話すこと」が苦手な性質(たち)で、だからこそこういう文章や、あるいは小説まで求められもしないのに書いて自分で出版するような人間なのですが、それでも、
「自分でもやってみたいな」
 と思っていたことのひとつが、ポッドキャスト/音声配信でした。それで今回、配信を開始したのが上記の「ア・ピース・オブ・読書」です。

 

 これは色々な書物を読んできて、あるいは様々な経験則から得た現時点での結論ですが、「小説を読むのにも書くのにも、前提となる知識は必要ない。書かれている/書こうとする、その言語の読み書きさえできればいい。
 とわたしは思っています。なので、今回開始したポッドキャストは読書にまつわるもの、番組の概要欄をそのまま掲載すれば、

 

多様な読書の方法、本読みの「かけら」をご紹介するYoutubeラジオ/Podcast番組。小説家/ブロガー/フィッシュマンズナイト大阪DJ/日本野鳥の会会員の津森ソトが、盟友のミュージシャン・スギーリトルバードを聞き手に、2人の対話を通して、読書の愉しみ方をあらゆる角度から探り語り合う、トークセッション。

 

「ア・ピース・オブ・読書」番組説明文より。

 

 ――という趣旨のものなのですが、こんなゴタクは読むのにも書くのにも、ほんとうは必要ないものなんです。けれど、わざわざ苦手な「喋る」ことを使って「読むこと」について言及する/探求する、というコンテンツを始めたのは、本、書籍というメディア/コンテンツが、もっともっと、「元から読まない人」「昔は読んでいたけど、今は読まない人」にも届いて欲しいな、と思った、というのが理由としてあります。

 

 わたし自身はリーダブルな文章よりも、ちょっと読んでいて引っ掛かりのあるような、ゴツゴツした、取っつきにくさのあるテキストが好きだったりするのですが、わたし自身の書いた小説『踊る回る鳥みたいに』は、わたし自身にも、読んでくださった方々にいただいた感想でも――なかにはふだん小説をあまり読まない方もいます――、

「読み易い」「すらすらアタマに入ってくる」

 というものが意外と多くて、わたしには「取っつきにくいが読みたくなる」テキストを書ける実力がない、とも言えるのですが、このことによって、わたしのようなちっぽけな書き手にとっても(いわんや過去の膨大なマスターピース群や、現在進行形の優れた作家たちをや)、本というものが、「まだ見ぬ読者」に届く可能性がけっこう意外と無限に(は言い過ぎかもしれないけど)あるんだな、と思えたことも、音声メディアという本とは違った方法を使ってみたい、と発想する契機になりました。

 

小説は、どこから読み始めて、どこで読み終わってもいいもの?

 

 ――というわけで、第1回のテーマは、

小説は、どこから読み始めて、どこで読み終わってもいいもの?

 です。これも番組の初回の説明文から転載しますが、こんな内容です。

 

 本は、とりわけ小説は、最初から最後まで、ちゃんと読まなくちゃ。そんな固定観念が小説を読む楽しさを狭めてしまってはいないか? 「どこから読み始めて、どこで読み終わってもいいもの」と考えることで、読書そのものの愉快さも、読める本、読もうと思う本、新しい/面白い本に出逢う可能性を広げてくれるんじゃないか? ――津森ソトがそんな考えのもと、自作や「どこから読んでも愉しい」名作小説を紹介しつつ、「本は最初から最後まで完走する派」のスギ―リトルバードと語り合います。

 

「ア・ピース・オブ・読書」第1回配信の内容紹介より抜粋。

 

「小説は、どこから読み始めて、どこで読み終わってもいいもの」という宣言の趣旨/本懐については、実際にポッドキャストを聴いてみて下さい。


 ここに書いた通り、今回のポッドキャストはメインスピーカーであるわたしとともに(といっても初回はZoom越しでしたが)、聞き手/相方として、長年の盟友(とわたしが勝手に思い、私淑している、というかいちファン。)であるミュージシャン、スギーリトルバードさんに出演していただいています。
 初回はわたしの話しっぷりが硬くて、話したいことをとにかくちゃんと話す、ということに注力し過ぎてトークセッション/語り合いにいまいち、なっていませんが、目の前に受け手がいてくれる、というのはふだん表現方法として書くこと――ブログでも小説でも同じことですが――を選択している人間にとって、とても嬉しいことなのです。そしてスギ―さんはライブ経験豊富なミュージシャンであって、そうしたダイレクトな反応が発信者にとってどれだけ大きな意味を持つのか、を深く理解されている方だと思います。何より長年の友人で、音楽、映画や小説といった趣味も、被り過ぎない範囲で、共通体験をシェアしているわたしにとって数少ない同世代の人でもあるので、今回、彼に聞き手を務めていただくことをお願いしました。OP、ED曲も彼のソロ作、「ソングバードEP」から2曲のインストを使用させていただきました。

 

 ――スギ―氏にはどれだけ感謝してもし足りないくらいなのでちょっと文章のバランスがおかしくなりましたが、ポッドキャスト/YouTube(音声のみ)番組「ア・ピース・オブ・読書」は、今後とも、本の愉しみ方を広げることに役立つ、実用的な内容や駄話を織り交ぜて、配信していきたいと考えています。どうぞよろしくお願いします。

 

【現時点(2022/9/22現在)の配信先はこちら。】

Anchor|第1回 小説は、どこから読み始めて、どこで読み終わってもいいもの? by ア・ピース・オブ・読書

Spotify|第1回 小説は、どこから読み始めて、どこで読み終わってもいいもの? - ア・ピース・オブ・読書 | Podcast on Spotify

YouTube(音声のみ)|「小説は、どこから読み始めて、どこで読み終わってもいいもの?」ア・ピース・オブ・読書 Vol.001 - YouTube

※今後、Appleポッドキャスト/Googleポッドキャストなどでも配信できるよう、調整中です。

 

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ブックレビュー“読む探鳥”:黒川創『かもめの日』/チェーホフ『かもめ』/宮沢章夫『チェーホフの戦争』――「ヤー・チャイカ(わたしはかもめ)」という声が繋ぐ、120年の過去・現在・未来。

ワレンチナ・テレシコワの「ヤー・チャイカ(わたしはかもめ)」。

 

 時は20世紀。米ソの宇宙開発競争の渦中、「女性初」の宇宙飛行士として脚光を浴びたワレンチナ・テレシコワの地上への交信の第一声。
ヤー・チャイカ(わたしはかもめ)
 ――というそれが、19世紀ロシアの文豪・チェーホフの戯曲『かもめ』のヒロイン、ニーナが劇中で何度も叫ぶセリフと同じであることは、よく知られています。

 

「チャイカ=かもめ」はテレシコワのコードネームであり、交信に際して「ヤー・チャイカ(わたしはかもめ)」と発するのは当然といえば当然であって、しかも当時のソ連の宇宙飛行士たち――他は全て男性――のコードネームは、「ワシ」「タカ」「イヌワシ」「オオタカ」など、全て鳥の名前。「かもめ」もそのひとつに過ぎないという。しかし、本当にそうなのか? 勇ましい猛禽類の名が並ぶなか、ただひとりの女性飛行士であったテレシコワのコードネームが「かもめ」であったのは、「かもめ」が女性名詞であるということもさりながら、当時のソ連の宇宙開発に関わる、おそらくはチェーホフのファンであった当局の意思決定に関わる人物が、意図して『かもめ』の悲劇のヒロイン、ニーナに由来させていたのではないか――?

 

 

 そんな発想から始まる黒川創の小説『かもめの日』のストーリーは、テレシコワが70時間50分で地球を48周まわった1963年6月から急転直下、現代の東京(本書の上梓は2008年)へ時空を超えて着陸し、展開します。
 群像劇の形式を採った『かもめの日』は、<主人公>と呼ぶべき複数の人物たちのある一日を並行して追いかけながら、それらがゆるやかに繋がっていくさまを描き出していきます。
 彼ら・彼女らは例えば、妻に事故で先立たれたばかりの作家であり、亡くなった女性と恋愛(不倫)関係にあった、くだんの作家の親友であり、14歳で男たちにさらわれてレイプされ、復讐を誓う19歳の女性であり、偶然の出会いから彼女を助けようとする地球物理学者の青年であり、かつて凶行を犯した、仕事と生活に疲れ切ったラジオ局のADの青年、といった人たち。

 

 ――こんなふうに小説内の事実だけを列挙してみれば、どれも悲劇のようにしか思えないけれど、チェーホフの『かもめ』がそうであるように、彼らを同列に、一見同じようなバランスで描くことで、(そしてこれも『かもめ』と同じだけれど、劇的な出来事が小説内で次々に起こる、というのとは真逆の静かな物語だけれど、それでも)物語が展開すればするほど、逆説的に喜劇的な印象を帯びていきます。それはちょうど、チェーホフが『かもめ』に、「四幕の喜劇」と正式に付しているのと相似形をなしています。

 

たった一冊の本、そこにあるたったひとことのセリフが、わたしの人生を肯定してくれる。

 

