ソトブログ

文化系バーダー・ブログ。映画と本、野鳥/自然観察。時々ガジェット。

ソトブログ

A Song for Birders――2022年。新しい朝に聴く、イ・ラン(이랑)の「イムジン河」。

 

この記事をシェアする

SongforBirders写真は平城宮跡のアリスイ


※以下の文中は、敬称略としています。

[MV] 이랑 イ・ラン - 임진강 イムジン河 - YouTube

 

 2022年の劈頭に聴くのに、ふさわしい曲は――?。と思い浮かべて、イ・ラン(韓国のSSW)の「イムジン河」がいいと直感した。好きな曲で大好きなヴァージョンだ。YouTubeにアップロードされているオフィシャルMVを久しぶりに見たら、そのMVがリリースされた日付は、「2018.1.1」だった。ワンカメラ、ワンショットで、手話らしい手振りで歌い続けるイ・ランの、松山猛の手掛けた日本語詞「水鳥自由にむらがり飛びかうよ」のところで、羽ばたく想像の水鳥は、本当に美しい。

 

 保坂和志という小説家がいる。わたしの最も好きな作家のひとり。1956年生まれ、1995年に『この人の閾』で芥川賞を受賞。当時の保坂作品は一貫して、呑気そうな、「浮草のような人たち」(『この人の閾』に作家本人がそう書いている)を描いた小説ばかりで、けれどその頃そんな小説は他になかったから、保坂和志の「そんな小説」は「革命」だった。――もっとも、わたしはその頃大学受験生で、塾には行かず独自にプランを立てて勉強している受験マニアみたいなものだったから(現役で合格した)、本を読んでいるヒマはなくて保坂和志なんか知らなかった。といってもわたしの地方では1年遅れで再放送されていた『新世紀エヴァンゲリオン』は毎週観ていたし、その頃再評価され文庫で復刊されていた、江口寿史の『すすめ!! パイレーツ』『ストップ!! ひばりくん!』みたいな呑気なギャグマンガは読んでいた(エヴァも江口寿史も、それぞれの時代の「革命」だったことはいうまでもない)。

 

 その『この人の閾』を年末に、こちらも久しぶりに読み返してみたら、ラスト数行のところで、ある一日を描いていた小説のそれまでの流れと全く関係なく、「それから一週間してぼくは今度は大阪に出張したのだけれど」といって、奈良の平城宮跡を訪れる描写がある。平城宮跡というと“6万羽のツバメのねぐら入り”や、蟻を食べる珍しいキツツキ、アリスイの越冬地としてバーダー(野鳥愛好家)には超有名な探鳥地だが、保坂和志はバーダーではないから、当然、「何もない」「平らな土地」「夏草だけが生えた何もない地面」としか書いていない。わたしも保坂作品にのめり込み始めた大学生当時(2000年前後)、バーダーなんかでは全然なかったから、そんなものか、としか思わなかった。というか、『この人の閾』に平城宮跡が描かれていたことを記憶していなかった。どうせ当時は読み飛ばしていたのだろう。
 保坂和志はこのラストについて、「創作ノート」と題した文章でこう書いている。

 

 そしてラスト。「どうしていきなり平城京なのか?」。これにはまったく意味がない(つまり、私自身は平城京の意味を深読みしてほしいとは全然考えていない)。この小説をそろそろ書き上げる七月二〇日に私は大阪に行って、そのついでに奈良にまわって平城京をみてきた、というだけのこと。(中略)
『この人の閾』のような小説はどう終わらせてもいいし、逆にどう終わらせようもないとも言えるので、『新潮』の風元さんという編集者に、「余計だったら切ってもいいよ」と言って渡して、風元さんも、「説明しにくいけど、ああいうのはあった方がいいんです」と言って、結果、残ることになった。

保坂和志『書きあぐねている人のための小説入門』(中公文庫)「創作ノート 『猫に時間の流れる』から、『この人の閾』へと」より

 

 ただ保坂和志は『この人の閾』のラストに、「夏草だけが生えた何もない地面を歩きながらぼくは、長い長い空白の時間を越えて平城京の時代に生きた人たちのざわめきが聞こえてくるような気がしたのだけれど」と書きつけている。
 イ・ランの日本語詞と朝鮮語原詞を繋ぎ合わせた*1「イムジン河」にも、この歌を生んだ人たち、日本や朝鮮半島で歌い継いできた歌い手たちや聴き手たち、これまでの時代の人たち、今ここ、日本のわたしたち、半島の人たちのざわめきが聞こえてくるような気がする。
 元日の朝は、イ・ランの「イムジン河」を聴こう。「患難の世代」とイ・ランは言う。"The Revolution Will Not Be Televised"(革命はテレビ中継されない)と、かつてギル・スコット・ヘロンは言った。

 

クロミョン(그러면)~ Lang Lee Live in Tokyo 2018 ~ [SDCD-046]

クロミョン(그러면)~ Lang Lee Live in Tokyo 2018 ~ [SDCD-046]

  • アーティスト:イ・ラン
  • スウィート・ドリームス・プレス
Amazon

イ・ランの、2018年3月の東京講演をノーカット収録したライブ盤(2枚組)。Disc B、ラストから2曲目で「イムジン河」を披露しています。

 

芥川賞受賞作のこの本は品切れ。保坂和志は他にいくつもの傑作を生み続けています。

*1:※元日に記事をアップしてから聴き返して気づいたのですが、MVでは日本語詞のみで歌われ、日本語詞と朝鮮語原詞を繋ぎ合わせたヴァージョンは上記ライブ盤などで聴くことができます。