ソトブログ

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日々のレッスン #015――ハッピーなベイビーによる「ハッピーベイビー」。

 

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 人間的で、しかも春のあかるさのようなこの婚姻の話を、ヨハネ福音書がイエスの初期時代に織りこんで語っているのは決して偶然ではない。それは荒涼たるユダの荒野の冬の修業時代と対比させるためである。ユダの荒野に欠如しているものとこの荒野の教団のもつ神の暗いイメージをのり超えたイエスをここで浮きぼりにしているのだ。若者たちの愛の結婚式を悦ぶイエス。笑われ、次々と酒を飲まれるその顔と、あの毛皮を身にまとい、革の帯をしめて人々に神の怒りのみを叫ぶ洗者ヨハネの顔とを比べるといい。そこには荒野とヨハネ教団を超えられたイエスのあかるい悦びがある。

 

遠藤周作『イエスの生涯』(新潮文庫)より

 

 リコさんのストレッチ&ヨガのYouTubeは思想性、宗教性を排したスポーティなエクササイズに特化したものであって、だからこそ日常的かつキラクな愉しみと実用的なものとして行うことができる(だから人気がある)。わたしにもヨガの思想的バックグラウンドというか、体系としての、行法としての、宗教的行為としてのヨガの知識は皆無なのだが、リコさんにとっては違うらしいことは本人からほのめかし程度に訊いたことがあるからだけではなくて動画を見ているだけの、それをマネしながらポーズを取っているだけのわたしにも、感じられる(ような気がする)。
 ヨガが元来は解脱のための行法であることは、ムチモウマイなわたしにさえ、Wikipediaの一行目を読むだけでわかるが、その「わかる」は「わからない」の一部としての「わかる」で、「何もわからない」と同じ意味の「わかる」だ。

 

 妹がリコさんのところ、すなわち北米(初めはワシントン州、そしてオレゴン、いまはテキサス)に渡って、カズヒコやチャーちゃんとわたしが三人で暮らすようになって五年になるが、そのあいだずっと毎日、わたしはリコさんのストレッチ&ヨガを続けてきたが、チャーちゃんが「ぼくもやる」といって入ってきたのは今年の秋の一週間だけだけだった。
 子どものすることだからきっかけはそのときヒマだっただけかも知れないし、そのとき「面白そうだ」と思ったのかも知れないし、そのときの気まぐれだったのかも知れないし、要するに「そのとき」「そうだった」というだけで理由になる。というか、「そのときそうする」ことに、実のところ子どもでなくても因果はいらない。
「因果」の語源がいうまでもなく仏教語だから話はややこしいのかそれも因果なのかわたしにはわからないが、いまたまたま手許にある『旺文社 国語辞典[第八版]』に拠れば、
《[仏]原因と結果のこと。善因には善の果報、悪因には悪の果報があると説く。》
 とある。

 

 チャーちゃんはずっとスポーツ/運動をしてきたわりに身体の硬いわたしとは対称的に柔らかくて、気がつくと自分の足指を口許に持ってきて舐めるふりをしている(もっと小さいころは本当に舐めていた)。仰向けになって両脚を膝を折って開き、足裏をそれぞれの手でつかんで足裏と手のひらを押し合うようにする、「ハッピーベイビー」のポーズなんかはチャーちゃんには楽勝すぎて、どこにも力がかかっていないようでエクササイズにはなっていないように見えるくらいで、でもそれはチャーちゃんがハッピーなベイビーで少年であるからかも知れない(と、「わからない」ことは「わかっている」つもりのわたしは思う)。

 

 遠藤周作のキリシタン弾圧を描いた小説『沈黙』を映画化(2016年)したマーティン・スコセッシはインタビューで以下のように答えている。

 

 私は人生のかなりの部分を、宗教への思いや習わしにとらわれてきました。信仰について考えることなど、やめてしまおうと思ったことも何度かありましたが、そのたびにやはり、宗教的な物語や観念に戻ってしまいます。信仰については今も疑問であり続けているからです。だからさまざな作品で、取り組もうとしました。


『沈黙 ―サイレンス―』日本版パンフレット掲載のインタビュー(取材・文:南波克行)より

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 わたしとチャーちゃんの一週間のストレッチ&ヨガはほんの遊戯のような、そのままの意味で一時の戯れ、お遊びみたいなものだったとしても、止むに止まれぬ理由で子どもたちを残して海を渡った妹の心の拠りどころになっているはずだし(わたしは一日分のそれを動画に撮ってLINEで妹に送った)、一週間で飽きたチャーちゃんにとっても、そのときのその時間を心から愉しめたのなら、彼にとっても何かだっただろう、わたしにとってはそうだった――わたしとカズヒコとチャーちゃんはここにいて、リコさんと妹は向こうに、画面の向こうであって太平洋の向こう、テキサスにいる。
 テキサス州パリス、という小さな街を舞台にした奇妙な映画、でも大好きな映画、『パリ、テキサス』をまた、観返したくなった。

 

シリーズ「日々のレッスン」について

日々のレッスン」は、フィクションと日記のあわいにあるテキストとして、不定期連載していくシリーズです(できれば日記のように、デイリーに近いかたちで続けていけたら、と考えています)。また、それにApple Musicから選曲した<野鳥音楽>プレイリストを添えた「日々のレッスン ft. Bird Songs in Apple Music」を、月1、2回のペースで更新しています。

 

【日々のレッスン・バックナンバー】

 

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