ソトブログ

文化系バーダー・ブログ。映画と本、野鳥/自然観察。時々ガジェット。

ソトブログ

日々のレッスン #020――現実が夢の論理を追っている、夢の論理を使って人が拵えたものが現実だ。

 

この記事をシェアする

写真はヒレンジャク(樹冠の一羽)。2023.3

 

 現実が夢の論理を追っている、夢の論理を使って人が拵えたものが現実だ。というのは転倒に見えてもわたしには、私淑している小説家の教えないし口癖だから、自家薬籠中のものと思っている。ハジメちゃんがいった、
「コウベ、と聞くと学生時代を思い出すんだよ。」
 コウベは神戸で、地元が同じハジメちゃんとは、進学先の学校は違ったけれど場所は同じ神戸で、実家にいた高校生の時より頻繁に会うようになった。現在に至るまで彼女と続いているのは案外そういう偶然の積み重なりによるのだろう。
 クロード・レヴィ=ストロースというと、トロブリアンド諸島というと、遠洋航海者というとやっぱり大学時代を思い出すんだよ。
「<トロブリアンド諸島>とか<遠洋航海者>はマリノフスキーでしょう?」
 なんでユウちゃんが知ってるのよ? ――ハジメちゃんがいうのはもっともで、わたしは体育大学に進学したから文化人類学を学んだわけではない。でもいつも言っていたのだ、ハジメちゃんが。
「クラ、クラ、クラってさ。」
 結局いつまでも西太平洋とかメラネシアには縁のない人生だが、当時から彼女の声で聞いた「クラ交易」「トロブリアンド諸島」ということばの響きに魅せられて、わたしは文庫本で手に入る『西太平洋の遠洋航海者』を買ったのだった。
「いや、でもあの頃はなかったよ、文庫。」
「だから後になって買ったんだよ、たしか、10年前くらい。読んではいないんだけどね。」

 

 わたしは書棚にある本は、読み終えた本はたぶん、半分くらいしかないんです。そう打ち明けたら書店主のMさんは驚いたような顔をした(とわたしには思われた)。Mさんは<家にある本を読み尽くしてしまったから>という理由で書店を開くことを思いついたそうだから、あるのに読まない、という事態を想定されなかったのだと思った。
 しかしそのMさんの(開店の)理由も本当はもっと複雑な背景があるだろうし、もちろん実際に書店を開く、という行為――しかもそれは開店という瞬間の一回性のものではなく持続する行為だ――、それを実現させる/させ続けることに伴う労苦を想像すると、ただこんな手記、虚構を交えた日記のような文章を書きつけているだけのわたしは、Mさんという女性を子どもの頃の母親や先生のように、あるいは信徒にとっての教祖のように、仰ぎ見る気持ちになる。夢のなかでその場その場で起きている事がらの真偽に疑いを持たないのと同じくらい、それは確固とした感覚だった。現実が夢の論理を追っている、夢の論理を使って人が拵えたものが現実だ。

 

 わたしは判で押したような毎日を愛している。望んでいる。実際に経理の仕事では毎日会計伝票を処理していてわたしの所属する組織の全ての商取引は会計伝票に起こされ、起票者であるわたしが押印し、上席者が押印する、すなわちそれが稟議ということだが、本当に同じ判を押し続けているその作業も、概念としての<判で押したような毎日>にはならない。時には勘定科目に迷い、時には仕訳を誤り修正伝票を起票することになり、ふだんは決裁函と呼ばれる上席者の机の端に置かれた函にただ入れていく伝票を、そうした場合は修正内容を上席者に修正理由を書き起こしたペーパーを見せながら口頭で説明する。大抵の場合彼は――というのは大抵の場合、上席者は男性である――わたしの説明に頷き、それでいいよ。とか、わかりました。といって書類を受け取り、決裁函に入れる。
 百均で買った所謂<三文判>を仕事で使っているわたしは、毎日数十枚、数百枚と判を押すのだが、職場の多くの人が愛用している、印鑑をそれにセットすることで、押印のたびに自動で朱肉が印面に付けられるメカニカルな機構の印鑑ケースを使わない。そのことにさしたる理由はないけれど、一枚一枚、一回一回、朱肉に印鑑をトントン、と突いてから書類に押印する。その儀式めいた趣きがわたしは好きなのか、それもわからない。わからないがそうしている、ということがわたしには何かだろう、というところまでは言えるが、それ以上このことについて、考えを下ろすべきではない、という感覚がわたしにはある。

 

 柳宗悦とか『手仕事の日本』、民藝運動ということばも学生生活を思い出させる、あとはアイルランドもそうだよ、とハジメちゃんはいった。五年間通ったという大学卒業間近、単位取得のために取った集中講義が<アイルランド社会文化論特殊講義>だったのだ。
 ハジメちゃんがいくつかあった集中講義からそれを選んだのは、当時わたしと一緒にアニメーション監督の押井守にハマり、押井監督の『アヴァロン』という映画を観たからだった。『アヴァロン』はアーサー王物語を下敷きにしている。イコール、アイルランドということにはならないが、訥々と眠気を誘う喋り方をする年配の講師の佇まいは、メディアで見た押井守のそれを髣髴とさせた。――しかし講義自体よりもハジメちゃんの記憶に残っているのは、一緒に丸二日間に及んだ講義に臨んだ同級生、マツノくんとほとんど初めて、授業の合間に談笑したことだった。

 

 

シリーズ「日々のレッスン」について

日々のレッスン」は、フィクションと日記のあわいにあるテキストとして、不定期連載していくシリーズです(できれば日記のように、デイリーに近いかたちで続けていけたら、と考えています)。また、それにApple Musicから選曲した<野鳥音楽>プレイリストを添えた「日々のレッスン ft. Bird Songs in Apple Music」を、月1、2回のペースで更新しています。

 

【日々のレッスン・バックナンバー】

 

【本連載「日々のレッスン」の前作に当たる拙著・小説集『踊る回る鳥みたいに』、AmazonSTORESとリアル店舗(書店その他)にて発売中です。】