ソトブログ

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日々のレッスン #012――わたしはエイミーとともに掃除をした、それでいい、それくらいがいいという一日がわたしにはある。

 

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 朝、エイミーと掃除。エイミーというのは所謂お掃除ロボットで、我が家に来た初めてのお掃除ロボット。カズヒコやチャーちゃんと同様、他の子と比較したことがないので彼女の掃除スキルがルンバなどの先行機種、お掃除ロボット界の<代表メンバー>たちとどう違うのかわからない(実は興味もない)。
 というよりふだん、エイミーを使うのはもっぱらカズヒコでせっかく知人からの頂きもののエイミーだが、わたしはつい、
「自分でやったほうが早い。」
 となってしまって、エイミーで/と掃除をしたことがなかった。
 今朝は「エイミーが掃除をするのを眺めながらコーヒーを飲む。という優雅なひとときを過ごそう」というのを思いついたが、朝食とともにコーヒーは摂ったあとだったし、文庫本を開きながらエイミーのスイッチを入れたが、現実にはとても本を読んでいるバアイではなかった。

 

 掃除をしようと思った通称<第二リビング>はこの、わたしたちの実家で妹が夫婦と子どもたち、雅文くんとカズヒコとチャーちゃんと過ごすために増築した部分で、ただ<第二>と略していつもは呼んでいるこの一階の上にはカズヒコとチャーちゃんの子ども部屋がある。
 その第二リビングは白木のフローリングだが、センターラグを敷いていてエイミーは床とラグの段差をうまく越えることができない。しかしわたしが掃除したいのは部屋の大部分を占めるそのラグの上であって、ラグの周囲をイスやテーブル、その辺の函を使ってエイミーに対して結界をこしらえた。壁にぶち当たるとエイミーは身を翻してあり得べき壁を確認するように半転回してぶつかりつつ前進する。家具やモノで囲めない一角はエイミーに寄り添ってわたしが牛歩で、わたしの足先で<動く壁>を作っていった。

 

 それが奏功して、センターラグ全体の掃除を達成。――そもそも「エイミーが掃除をするのを眺めながらコーヒーを飲む/文庫本を読む」という了見がいけなかった、それではわたしとエイミーとのあいだに支配‐被支配の権力構造が発生してしまう。いや、それは端から内在しており、露呈するのか? いずれにしても、わたし=人間がロボットを使役する関係および、その光景そのものが気色が悪い、とエイミーとともに掃除をしたあとで気づいたわたしは胡乱だった、そもそも<ロボット>という言葉の定義自体にその気色悪さが含まれているのだとしても同じことだった。

 

 その日はわたしの仕事(勤めに出る労働)は休みでカズヒコとチャーちゃんは学校で、わたしは外出しなかったのでヤクルトさんがいつものを届けに来てくれた以外は子どもたちの帰りまで誰とも口を利かなかったが、わたしはエイミーとともに掃除をした、それでいい、それくらいがいいという一日がわたしにはあるし、けっこうみんなにも――ここでいう<みんな>が誰かは深く思索を降ろしたわけではない――あるんじゃないかと思ってもいる。
 エイミーという名には、わたしの好きな『エイミー、エイミー、エイミー! こじらせシングルライフの抜け出し方』という映画の主人公で主演俳優(エイミー・シューマー)の名も含意されているし、時々無性に聴きたくなるエイミー・ワインハウスの名も含意されている。
「彼らはわたしをリハブに行かせようとした。」
 と歌ったエイミー・ワインハウス。

 

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シリーズ「日々のレッスン」について

日々のレッスン」は、フィクションと日記のあわいにあるテキストとして、不定期連載していくシリーズです(できれば日記のように、デイリーに近いかたちで続けていけたら、と考えています)。また、それにApple Musicから選曲した<野鳥音楽>プレイリストを添えた「日々のレッスン ft. Bird Songs in Apple Music」を、月1、2回のペースで更新しています。

 

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