ソトブログ

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日々のレッスン #010――それでコガラが去ると、どこかからアジサシ類がやってきて、「なすがままに、なすがままに。」と聴こえるように鳴いて飛び去っていった。

 

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写真はセグロカモメ(2020.2、和歌山県某所・漁港)

 

 それでわたしは山に登りながら――あれは下りだったか、コガラの群れに出会ったことを忘れていた。久しぶりの山で体力が不安で、荷物を減らしてカメラも双眼鏡も持って行かなかった。ジジジ、と地鳴きらしい鳴き声が方々から聴こえてきて、そのうちの一羽はわたしの目の前の横枝に止まった。ツツピー、のシジュウカラやツピンツピンのヒガラとは異なるさえずり。あとで確認した図鑑には、「ツチョツチョツチョ」と書かれているその声を聴いた気がするし、それら他のカラ類とは違って喉の黒いネクタイ模様はなくて、喉からお腹にかけて白いコガラの姿態はとりわけつつましく、かわいらしく思えるわたしの感性は安易というかステレオタイプだけれど、ひとりの記憶だからか、帰ってからカズヒコに、
「コガラみた、T山で。」と言ったら、
「コガラ?」と疑問形で返されたときにもう自信がなくなっていた。T山で声だけじゃなくちゃんと姿を見たのが初めてだったから、というのもあるけれど。T山に登り始めて夏のブランクを除いて半年、それも月一回くらいのハイクでその場所で会いたい鳥に全部会えるなんて思うほどわたしは野暮じゃないけれど、コガラくらいでも――「くらい」なんて言いかたはコガラに失礼なのは承知だれどこれ以上、エクスキューズを重ねていたらこのメモの文章もわたしの脳内もコンランしてしまう――、カズヒコの野鳥脳がなければ確信をもって観察できていないのは我ながら情けない、と思う。野鳥の会の会員の名が廃る。


 それでコガラが去ると、どこかからカモメがやってきて――これも違った、アジサシ類がやってきて、
「なすがままに、なすがままに。」
 と聴こえるように鳴いて飛び去っていった、というのがわたしがカズヒコにその日そのあと喋ったことだが、
「山にアジサシいないじゃん。」と一蹴された。
「通っていったんだよ。」
「ウソとか冗談ならせめてホトトギスみたいなトケン類にしとけばいいのに。それか『気がつくといきなり目の前をヤマドリが歩き去った。』とかさ。」
 というカズヒコの言い分にも彼の願望が入っているのがおかしかった

 

 表紙の写真は、初代『ケンブリッジ・サーカス』と同じく、木原千佳さんがリバプールの街角で撮った写真である。「あの標識にとまっているカモメが飛び立つところを撮りたい」と木原さんが言って、みんなで固唾を吞んでカモメの飛翔を待ち、やがてカモメがふわっと飛び上がって、すかさず木原さんがシャッターを押して全員が喝采した、あの瞬間の爽快さはいまも覚えている。人生のたいていのことがああいうふうに上手く行けばいいのにな、とときどき思う。

 

柴田元幸『ケンブリッジ・サーカス』(新潮文庫、2018年)「文庫版あとがき」より。

 

シリーズ「日々のレッスン」について

日々のレッスン」は、フィクションと日記のあわいにあるテキストとして、不定期連載していくシリーズです(できれば日記のように、デイリーに近いかたちで続けていけたら、と考えています)。また、それにApple Musicから選曲した<野鳥音楽>プレイリストを添えた「日々のレッスン ft. Bird Songs in Apple Music」を、月1、2回のペースで更新しています。

 

【日々のレッスン・バックナンバー】

 

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