 そして「小説」の<主人公>とは、小説を一度でも読んだことがある人なら誰でも知っているように――、あるいは映画でも演劇でもテレビドラマでも絵本でもいいけれど、そしてもちろん、実人生でもいいけれど、人間のドラマを知っているひとなら誰でも知っているように――、わたしたち自身の似姿でもあります。
「わたしたち一人ひとりは、わたしの人生の主人公」
 そんな気恥ずかしくて口には出せないことばはでも、わたしたち一人ひとりにとって真実であることは確かです。

 

「わたしの人生がこうなっていること」の要因はきっとわたしに帰属すべきものだけれど、いまここにある「世界」がこうであることは、わたしのせいだなんて思わなくていい――。そんなこと、ほとんどの人にとっては当たり前かもしれないけれど、わたし(いまこの文章を書いているわたし)は、人生の半ばにさしかかるこの歳(44歳)まで、それを混同していたかもしれません。それに、「いまここ」のこの世界を見渡せば、「世界がこうであること」は、ちゃんとわたしに、文学的な意味じゃなくて生活レベルで影響しているのを実感します。パンデミックも戦争も、要人を撃った凶弾も、その遠因にある教団も政党も。しかし世界がこうであることの正当性はこの世界では、証明され得ません。
 そのことはもしかしたら悲劇かもしれないけれども、チェーホフの『かもめ』も黒川創『かもめの日』も、2022年のわたしたちに、そのままでリアルな現実として胸に迫るのを感じます――。それが優れた文学作品がもたらす、わたしたちの人生への効用だと思います。

 

 ある人にとって人生でもっとも大切なものは、自身の努力でつかみ取った天職や財産であるかもしれないし、最愛の伴侶や子どもたちであるかもしれない。そしてわたしの人生がどんなにささやかで目立たない、ぱっとしないものであっても、たった一冊の本、そこにあるたったひとことのセリフが、わたしの人生を肯定してくれることもあります。
 ストーリー上の「ネタバレ」にはならないでしょうから、あえて『かもめの日』の結末近くから次の箇所を引いておきます。

 

「――人と別れるのが不安なときは、相手を後ろから見送ったりしないのが、いいんだって。知らん顔して、ほうっておく。それが、一種のおまじない、っていうか。そうしておいたら、きっとまた会えるんだって」
(中略)
「――だからね」女の人は言う。「あなたは、いつもみたいに、川、見てれば?」
 そうした。
 川のほうへと向きなおり、膝を抱く。白い鳥が、水面すれすれに飛んでいき、だんだん、空に上がっていくのを、目で追った。

 

黒川創『かもめの日』(新潮文庫)より

 

「またね……」そういって自転車を駆って去って行く2008年の小説のなかのあの人は、コロナ禍で戦時下の2022年のこの世にはいないけれど、この小説を生んだ作者とともに、そしてそれを読んだわたしとともに、きっと存在しているのです。そして唐突ですが、チェーホフの『かもめ』を論じた、劇作家・宮沢章夫のテキスト(ちくま文庫『チェーホフの戦争』所収の『かもめ』論、「女優の生き方」)からも引用しましょう。かつて恋人、トレープレフが持ってきた「死んだカモメ」のイメージに囚われ、あるいはまた、憧れ追いかけて恋に落ちた作家、トリゴーリンからも捨てられた女優志願の若いニーナは最終盤、「わたしはカモメ……そうじゃない。わたしは女優。そういうこと!」と開き直り、立ち上がります。それをして、<「法(=ドラマツルギー)」から自身を救い出し、「自己実現の焦燥」からも自由になることを意味する。>と宮沢章夫はいいます。絶望したトレープレフが、(舞台の外で)猟銃自殺したことが告げられて、物語は閉じられます。

 

トレープレフは死んだ。トリゴーリンは道化としてただ立ちつくす。だからこそニーナは、「男」によって組織された劇から解放され、自分の足で舞台に立つことの可能な一人の「女優」として、『かもめ』というテキストのなかにいまもなお生きている。

 

宮沢章夫『チェーホフの戦争』(ちくま文庫)所収「女優の生き方」より。

 

時として野外のフィールドと同等かそれ以上に、生き生きとした野鳥の姿をテキストのなかに見出せる、「読む探鳥」をこれからも。

 

 120年以上の時空を超えてフェミニズムを射程に入れ、現代に通じるテーマを描ききって、ニーナに生気に満ちたソウルを吹き込んだチェーホフの『かもめ』。そこにはバーダーにとっては皮肉にも、野鳥の姿はカモメの死骸と剥製しか出てきませんが、わたしが文学作品のなかに鳥を探す、「インドアヴァーチャル探鳥」を続けているのは、時として野外のフィールドと同等かそれ以上に、生き生きとした野鳥の姿をテキストのなかに見出すことができるからです。たとえそれがたった一瞬、水面すれすれを飛んでいく白い鳥(カモメsp.あるいはサギsp.?)の姿であっても。

 

 

【野鳥に関する本、映画等についてのレビューを、シリーズ「読む探鳥、観るバードウオッチング」としてカテゴリーにまとめました。】

 

【拙著、<野鳥小説>こと『踊る回る鳥みたいに』発売中です。こちらもよろしくお願いします。】

関連記事:

 

【当ブログの読書および野鳥観察についての記事一覧はこちら。】

 

本ブログ発の書籍第1弾『踊る回る鳥みたいに』をリアル書店「ivory books(アイボリーブックス)」さんでもご購入いただけるようになりました。

拙著『踊る回る鳥みたいに』を、和歌山県白浜町「ivory books」さんでご購入いただけるようになりました。

 

 本ブログでの連載小説をまとめ、セルフ出版サーヴィス「Kindle Direct Publishing(以下KDP)」にて、電子書籍とペーパーバック(紙の書籍)としてAmazonを通じてリリースした拙著・小説集『踊る回る鳥みたいに』。

 

 本書は引き続きAmazonでも販売中ですが、このたび、わたしの暮らす南紀和歌山、白浜町*1の書店、「ivory books(アイボリーブックス)」さんでお取り扱いいただけることになりました。
 価格は特別付録、別冊ミニエッセイ「<野鳥文学>の世界へようこそ」とその表紙となる「野鳥写真カード(オオルリ/ノビタキ/イソヒヨドリの3種類のうち1枚)」付きで850円。付録のないAmazonでのペーパーバック版750円から+100円の設定とさせていただきました。理由は後述いたします。

 

ivory booksさん取り扱い分は別冊付録「ミニエッセイ・<野鳥文学>へ世界にようこそ #001 エミリー・ディキンソン」および「野鳥写真カード(オオルリ/ノビタキ/イソヒヨドリの3種類のうち1枚)」付き、
さらにivory booksさんによるオリジナル帯付きで850円。

 

 ivory booksさんは2020年11月に実店舗をオープンされた、新刊と古書を扱う小さな、素敵なお店。かつて銀行だったという建物をリノベーションしたという白壁が印象的な内装の物件の1階に、暮らしにまつわるものやアート、絵本や写真集から文芸書など、店主の中村美帆子さんの審美眼でセレクトされた書籍が、ちょっと変わった間取りの店内に、まるで秘密基地のようにレイアウトされたivory booksさん。そこに初めて足を踏み入れたとき、(秘密基地だから)「誰にも教えたくない!」という気持ちと、「この場所とこの素敵な本たちをみんなに知ってほしいっ」という気持ちがないまぜになるような、不思議な思いに囚われたことを覚えています。

 

 

 今回、KDPとしてAmazonでリリースした書籍を、なぜリアル書店で扱っていただくことになったのか。その理由には、この本の成り立ちと、それをどこに届けたいか?ということがバックグラウンドにありますので、ちょっとだけそのことを書いてみます。どうか少しばかり、お付き合いください。

 

本書を今、わたしの周りに暮らしている、「まだ見ぬ隣人」の方々へ届けたい。

 

 本書はわたし自身、日本野鳥の会会員でもあるバーダー(野鳥愛好家)であって、本書のタイトルは『踊る回る鳥みたいに』で、惹句として、主人公の女性の日常のそこかしこに野鳥が姿を現す<野鳥小説>を謳っています。もちろん、野鳥は本書のモチーフの(重要な)ひとつではありますが、わたしがこの小説で描きたかったことの芯の芯の核心は、

主人公である女性が、今、この瞬間、(読んでいる時間のなかで)本当に生きているということ。

 です。そしてその舞台は、わたしが今暮らしている和歌山県、田辺市・白浜町・上富田町・御坊市といった界隈であり、わたしの生まれ育った佐賀県佐賀市をモデルにしています(どの場所も明記は避けていますが、実際の場所をそのままテキストにトレースしたスポットも、いくつかの場所をミックスしたり、イマジネーションで膨らませた処もあります)。


 ――だとしたら、わたしが本書を届けるべき読者は、インターネットの向こうのあらゆる場所にいる誰か(もちろん、そういう読み手の方も大切にしたいと思っています)である以上に、今わたしの周りに暮らしている、わたしがここ(本書)に書いた、野鳥であり映画であり音楽であり、野球場や短いみじかい鉄道路線や地元の霊峰や海沿いの景色、といったものをシェアし共感しうる、「まだ見ぬ隣人」の皆さんじゃないのか!?

