ブックレビュー“読む探鳥”:保坂和志『ハレルヤ』――「低く飛ぶツバメの鳴き交す声が忘れられない」
保坂和志『ハレルヤ』(新潮社)単行本:2018年7月、文庫:2022年5月(保坂和志オフィシャルサイト)
「五月の晴れた郊外のキャンパスはしきりに鳥が鳴き交していた」
短編集『ハレルヤ』の巻頭に収録された保坂和志さんの小説「ハレルヤ」は、<谷中の墓地で拾った子猫、花ちゃんとの18年8カ月>と文庫本の帯の惹句にもあるとおりで、本書は夫婦で猫好きで猫とともに生きて猫のことばかり書いている小説家、保坂和志さんの実際に育て、看取った「花ちゃん」との思い出――とくに花ちゃんがリンパ腫を発症し治療が奏功しそれが消え、それでも2018年12月には亡くなる、その終わりの二年間のことが書かれたもので、といっても保坂さんはそれ以前の小説からずっと書かれているように、死んだら終わり、無。とは思っていない。
五月二十日はとてもいい天気だった。九時に府中の農工大に着くとそこは北海道みたいに広々とした敷地で動物病院センターは外にベンチもテーブルもある庭があり地面にはおもにクローバーが生えていた。
待っているあいだ私は花ちゃんと外のそこにいることにした、(中略)チワワだったかトイプードルだったか、小さい犬を抱いた老夫婦が診察にきた、建物に入る前に奥さんが地面に屈んだ、
「四つ葉のクローバー見つけた。」
「ほお、きっといいことがあるね。」
私はそれを聞くだけでもう泣いていた、私たちもこういう老夫婦になるんだろうか。五月の晴れた郊外のキャンパスは鳥がしきりに鳴き交していた。ツバメが低く飛び回っている、花ちゃんはその下で喜んで歩いている。保坂和志『ハレルヤ』所収、「ハレルヤ」より。
猫を飼ったことがなくて駆け出しのバーダーで、まだアラウンド40のわたしでも、20数年前、今のわたしと同じくらいの歳だった頃からたんに好きを超えて敬愛/私淑/尊敬のような気持ちを抱き続けてきた、今や60歳を過ぎた小説家・保坂さんの「死は終わりではない」という信条? 人生観? 考え方? あるいはもっと漠然とした、あるいはもっと強固な、思考の核のようなものがようやくわかってきたような気がする、
やっぱり十日から二週間という見立てだった、治療は何も無し、終わって会計を待つあいだ私と花ちゃんはまた庭に出た、花ちゃんは楽しそうに歩き回っているから会計が済んでも妻と私は花ちゃんを遊ばせた、低く飛ぶツバメの鳴き交す声が忘れられない、目が見えていたころは庭の木に飛んでくるメジロやヒヨドリやオナガをキャットタワーの中段に昇っていつも見ていた、もっとずっとここにいたかったがそのうちに引き上げた。
保坂和志・前掲書より
「てか、踊ってます」
死は終わりではない、といっても生まれ変わりを信じているとかそういうことじゃなくて、じゃあどういうことかというと保坂作品を読んだことのない人に説明するのはわたしの足りないアタマと筆力ではどうしようもないけれど、保坂さんは花ちゃんよりずっと前、1996年に白血病で4歳4カ月で亡くなった「チャーちゃん」を主人公に、2015年に絵本『チャーちゃん』を書いている。絵本のテキストだけ引用するのは無粋だけれど、こんなふうに始まる、
ぼく、チャーちゃん。
はっきり言って、いま死んでます。てか、踊ってます。保坂和志・作、小沢さかえ・画『チャーちゃん』(福音館書店、2015年)より
保坂さんの本は、書くものは、その書き方はずっと好きだったけれど、猫を飼ったことのないわたしにはその本当のほんとうの核のところはわからない、とずうーっと思ってきた。けれど、今は、わたしは6年前から鳥を見ている、野鳥ならわたしが鳥見を始める前からずっといたしそれまでだってカラスもスズメもツバメもハトも見ていたはずだけれど、彼ら彼女らがわたしと世界を繋ぐかすがいみたいなものだとは考えたことがなかった、今は保坂さんの小説の大事な場面に、ツバメや鳥たちのことが書き留められていることが嬉しい。わたしは先日紹介した通り、Amazonのセルフ出版で『踊る回る鳥みたいに』という小説集を出して、タイトルをつけたときには『チャーちゃん』のことは忘れていたのだけど、読んではいたのだからたぶん影響はされたのだと思います。
生きていても死んでいても、ウキウキしていても凹んでいても、踊るのは楽しい。ツバメは縦横無尽に飛び回りながら、必死で虫を捕食しているのかもしれないけれど、あんなふうに踊れたら楽しそうだ、野生のタンチョウのダンスも、いつか見てみたい。
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