 

 本書リリース後、とりわけ電子書籍製作後に更に紙の書籍・ペーパーバックを作ったあとで、そんなふうに思い立って、宣伝用のフライヤーを作って、見本用の本を自分でAmazonで購入し、地元のお店(書店に限らず)や探鳥会、アウトドアアクティビティのイベントなどで配り始めました。というのは、本書のペーパーバック版はわたし自身の利益も度外視した(というか想定していなかった)価格設定のため、利益の出るかたちで実店舗で取り扱ってもらう、ということが考えられなかったからです。

 

『踊る回る鳥みたいに』宣伝用フライヤー


 そんなななかで、(ありがたいことに)イベントの参加者や、各店舗の店主の皆さんやお客さんが、その場で本を買って下さることが何度もあり、そして――、

「ウチで取り扱いますよ。地元の方の書いたものを扱いたい。」

 と仰って下さったのが、ivory booksさんでした。そこで少しでもお店の利益の出る方法を、ということで、今回、委託販売・別冊付録付きで+100円、という価格設定を提案させていただきました。

 

 併せて、同じく付録つき、同価格で『踊る回る鳥みたいに』を販売する当サイト独自のオンラインショップ「Soto Refreshment Books」をオープンいたしました。ただしこちらは本体850円+送料150円としています。また、ivory booksさん販売分は店主・中村さんによるオリジナル帯付き。こちら帯文、そこに添えられたイラストともにとっても素敵なので、お近くの方、またご旅行等で南紀・白浜にお立ち寄りの方は、ぜひivory booksさんでご購入下さい。そうすれば他にも素敵な本たちがたくさん、あなたをお迎えすることでしょう。どうぞよろしくお願いします。

 

ivory booksさんでわたしが出逢い、購入した本たち。

 

地元・田辺市在住の著者が描くのは、何気ない私たちの暮らしの中の一コマ。そして身の回りにいる野鳥達の生きる姿。

スペクタクルな物語のヒーローでもヒロインでもない、何の変哲もない一般人の女性を主人公に、彼女の暮らしと思考はとりとめなく、ごく自然に読み手の前で続いて、まるでこちらが観察しているような気持ちになってくる。

あたかもバードウォッチングをしているように。

 

『踊る回る鳥みたいに』ivory booksさんによる帯文より。

 

【ivory booksウェブサイト・Instagramはこちら】

ivorybooks.jp

店舗情報:ivory books(アイボリーブックス)
〒649-2211和歌山県西牟婁郡白浜町1111-34御幸ビルディング1F
Open/11:00 -16:00
Close/日・月・祝日
※詳細等は上記ivory booksさんのウェブサイト、Instagramをご確認下さい。

 

【Soto Refreshment Books ウェブストア(STORES)】

 

*1:※わたしの住まいはお隣の田辺市ですが。

“それでもわたしたちは、世界を信じられるか?”――2022年7月8日/コンピュータは失敗に対して辛抱強い/アーサー・C・クラーク

 

 元首相が銃撃されたその日、わたしは仕事帰りに最近親しくお付き合い下さっているある人に会った、ニュースは直前にスマホで眺めただけで、それが何かを終わらせ/何かの始まりを告げるできごとであろうことは直感的にわかった、そしてその「何か」はとてもいいこととは云えない。いや、こういうときは厳密にことばを使うべきだ、「とてもよくないこと」の終わりと始まりである。
 そして明確にしておくべきことはもうひとつある。わたしはあらゆる選挙で、自由民主党やその候補者に票を投じたことはいちどもないが、今回の事件はとても哀しく、腹立たしく、虚しい。

 

 ――しかしわたしは会った人と、その話をすることはなかった。わたしの目の前の日常とは直截的には関係しない(と錯覚できる)出来事だから? そんな単純なことではないとわたしは思っている。なぜならわたしは、ここまで書いたような認識をそのニュースに触れて瞬間的に、直感したにも関わらず、人に会っているあいだ全くそのことを忘れていたからだ。それは無意識の抑圧だろうか。今はわからない。

 

 前日にわたしは、こちらもこのごろ通い始めて大好きになったとある書店で、絵本を初めとした子どもの本の出版社である福音館書店の、保護者や子どもにかかわるすべての人に向けて作られた月刊誌『母の友』のバックナンバーを買い求めた。2020年の6月、7月号、2018年の10月号。それぞれ特集は「ハロー、プログラミング教育!」「身近な自然を感じる」「ありがとう加古里子さん!」。ぜんぶ「わたしの目の前の日常」を明るく照らしてくれる内容だと直感したから選んだ。

 

 コンピュータは人間のように顔色をうかがったり、おもんぱかったり忖度をしてくれませんから、プログラミングで一つでも順序を間違えてしまうと、想定とは全然違う動きをしてしまいます。ですから、プログラミングをする人間は、コンピュータに思いどおりの動きをしてもらうために、プログラムをこう作ってみたらどうだろう? ああ作ってみたらどうだろう? と、たくさんの試行錯誤をして失敗を重ねることが必要です。さらに、コンピュータは人間のように疲れることがありませんので、いつまでも試行錯誤に付き合ってくれます。コンピュータは失敗に対して辛抱強い機械なのです。


『母の友』2020年6月号・特集「ハロー、プログラミング教育!」所収、岡嶋祐史・中央大学国際情報学部教授へのインタビュー「プログラミング教育って必要?」(聞き手・編集部)より。

 

 岡嶋さんはプログラミング学習が万能だ、といっているわけではなくてそれ自体の課題も、この時点(2020年6月)でのわたしたちの国の、非合理な社会のありよう――それはわたしたち大人が作ってきたものだ――そのものも更新していく必要があることを指摘している。


 それからちょうど2年の現在、2022年7月8日だ、わたしはいま突然、おそらく20年ほど前にNHKで放送された、アーサー・C・クラークの功績を紹介するドキュメンタリーふうの番組を思い出した。クラークといえばもちろん、20世紀SF屈指の巨匠だけれど、わたしは残念なことにサイエンス・フィクションには非常に昏い(嫌いなわけではない)。なので映画『2001年宇宙の旅』は観ていてもアーサー・C・クラークの小説をほとんど読んだことがないが、その番組で、たしか解説役のスタジオゲストで、映画監督の大森一樹や小説家の高橋源一郎が出ていたと思うが、口々に、彼の「哲学的楽観主義」を称賛していた。そのことは当時からつよく印象に残った。


 わたしは小説をはじめ、文学、そして芸術すべてはわたしたちの世界やその価値観を下支えするものだとおもうからそういうオプティミズムが好きだ、外野から見ると、全員とはいわないがある種のSF作家・作品群、そしてそのファンダムの人たちには、


世界は少しずつ良くなっている。


 という楽観主義が通底しているように感じられ、そのことがわたしには好ましい。とはいえ現実の「いまここ」が、わたしたちにはどう見えるか? そのことで挫けそうになっても、わたしは「世界は少しずつ良くなっている。」と信じたい。

 

 これを書いている最中に安倍晋三元首相が亡くなったことが報じられた。レスト・イン・ピース。それでもわたしたちは、世界を信じられるか?

 


The Stone Roses - What the World Is Waiting For (Audio) - YouTube

ブックレビュー“読む探鳥”:三品輝起『雑貨の終わり』――夜空のカラス、野球場のツバメ、わたしたちの近未来。

三品輝起『雑貨の終わり』(新潮社、2020年8月刊)(新潮社社公式サイト・本書紹介ページ

 

ある夜、湿度の高い雨上がりの裏通りを歩いていると、いつもとなにかがちがう感じがした。だれかに見られているような不安がよぎって足をはやめる。生ぬるい風が路地を吹きぬけ、濡れたアスファルトにはねかえった街灯光に目をやると、溶け残る雪のように白い物がまだらに落ちていることに気づいた。それはおびただしい鳥のふんであった。道を一筋曲がった先にも、ふんはつづいている。こんな小汚い通りじゃなかったはずだ、と路面をまじまじと観察していると、急に頭上で鴉がするどく鳴いた。見上げると電線が異常に太くたわんでいて、それがびっちりと櫛比する鴉の大群であることを知ったとき思わず声がでた。さらに、近くの歓楽街のネオンのせいか、うっすらと雲が朱色に染まった夜空にも、何百羽という黒い鳥が円を描いて飛んでいた。

 

三品輝起『雑貨の終わり』(新潮社、2021年)「ホテルの滝」より

 

  雑貨好きの雑貨店主の書く、雑貨にまつわる文章を集めて、これほどまでにもの哀しい、うら寂しい書物をわたしは他に知らない。しかしだからこそ、わたしはこの本を、わたしたちの未来をほんのりと照らす、ガイディング・ライトだと思える。


 SDGs、サステイナビリティ、メタバース、Web3……人類の英知を結晶したマクロでグローバルなアクティビズムはしかし、本書の著者、西荻窪「FALL」店主・三品輝起さんのいう、<さまざまな物が雑貨の名のもとに流通し、消費されていく>、資本が運ぶこの世のものすべての<雑貨化>。その奔流に逆らうことはできない。


 いや、ミシェル・フーコーが『言葉と物』Les mots et les choses(1966)で人間の未来について予言したのと同じように、雑貨化の完遂されたすべての物たち(わたしたちの生活を取り囲むありとあらゆるものすべて)は、<波打ち際の砂の表情のように消滅>していく。
 それが、『雑貨の終わり』で活写された現在進行形の事態であり、すべての物が消え去った世界で、わたしたちの網膜に移る輝かしいメタバース世界が、わたしたちの“愉しい未来”だ。これはディストピアだろうか?

 

気がおかしくなるまえに雑貨化とはなにかをつきとめなければならない>と、半ば使命感のような悲壮な決意をもって長い休暇を取り、ロンドン郊外にあるフロイト博物館を訪れた雑貨店主。そこにあるミュージアムショップで、「神なきユダヤ人」として精神分析の創始者となったフロイトが<さまざまな雑貨に分裂し><人形となり、文具となり、カードゲームとなり、腕時計やエコバッグやマグネットとなって>売られているのを目の当たりにした彼はもちろん――たくさんのグッズを両手いっぱいに買い込んだ。さらに自身の土産物とは別に、魁偉な容貌と鋭い目つきでこちらを睥睨するフロイトのポートレート写真がプリントされたマグカップを大量に仕入れたという。


 帰国後、そのマグカップが並べられた自身の雑貨店「FALL」で、
「フロイディアンであることを公言している音楽家に手渡すつもりです」といってマグカップを買った奇特な編集者がいた。>ことを三品さんは書きつけている。フロイトの書き残したテキストを21世紀の日本で(あるいは世界じゅうを見渡しても)クリエイティビティの源泉としているアクチュアルな音楽家というと、わたしには菊地成孔しか思い浮かばない。

 

音楽は通路を選ばず届く、総ての死者に。どうか皆様、様々な気持ちと、お好みのリカーと共に、上を向いてお聴き下さい。

 

菊地成孔『レクイエムの名手 菊地成孔追悼文集』(亜紀書房、2015年)「川勝正幸ラジオ葬」(初出:TBSラジオ「菊地成孔の粋な夜電波」第42回/2012年2月3日)より。

 

 三品さんはこうも書いている。

 

ここには、とくに宗教的な趣旨をもってつくられたわけではない小さな置物を、手に入れた者の想像力でお守りに見立てて愛玩するという、雑貨愛好家にとって、ひとつの理想的な関係があるように思う。(中略)そこで大切になるのは、儀式をじぶんの意志で、じぶんだけのやりかたで、ひとしれずやらなくてはならないということだ。呪術的な物はむやみやたらにシェアしてはいけない。

 

三品輝起前掲書、「ふたりの村上」より

 

 すべての物の雑貨化が進行する現在、すべての物が断片化し消えていき、わたしたち自身の身体性も失われて、あるいはそのこと自体をポジティヴに「必要としない」と捉えるようになるであろうユートピア/ディストピア。そんなメタバースなすぐそこの近未来。そんな地平を意識しながら生きている現在のわたしたちにとって、最後に残された秘儀がこの二冊には書かれている。


 わたしのこの文章が“読む探鳥”である理由は冒頭の引用文に依拠しているが、ここが――そして三品輝起という書き手がすごいのは、(自身にとって20年以上昔の出来事である一夜の、その一場面の)この緻密な描写と、それが突然現れることである。おそらく父親の事業の失敗が原因で、夜逃げ同然のようにしてホテル住まいを強いられた高校3年の秋の1ヶ月半の、とある一夜。人間の傍で人間の暮らしを利用して生きているカラスだが、彼らは野鳥であって、こちら=人間の事情は、経済的なものも精神的なものも関係ない。人間の傍にいる野生の生き物は、わたしたちの感情を映す鏡ではない。


 わたしたちがわたしたち自身のことを書くとき、誤ってはならないのはその事実を受け止めておくことで、それでも記憶に貼りついた出来事を、場面を、そのままに書き写すこと。そこにはきっと、そこかしこに野鳥たちがいる(わたしがこの“読む探鳥、観るバードウォッチング”というシリーズを書き続けられることがその証明だ)。そして思い出したわたしたちにとってそれが、救いになることはあり得るのだ。先に引用した「ふたりの村上」というテキストの、村上のひとりは村上春樹であって、彼の部屋には<机の右奥には唐突にヤクルト・スワローズのピッチャーである小川泰弘の首ふり人形が>鎮座しているらしい。村上春樹がスワローズファンであることは広く知られているが、「スワローズ」とはもちろん、日本の夏を彩る野鳥、ツバメのことである。

 

 

【以前の記事から:鳥たちが、いつだってわたしたちの隣人であること。】

ブックレビュー“読む探鳥”:友部正人『バス停に立ち宇宙船を待つ』――「ここには虫や鳥や果物や草と/人間とを遮るものがない」 - ソトブログ

 

【野鳥に関する本、映画等についてのレビューを、シリーズ「読む探鳥、観るバードウオッチング」としてカテゴリーにまとめました。】

 

【当ブログの読書および野鳥観察についての記事一覧はこちら。】

【Tips】KDPで原稿を更新/改訂したのに自動配信されない場合の対処法。――知識ゼロから作る電子書籍/KDP(Kindle Direct Publishing)の軌跡 004

KDPの電子書籍では、原稿の更新は自動配信される(が、されないこともある)。

 

 わたしは先日、Kindleのセルフ出版サーヴィス「Kindle Direct Publishing(以下KDP)」にて、電子書籍/ペーパーバックで上記の本、KDP界唯一の(たぶん)<野鳥小説>集『踊る回る鳥みたいに』を出版しました。出版にあたっての気づきをこれまでもいくつか書いてきましたが、今回は出版後の更新(修正)について。

 

 KDPでは、電子書籍(Kindle)版、ペーパーバック(紙の書籍)版ともに、発売後の書籍についても随時、原稿を更新して再アップロードすることができます。ペーパーバック版の場合、既に購入いただいたものを更新することは物理的に不可能なのは道理なので、何も悩むところはないのですけれど――但し、既発のものに欠陥があっては商品として重大な瑕疵ですので、出版時には可能な限りミスのないようにしたいところ。

 

 ――なんですが、電子書籍版の場合、原稿の更新は既に配信(購入)されたものにも自動的に反映される(最新版が配信される)建前になっています。「建前」と書いたのは、わたしの『踊る回る鳥みたいに』の場合、わたしも自身で購入して確認しているのですが、少なくともわたしの端末(スマートフォン、PC、Kindle端末)上では、一度も自動配信(更新)されたことがないからです。

 

 本書では4月末の出版後、何度か字句の修正(表記ゆれや誤字・脱字)を行っており――出版時に自身で何百回と読みWordの校正ツールも使っているにも関わらずケアレスミスがあり、読者の皆さんには心苦しい限りですが、KDPのパブリッシャー向けのヘルプのうち、「原稿の更新」「改訂版の電子書籍を読者または自分に配信する方法」を読むと、やはり軽微な更新は自動配信されることになっています。但し、

読書体験全体を損なう品質に関する問題が変更によって修正された場合

 は自動配信を行わず、読者各自がAmazonのカスタマーサポートに問い合わせ、最新版をサポートから直接配信してもらうこととなっています。ただし上述の「原稿の更新」「改訂版の電子書籍を読者または自分に配信する方法」に書かれている記述はわたしの読解力では非常に分かりづらく、「原稿の更新」と「改訂版の電子書籍を読者または自分に配信する方法」で相互に矛盾していることが書かれているようにも読めます。

 

Amazonのカスタマーサポートに連絡し、本の更新(最新版)を配信してもらう手順。

 

 Amazonのカスタマーサポートから更新(最新版)を配信してもらう手順は以下の通りです。(2022/6/1現在)

#1. PC版サイトの最下部「ヘルプ&ガイド」の「ヘルプ」をクリック
#2. カスタマーサービスセンターのページが開くので、その最下部「よくある質問」の一番下の項目「問題が解決しない場合は」>「カスタマーサービスへ連絡」をクリック
#3. チャットボットのページが開くので、「今すぐチャットをはじめる」をクリック
#4. チャットボットから、担当者へ繋いでもらう。以下詳細:

商品(この場合『踊る回る鳥みたいに』)を選び、「問い合わせ内容」→「Kindle本の同期とダウンロード」→「どちらのデバイスをお使いですか?」→「Kindle電子書籍リーダー」等、利用しているデバイスを選ぶ→「デバイスがワイヤレスネットワークに接続されていることを確認してください。」→「はい、同期されています」→「担当者のサポートが必要です」→電話やチャットでサービスセンターの担当者へ繋がり、本を最新版に更新して欲しい旨を伝えると、手動で配信してもらえます。

#1「ヘルプ」をクリック。

#2 「問題が解決しない場合は」→「カスタマーサービスに連絡」をクリック。

#3「今すぐチャットをはじめる」をクリック。チャットでまず商品を選ぶ。

#4「担当者のサポートが必要です」より、担当者に繋いでもらう。

 

 ――というわけで、拙著『踊る回る鳥みたいに』については、発売当初より読んでいて意味が通じないようなクリティカルな誤りはなかったはずですが、上述の通り軽微な修正を何度か行っていますので、もし発売当初に購入され、最新版に更新されていない場合は、非常にお手数ですが、上記の手順を試していただければ幸いです。(2022.6.1現在、以降の更新予定はありません。)

 

結局のところ、初版発行時に十分に校正・チェックした上で不備のない状態でリリースするのがベスト。

 

 なお、カスタマーサービスセンターへは、Kindle本の更新の基準について別途メールでも問い合わせしてみたのですが、以下の通りの回答でした。

 

【カスタマーサービスからの回答の写し】
お問い合わせいただいた「Kindleの更新」について確認いたしました。
Kindleの更新は、コンテンツ変更点のチェックが完了していない場合、自動更新がされません。
チェックにお時間がかかっている場合や、チェック後も自動更新されない場合もあるとのことでございます。
「本の自動アップデート」にチェックを入れていらっしゃる状態で、時間が経過しても自動更新がされない場合には、下記をお試しください。
・端末から書籍を削除し、再ダウンロードする
・端末の登録を解除し、再登録する(アカウントの認識)
上記をお試しいただいても変更が反映されない場合には、本日同様、Amazonカスタマーサービスまでご連絡ください。
場合によってはこちらのカスタマーサポートの方でしか更新できないこともあるとのことでございました。
ご連絡いただいた場合には、迅速に更新させていただきます。

 

 わたしの場合、この回答に書かれている手順は全て試した上で、サポートで更新していただきました。いずれにせよ、「自動更新の基準」といったものはわからずじまい。そして前述の「改訂版の電子書籍を読者または自分に配信する方法」に拠れば、自動配信されない場合の更新について、<深刻または致命的なエラーが修正された場合>以外にはAmazonから直接読者へは一斉配信やアナウンス(メール)をしていただけないようです。


 よって、今回のようなケースでは、著者であるわたしから不特定多数の読者の皆さんへ通知(こうした自身のサイトやSNS等で書くか、Amazonの著者ページやコンテンツページに記載する等の手段で)し、各自のお手を煩わせて、更新していただくことになります。結局のところ、KDPで出版する場合は、初版発行時に、十分に校正・チェックした上で不備のない状態でリリースすることがベストだと言えるでしょう。


 ――しかしながら、わたしのようにうろんな人間がひとりで作業している場合、全くのノーミス、ということは難しそうです。あしからずご了承下さり、優しい目で見守って下さいますよう心よりお願い申し上げます(だんだん小声になりそう……)。

 

KDP界初の(?)<野鳥小説>集、発売中です。どうぞよろしくお願いします。Kindle版:250円/ペーパーバック版:750円

 

【KDP=Kindle DIrect Publishingで出版した経緯、その際の気づきについてまとめています。】

 

【当ブログ連載時の「踊る回る鳥みたいに」全回リンクはこちら。※電子書籍化にあたりブログ掲載原稿から一部改稿、追加収録があります。】

ブックレビュー“読む探鳥”:友部正人『バス停に立ち宇宙船を待つ』――「ここには虫や鳥や果物や草と/人間とを遮るものがない」

友部正人『バス停に立ち宇宙船を待つ』(ナナロク社、2015年3月刊)(ナナロク社公式サイト・本書紹介ページ

自宅の電線の上のイソヒヨドリ。

イソヒヨドリ(2022.3撮影、漁港にて)

 自宅に同居している――というより娘ムコであるわたしが住んでいるのが妻の実家で、だから一緒に住んでいる義父が、わたしたちの増築した“第2リビング”の吐き出し窓の外に、縁側代わりにテーブルを拵えてくれたのはもう何年前だったか、そこに腰かけて次男(7歳)とシャボン玉に興じていると、わたしたちの頭上、自宅から電柱へ延びる電線の上で、イソヒヨドリがさえずっています。
 そこは彼のソングポストなのでしょう、わたしにはイソヒヨドリの複雑で、「個人差」の大きいさえずりはいつも、不規則に聞こえて聞きなすことができません。
 ベビーブーマーであるわたしの父とも義父ともほとんど同世代の、1950年生まれのフォークシンガー、今ふうにいうとSSWの友部正人さんによる、2015年の詩集『バス停に立ち宇宙船を待つ』に収められた全35篇のうちに、鳥の出てくる詩が2篇あります、そのひとつ、「ウォーカー・バレー」という詩がわたしは好きです、詩をワン・フレーズだけ引用しても意味がありません、だからわたしは「ウォーカー・バレー」を半分くらい、ここに書き写します。

 

  マンハッタンでお金持ちになった人たちが
  退職してここで馬を飼う
  サイクリング用の自転車をこぎながら
  友だちはぼくにそう言った
  ニューヨーク州は本当に木の多いところ
  列車はニューヨークに近づいているようだ

 

  髪を紫に染めた娘を
  父親が駅に見送りに来ていた
  そのときは子供っぽく見えた娘が
  列車の揺れですっかり大人になった
  リュックの口からぬいぐるみの耳がまだはみ出している
  列車はニューヨークに近づいているようだ

 

  ここには虫や鳥や果物や草と
  人間とを遮るものがない
  木立の中に家があり
  屋根には尾根に続く道がある
  あの雲製造機のような夏の空


友部正人『バス停に立ち宇宙船を待つ』所収「ウォーカー・バレー」より

 

彼らがわたしたちの隣人であることを、いつも思い出させてくれる。

 

ここには虫や鳥や果物や草と/人間とを遮るものがない>――ここがやっぱり重要です、バーダー(野鳥愛好家)の皆さんならお気づきになるでしょう。
 ほんとうの詩は、文学は、未来を予言するというより、常に「現在」より先んじているものです。この戦時下の世の中で、ほんとうはわたしたちと彼らとを、わたしたちどうしを、遮り、隔てるものは何もないはずです。朝鮮半島の北緯38度線付近(非戦闘地域)には、夏を過ごすタンチョウヅルがたくさんいるらしい*1、Blue Rock Thrush=イソヒヨドリは磯ではなく岩が好きな小鳥でだから、コンクリートの街が好きになって、街にも住むようになったそうですね(下記Canon公式YouTubeチャンネルでの、日本野鳥の会理事・安西英明先生の解説参照)。わたしはいつまでも覚えられない、イソヒヨドリのさえずりが大好きです。彼らがわたしたちの隣人であることを、いつも思い出させてくれるイソヒヨドリ。

 


【解説:日本野鳥の会】動画で野鳥観察~イソヒヨドリの生態~(Canon Official) - YouTube

 

 

【以前の記事から:わたしたちの思い出とともにある身近な鳥たち。】

ブックレビュー“読む探鳥”:保坂和志『ハレルヤ』――「低く飛ぶツバメの鳴き交す声が忘れられない」 - ソトブログ

 

【野鳥に関する本、映画等についてのレビューを、シリーズ「読む探鳥、観るバードウオッチング」としてカテゴリーにまとめました。】

 

【当ブログの読書および野鳥観察についての記事一覧はこちら。】

*1:※奥野卓司『鳥と人間の文化誌』(筑摩書房、2019年)より

KDPでペーパーバック(紙の書籍)版を作ってみました。――知識ゼロから作る電子書籍/KDP(Kindle Direct Publishing)の軌跡 003

<野鳥小説>集、『踊る回る月みたいに』をペーパーバック版としても、Amazonにて発売しました。

 

 先日、当ブログでの連載に加筆・修正したかたちで、電子書籍(Amazon Kindle版)として発売したばかりの<野鳥小説>集『踊る回る月みたいに』。徐々に読んでくださる方も増えてきて、作者として、バーダーとしてとても嬉しく思っています。
 そしてこのたび、この『踊る回る月みたいに』を、ペーパーバック版(紙の書籍)としてもAmazonにてリリースしました。価格は750円と、Kindle版の250円よりずいぶん高くなってしまいましたが(その理由は後述します)、電子書籍ではない、実物の手触りのある紙の書籍にはやはり、モノとしての質感――既に流行らないことばかもしれませんが本の「クオリア」が感じられ、より手に取って、読んでいただき易くなったのではないかと思っています。

 

上記商品ページにて、Kindle版とペーパーバック版を選ぶことが出来ます。

 

KDP(Kindle Direct Pubilishing)でペーパーバックの作成は、意外と簡単(ですが)。

Amazon、KDPの公式サイトより転載:セルフ出版 | Amazon Kindle ダイレクト・パブリッシング

 

 さて、製作中は気づかなかった、というか素通りしていたのですが、Amazonのセルフ出版、KDP(Kindle Direct Pubilishing)のポータルをよく見てみると、
Kindle ダイレクト・パブリッシングなら、電子書籍とペーパーバックを無料でセルフ出版し、Amazon のサイトで何百万人もの読者に販売できます。
 とあります。そう、ペーパーバック=紙の書籍を出せるということです。ご存じの方もたくさんいらっしゃるでしょうが、わたしは何故かスルーしていました。

 

 ――というのも、思い出話になってしまいますが:10年程前、友人たちのバンドともに、「わたしの小説とバンドのCDを2in1パッケージした作品集」というのを自主制作したことがあり、その頃はこんなサービスはなかったので、ネットで探した印刷業者でイニシャル200部で依頼して作ったのですが、200部、というのはわたしのような交友関係も狭い無名の小説書きにはハードルの高い数字。インディーズながら関西圏で広く活躍していたバンドのみんなが地道にライブなどで販売してくれたおかげで何とか売り切ることができたのですが(といっても数部、わたしの手許に残ってはいます)、その記憶から、

「どうせイニシャルコストか在庫を抱えることになるのでは?」

 という先入観があり、自分には関係のないことだと思って、目に入れないようにしていたのです。でも今はオンデマンドの時代。しかもマッシヴ・アマゾン・エンパイアのサーヴィスです。ちょっと調べてみると、一冊の価格に所定の印刷コスト分がかかるものの、イニシャルで著者の負担はゼロ。一冊売れるごとに定価-租税分-アマゾン帝国の取り分-印刷コスト分=著者のロイヤリティ。というセッティングになっているようです。

 

 そんなわけで今回、ペーパーバック版の製作に取り組んだのですが、その工程は、初めてでは少し戸惑いもありましたが、作業自体はそれほど難しいわけではありません。そうした作業・手続き・出版までの流れといったHow to、Tips的なものをまとめるのは、わたしは滅茶苦茶苦手なので、あえてここには書きません。「KDP ペーパーバック 出版」などと検索すると、Amazonのオフィシャルのマニュアルと、親切なアーリー・アダプターの皆さんの丁寧な解説サイトがいくつもありますので、興味のある方は参考にしていただければと思います。ちなみにわたしは本文:Microsoft Word(2019)、表紙:Photoshop(Ver7.0)という最先端には程遠い制作環境でしたが、全然これで、必要十分でした。

 


価格設定について

 今回のわたしのKDP本『踊る回る鳥みたいに』の価格設定ですが、結果として、

・Kindle(電子書籍)版:250円
 ※ただしKindle Unlimited加入の方は読み放題:追加料金無料に含まれる。
・ペーパーバック(紙の書籍)版:750円

 となっています。電子書籍版とペーパーバック版の価格差があり過ぎるのは心苦しくはあるのですが、以下に、この価格設定の根拠を明示しておきたいと思います。

 

【Kindle版について】

 最低99円から出せるKindle版を250円としたのは、原稿用紙100枚超の中編+掌編2作の小説集の価格として適正であろうと考えたことと(拙作の作品的価値はこの際、措いた上で)、250円以上の設定で「KDPセレクト」に登録でき、Kindle Unlimetedの読み放題対象となることから、より広く読んでいただける可能性があると判断したからです。但し、「KDPセレクト」に登録すると本書籍は、Kindle版での独占販売(他社電子書籍ストアで併売できない)となります。このこと自体はマッシヴ・アマゾン・エンパイアの軍門に下るようで、微妙な思いもあるのですが、今回は致し方なし、ということにしました。

 

【ペーパーバック版について】

 KDPのペーパーバック版における価格設定は、定価の下限は、印刷コスト÷ロイヤリティレート(ペーパーバック版は60%)。本文モノクロの印刷コストは108ページまで400円の定額となっていますので、合計104ページのわたしの『踊る回る月みたいに』の場合、400÷0.6=667円が最低価格となるのですが、売価は×消費税(10%)ですのでこの場合、734円と半端な数字となってしまいます。しかもロイヤリティ60%だけど、税や経費で差し引かれ、この設定では著者の取り分は0円。ということで、切りのいい数字で売価750円とさせていただきました。これで一冊当たりの著者分9円です(ちなみにKindle版、KDPセレクトでのロイヤリティは70%、今回の場合158円)

 

 ――と、電子書籍版との価格差500円の理由は上記の経緯に拠ります。著者ロイヤリティはずいぶん異なるのですが、わたし自身、紙の書籍に愛着があるので自分でも電子書籍版/ペーパーバック版の両方を購入しました。「読んでみようかな」と思って下さった方は、ロイヤリティ云々の話はまったくお気になさらず、ご自身の手に取り易い、利便性の高い方を選んでくださると幸いです。

 

今回の本のサイズ(判型)は102.8×108.2mmで一般の新書に似たサイズ(若干縦長)です。KDPでは他に様々な判型の他、任意の数値(サイズ)も設定できます。

『踊る回る鳥みたいに』本文。KDPペーパーバック、印刷や製本は非常にしっかりしていて、今どきのオンデマンド印刷のクオリティの高さに驚きました。本文用紙(今回はモノクロ印刷用のクリーム色)は市販の文庫や新書よりはやや厚め、単行本でよくある感じかな、と思います(紙については素人ですが)。

 

 ――というわけで、ただ作るのは、表紙も本文も最終的な入稿形態はPDFであって、Wordやグラフィックソフトがある程度触れば、(わたしにもできるのだから)誰でもできる、といって差し支えありません。ただ、実際実作業をひとりでやってみて実感したのは、プロの編集者/校閲者さんの仕事の確かさでした。素人のひとり作業、しかもわたしのような抜けの多い人間では、「完成した!」と思ってもいくつも誤記やレイアウト上のミスが見つかります。実はリリース後も、まだ見つかってしまう表記誤りを直したりしています。句読点や「てにをは」は、あえて一般とは違う使い方をしている部分もありますが、明らかな文字の誤りなどは適宜、正しています。読者の方で、クリティカルな表記誤り等を発見された方がいらっしゃいましたら、是非当方までご教示下さい(「問い合わせフォーム」まで)。ペーパーバック版は返品・交換というわけにはいきませんが、次版以降で直していきますし、電子書籍版は随時アップデートしたいと考えています。

 

 

【以前の記事から:KDPにおける、ブログの書籍化や他の著作物からの引用にかかる注意点についてまとめています。】

知識ゼロから作る電子書籍の軌跡 002「コンテンツ編」:ブログの書籍化/著作権(引用・歌詞)について - ソトブログ

 

【KDP=Kindle DIrect Publishingで出版した経緯、その際の気づきについてまとめています。】

 

【当ブログ連載時の「踊る回る鳥みたいに」全回リンクはこちら。※電子書籍化にあたりブログ掲載原稿から一部改稿、追加収録があります。】

ブックレビュー“読む探鳥”:保坂和志『ハレルヤ』――「低く飛ぶツバメの鳴き交す声が忘れられない」

保坂和志『ハレルヤ』(新潮社)単行本:2018年7月、文庫:2022年5月(保坂和志オフィシャルサイト

「五月の晴れた郊外のキャンパスはしきりに鳥が鳴き交していた」

 

 

 短編集『ハレルヤ』の巻頭に収録された保坂和志さんの小説「ハレルヤ」は、<谷中の墓地で拾った子猫、花ちゃんとの18年8カ月>と文庫本の帯の惹句にもあるとおりで、本書は夫婦で猫好きで猫とともに生きて猫のことばかり書いている小説家、保坂和志さんの実際に育て、看取った「花ちゃん」との思い出――とくに花ちゃんがリンパ腫を発症し治療が奏功しそれが消え、それでも2018年12月には亡くなる、その終わりの二年間のことが書かれたもので、といっても保坂さんはそれ以前の小説からずっと書かれているように、死んだら終わり、無。とは思っていない。

 

 五月二十日はとてもいい天気だった。九時に府中の農工大に着くとそこは北海道みたいに広々とした敷地で動物病院センターは外にベンチもテーブルもある庭があり地面にはおもにクローバーが生えていた。
 待っているあいだ私は花ちゃんと外のそこにいることにした、(中略)チワワだったかトイプードルだったか、小さい犬を抱いた老夫婦が診察にきた、建物に入る前に奥さんが地面に屈んだ、
「四つ葉のクローバー見つけた。」
「ほお、きっといいことがあるね。」
 私はそれを聞くだけでもう泣いていた、私たちもこういう老夫婦になるんだろうか。五月の晴れた郊外のキャンパスは鳥がしきりに鳴き交していた。ツバメが低く飛び回っている、花ちゃんはその下で喜んで歩いている。

保坂和志『ハレルヤ』所収、「ハレルヤ」より

 

 猫を飼ったことがなくて駆け出しのバーダーで、まだアラウンド40のわたしでも、20数年前、今のわたしと同じくらいの歳だった頃からたんに好きを超えて敬愛/私淑/尊敬のような気持ちを抱き続けてきた、今や60歳を過ぎた小説家・保坂さんの「死は終わりではない」という信条? 人生観? 考え方? あるいはもっと漠然とした、あるいはもっと強固な、思考の核のようなものがようやくわかってきたような気がする、

 

 やっぱり十日から二週間という見立てだった、治療は何も無し、終わって会計を待つあいだ私と花ちゃんはまた庭に出た、花ちゃんは楽しそうに歩き回っているから会計が済んでも妻と私は花ちゃんを遊ばせた、低く飛ぶツバメの鳴き交す声が忘れられない、目が見えていたころは庭の木に飛んでくるメジロやヒヨドリやオナガをキャットタワーの中段に昇っていつも見ていた、もっとずっとここにいたかったがそのうちに引き上げた。

保坂和志・前掲書より

 

「てか、踊ってます」

 

 死は終わりではない、といっても生まれ変わりを信じているとかそういうことじゃなくて、じゃあどういうことかというと保坂作品を読んだことのない人に説明するのはわたしの足りないアタマと筆力ではどうしようもないけれど、保坂さんは花ちゃんよりずっと前、1996年に白血病で4歳4カ月で亡くなった「チャーちゃん」を主人公に、2015年に絵本『チャーちゃん』を書いている。絵本のテキストだけ引用するのは無粋だけれど、こんなふうに始まる、

 

 ぼく、チャーちゃん。
 はっきり言って、いま死んでます。てか、踊ってます。

保坂和志・作、小沢さかえ・画『チャーちゃん』(福音館書店、2015年)より

 

 保坂さんの本は、書くものは、その書き方はずっと好きだったけれど、猫を飼ったことのないわたしにはその本当のほんとうの核のところはわからない、とずうーっと思ってきた。けれど、今は、わたしは6年前から鳥を見ている、野鳥ならわたしが鳥見を始める前からずっといたしそれまでだってカラスもスズメもツバメもハトも見ていたはずだけれど、彼ら彼女らがわたしと世界を繋ぐかすがいみたいなものだとは考えたことがなかった、今は保坂さんの小説の大事な場面に、ツバメや鳥たちのことが書き留められていることが嬉しい。わたしは先日紹介した通り、Amazonのセルフ出版で『踊る回る鳥みたいに』という小説集を出して、タイトルをつけたときには『チャーちゃん』のことは忘れていたのだけど、読んではいたのだからたぶん影響はされたのだと思います。
 生きていても死んでいても、ウキウキしていても凹んでいても、踊るのは楽しい。ツバメは縦横無尽に飛び回りながら、必死で虫を捕食しているのかもしれないけれど、あんなふうに踊れたら楽しそうだ、野生のタンチョウのダンスも、いつか見てみたい。

 

 

【以前の記事から:<野鳥小説>集『踊る回る鳥みたいに』を出版しました。】

【電子書籍】『踊る回る鳥みたいに』(野鳥文芸双書 #001)を、当ブログのKDP(Kindle Direct Publishing)第一弾として発売しました。 - ソトブログ

 

【野鳥に関する本、映画等についてのレビューを、シリーズ「読む探鳥、観るバードウオッチング」としてカテゴリーにまとめました。】

 

【当ブログの読書および野鳥観察についての記事一覧はこちら。】

知識ゼロから作る電子書籍の軌跡 002「コンテンツ編」:ブログの書籍化/著作権(引用・歌詞)について

【2022/5/13追記】
本書『踊る回る鳥みたいに』をペーパーバック(紙の書籍)としても発売を開始しました。下記リンクより、Kindle版/ペーパーバック版を選択できます。ペーパーバック版出版の経緯、価格設定や制作過程での気づきについては、こちらの記事をご参照下さい。:KDPでペーパーバック(紙の書籍)版を作ってみました。――知識ゼロから作る電子書籍/KDP(Kindle Direct Publishing)の軌跡 003

「KDP=Kindle Direct Publishing」を利用して電子書籍をリリースするにあたり、気がついたことを書いてみます。

 

 先日お知らせしたとおり、当ブログでの連載をまとめた小説集、『踊る回る鳥みたいに』を出版しました。少しずつ購入していただく方も増えてきて、とてもありたがたく思っています。

 

 Amazonの「KDP=Kindle Direct Publishing」というセルフ出版のサーヴィスに関しては、事前に想像していたほど難しい作業はなく、また様々な先達がいらっしゃいますので、
「Kindle 自己出版」「KDP 出版方法」
 でも何でも、検索すれば数秒でそのハウツーをまとめて下さっているサイトに辿り着くことができますし、わたしも大変お世話になりました(元の原稿はあったとはいえ、実作業としておよそ4、5日にで完成させることができました)。

 

 その上でそうしたハウツー記事をまとめるのが得意ではないわたしが付け加えることはないに等しいのですが、それでもそういったサイトやAmazonのオフィシャルヘルプでもわからなかった点についてなど、いくつかの観点から、わたしが今回KDPを利用して電子書籍をリリースするにあたり、気がついたことを書いてみたいと思います。


 今回は、まずはコンテンツについて。

 

ブログを再構成したものであっても、KDPセレクトに登録できる。

 

 そもそも「電子書籍を作ってみたい」という人には何を本にしたいか、というのはアタマのなかにあったり、すでに原稿があったりするはずで、それについてわたしが申し上げることは何もありません。わたしのようにブログから記事をまとめて本にしたい、という人も多いでしょう。KDPには、「KDPセレクト」という制度があり、当該電子書籍をKindleでの独占販売にするものです(90日ごとに更新)。それにより、

KindleUnlimited対象に
印税率が35%→70%に

 なるなど、著者側としてはメリットが大きく(※詳細は上記リンク(Amazon公式)を参照下さい)、Amazon独占販売になることが想定する販売チャネルや、自身の政治的信条を棄損するほど問題でなければ、ぜひ登録しておきたいところだと思います(ここは冗談で書いているのではなくて、個人的には結構本気で考える必要があるところではあるとも思いますが)。

 

 ただ、今回のわたしの小説集の場合もそうですが、書籍に収録するコンテンツのほとんどをブログ上で無料で公開している場合はどうなるのか? 審査に引っ掛かるのではないか? という危惧はあったのですが、これは<それが自己のサイトであり、ウェブ上で公開している理由を説明すれば問題ない>という趣旨の記事を書かれているものも読みましたが、わたしの場合、商品説明や前書き(「はじめに」)で、そのことを明記していたためか、Amazonから問い合わせが来ることはなく、そのまま審査通過し、KDPセレクトに登録されることとなりました。

 

著作権について(他書籍等からの引用、歌詞の引用)。

 この章の最後に、小説を書くための「道具」について述べておきます。
 私は手書きで小説を書いている。原稿用紙はB4サイズの四〇〇字詰めで、筆記用具はパイロットのスーパー・プチというサインペンの中字*1の黒。最近は、プロ、アマをを問わず、ワープロやパソコンで小説を書く人が圧倒的に多いけれど、私が手書きを続けているのは次のような理由がある。
 小説は、つねに「今書いていることが面白いかどうか」「いま書いている部分と全体の関係はどうなのか」ということを考えながら書き進めるものだが、手書きのほうが、いま書きつつある小説が、〝一望〟しやすいのだ。ここでいう〝一望〟とは、ストーリーの流れが見えるということではなく、小説のそれぞれの部分と全体がどう関連していて、それが全体としてどういうイメージを作っているか把握することで、ワープロではせいぜい一〇〇枚ぐらいまでの小説しか〝一望〟することができない。
(中略)
 それからもう一つ、手書きの場合、書いていて「これはつまらないな」ということに早く気がつく。手書きというのはやはり〝労働〟で、いまやっている仕事の実感が直接伝わる。〝労働〟という意味で手書きはたしかに大変なのだが、大変なだけに、書いていることが面白くないと続けられなくなるのだ。

保坂和志『書きあぐねている人のための小説入門』(単行本:2003年 草思社、文庫:2008年 中公文庫)より

 

 上記の文章は、わたしが20年来、勝手に「小説の先生」と仰ぎ見る作家、保坂和志さんの現在のところ唯一の小説の書き方指南書からの引用ですが、わたし自身、今回の『踊る回る鳥みたいに』の表題作は、第1稿はノートに手書きしたものです(わたしの場合はA5サイズの横罫のノートに横書き)。現在のWordを始めとしたワープロソフトには、様々な校閲機能が備わっておりその恩恵に預からない手はないですが、「小説とは何か」「小説とはどのように書かれるべきか」を考えていくと、非常に示唆的な文章ではあります。それでも手書きに対する抵抗感の大きい人もいるでしょうが。

 

 ――さて、この項の主眼はそこではなく、引用について。これから「本を出そう」という方なら、著作物には著作権があり、著作権法上に定められた正当な理由、範囲でなければ無断で引用することは法に抵触することはご存じかと思います。

 

 わたし自身は、引用病か、というくらい、このブログを含めて文章を書くときに、わたし自身の手持ちの知識や考え方の外側にあるものに触れながら書きたい、ということを常に意識していて、他の書籍から文章を書き写し、引用することが大好きなため、今回の電子書籍(小説)でも4つの文献からテキストを引用しています。そしてそのことが、著作のオリジナリティを棄損するものだとは考えていません。著作権法上の例外、すなわち他者の著作物を許可なく利用することについては、著作権法32条1項に定められています。

 

第三十二条 公表された著作物は、引用して利用することができる。この場合において、その引用は、公正な慣行に合致するものであり、かつ、報道、批評、研究その他の引用の目的上正当な範囲内で行なわれるものでなければならない。

「昭和四十五年法律第四十八号 著作権法」(e-Gov法令検索より)

 

「引用」の該当条件については、一定の解釈がありますので、法律関係のサイトなどをチェックされるなどして、各自判断すべきものと思います。わたし自身は引用符をつけて引用することで、引用部分とわたしの文章の区別を明瞭にした上で、本文だけでなく奥付の前の最終ページに「引用文献リスト」を掲載して、引用させていただくこととしました。

 

 ただし、KDP=Kindle Direct Publishingにおいては、そのコンテンツ・ガイドランで、「JASRAC を含む、著作権等管理事業者の管理楽曲の楽譜・歌詞を含むコンテンツは、現在 Kindleストアで販売することはできません。」とはっきり謳われています。

 それについて個人的に思うところがないわけではないですが、わたしの小説「踊る回る鳥みたいに」においては、電子書籍化を念頭に、手書きの第1稿にはあった歌詞の引用を回避する記述に改稿を行いました。

 

 以上、今回はKDP=Kindle Direct Publishingで電子書籍を出版するにあたり、コンテンツの内容部分で疑義が生じる点について、いくつかまとめてみました。これから電子書籍を出版する皆様の参考になれば幸いです。

 

『踊る回る鳥みたいに』(野鳥文芸双書 #001)発売中です。価格250円。Kindle Unlimited対象です。(【2022/5/13追記】ペーパーバック(紙の書籍)版の価格は750円です。)

 

【以前の記事から:当ブログKDP第1弾『踊る回る鳥みたいに』発売にあたって。】

【電子書籍】『踊る回る鳥みたいに』(野鳥文芸双書 #001)を、当ブログのKDP(Kindle Direct Publishing)第一弾として発売しました。 - ソトブログ

 

【当ブログ連載時の「踊る回る鳥みたいに」全回リンクはこちら。※書籍化にあたりブログ掲載原稿から一部改稿、追加収録があります。】

*1:※引用者註:太字は原文は傍点

【電子書籍】『踊る回る鳥みたいに』(野鳥文芸双書 #001)を、当ブログのKDP(Kindle Direct Publishing)第一弾として発売しました。

【2022/5/13追記】
本書『踊る回る鳥みたいに』をペーパーバック(紙の書籍)としても発売を開始しました。下記リンクより、Kindle版/ペーパーバック版を選択できます。ペーパーバック版出版の経緯、価格設定や制作過程での気づきについては、こちらの記事をご参照下さい。:KDPでペーパーバック(紙の書籍)版を作ってみました。――知識ゼロから作る電子書籍/KDP(Kindle Direct Publishing)の軌跡 003

 

 昨年(2021年)12月から今年3月まで、足掛け4ヶ月、この『ソトブログ』で連載してきた小説「踊る回る鳥みたいに」+αとして2篇の掌編小説(「踊る~」の続編、スピンアウトとして読める作品です)を加えてまとめた小説集、『踊る回る鳥みたいに』(野鳥文芸双書 #001)をこのたび、電子書籍としてリリースいたしました。

 

 発売はAmazonのKindle書籍として。価格は250円です(【2022/5/13追記】ペーパーバック版の価格は750円です)。
 約4万字、400字詰原稿用紙換算で100枚程度の長編(中編)と、数枚程度の掌編2本での価格として――そしてわたしのような無名の書き手の作品として、この価格がどうなのかは、読者の皆さんの判断に委ねるしかありませんが、こちらはKindle Unlimited対象本となっているため、同会員の方は読み放題(無料)対象となります。
 ちなみに電子書籍、Kindleについては“KindleやFireタブレットなどのAmazon専用端末がないと読めない”と思っていらっしゃる方もまだまだ多いかもしれません。でも実は、スマートフォンやタブレット(iOS/Android)のKindleアプリやPC用のKindleリーダーアプリ(Win/Mac)でも読むことができます。アプリ自体は全てオフィシャル、無料で提供されています。
 わたし自身はKindle端末も愛用していますが、電子ペーパー端末より操作性ではスマホ、タブレットに一日の長がありますので、スマホで読むのもおすすめです。

 

 さて、ここまで本書の内容に触れていませんでしたので、改めてご紹介を。というわけで、実は本書の冒頭に置いた少し長めの「はじめに」という文章のなかに、自己紹介を兼ねた本書の成り立ちを書いておりますので、そこから以下へ抜粋いたします。また、「踊る回る鳥みたいに」には、当ブログにも、15回に分けた連載記事として、Kindle出版後も引き続き掲載しておりますので、小説自体はそちらから読んでいただくこともできます。ただし、掌編のうち1篇は書籍での書下ろしです。
 また、電子書籍版において一部改稿(追記・修正)を行っており、今回の電子書籍版がわたし自身としては最終版・完成版と考えておりますし、縦書きで読めますので、小説としてはそちらの方が読み易いかと思います。どうぞよろしくお願いします。

 

『踊る回る鳥みたいに』(野鳥文芸双書 #001)「はじめに」からの抜粋(一部文章を省略、ブログでの横書き用に字句を修正しています):

 

『ソトブログ』はいわゆる個人ブログで、雑多な記事を掲載していますが、そこでわたしは、自身を「文化系バーダー・ブロガー/ライター。または野鳥文学愛好家」と称しています。
 一般的に野鳥関係、バードウォッチング界隈のブログでは、自身で観察し、撮影した野鳥の写真を紹介されているケースが多い、というかそれがほとんどです。わたしもそうしたブログを楽しんで見ているひとりですし、わたしの『ソトブログ』にもそのようなポストもありますが、生来の文化系気質から、いつしか野鳥に関する本や映画、あるいは直截には野鳥に関係ない作品のなかに野鳥を見出して紹介する、〈シリーズ「読む探鳥、観るバードウォッチング」〉という連載を始め、気がつけばそれがメインコンテンツのひとつとなっています。
 さらには、〈Birders' Songs(バーダーのための野鳥音楽プレイリスト)〉という企画も行っており、これはひとことでいえば、「Amazon Musicで作るインドア鳥見としてのミュージック・プレイリスト」。鳥にまつわるタイトルや歌詞のある、あるいは野鳥のさえずりをサンプリングした楽曲などを織り交ぜたプレイリストを、音楽サブスクリプション・サービスのひとつであるAmazon Music Primeで作成し、シェアするものです。

 本書は、こんなふうに野鳥に奇妙なかたちで惹きつけられてしまったわたしが書いた、ひとりの女性の日常のそこかしこに野鳥たちの登場する小説をまとめたものです。しかしながら実は、本書の大半を占める中編小説「踊る回る鳥みたいに」の草稿は7年前、2015年に書いたもので、わたしが鳥見、バードウォッチングを始めたのは、今春(2022年4月)に中学生になった長男が小学1年生だった2016年の1月に、彼とふたりで野鳥観察会に参加したことがきっかけでした。すなわち、「踊る回る鳥みたいに」の元の原稿は、わたしが野鳥に興味を持つ以前に書いたものなのです。
 本書の「核」の部分に野鳥が登場するのはまったくの偶然でした。長男と鳥見を始めるまで、アウトドア・アクティビティにさえ全く興味のなかった人間が、その状態で書いた小説に、鳥たちがいくつも現れては消えていきます。本書での野鳥の名称は和名を基本としていますが、トビではなく「トンビ」と書かれているのは、草稿を書いた当時のわたしの認識がそうだったからで、また、主人公である侑子という女性がそう認識しているからでもあります。

 わたしはわたしの生活に、わたしの暮らす町や自然のなかに、アラフォーになって改めて野鳥たちを再発見し、人生に新たな彩りが加わったことを歓んでいます。もちろん、野鳥たちはずっとそこかしこにいたのですが、知らなければ、気がつかなければいないのと同じことです。
 本書が、わたしたちの日常と、その周りにいる鳥たちの姿を改めて愛おしむきっかけになれば幸いです。

 

 なお、本書は、「野鳥文芸双書 #001」と謳っています。今後、上述した拙ブログでの企画の書籍化や、新たな「野鳥小説」をリリースしていくことができればと考えています。次の機会に、読者の皆様に再会できることを楽しみにしています。

 

 ――そんなわけで、本書『踊る回る鳥みたいに』をよろしくお願いします。野鳥好き、文学好きの他、映画好き、音楽好きの方にも楽しめる内容になっていると自負しています。

 

上記リンクからご購入いただけます。大変おこがましいですが、Amazonアプリやサイトで、「野鳥 小説」「野鳥文学」などのキーワードで検索していただくと、まさかの偉人、柳田國男の『野鳥雑記』と並んでトップ表示されます。(2022/4/26現在)

 

【以前の記事から:本書制作を思い立つ契機になった、鈴木章史さんの<Chromebook本>の表紙デザインを担当した際のこと。】

鈴木章史さんによるChromebookライフスタイル本、『アカウントを持って街へ出よう』発売に寄せて。表紙デザインをさせていただいたことなど。 - ソトブログ

 

【当ブログ連載時の「踊る回る鳥みたいに」全回リンクはこちら。※書籍化にあたりブログ掲載原稿から一部改稿、追加収録があります。】