ソトブログ

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日々のレッスン #017――めまぐるしく世の中が動く、だがどれほどめまぐるしくても、体内の調整ほどめまぐるしくはない。

 

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写真は高尾山(和歌山県)、2023.1.1

 

 年末から年始にかけては宗教と植物になりそうだった。

 

 というのはわたしの読書記録の話で、きわめて個人的な話だが、だからこそ様々な社会的要因に影響を受けている。佐野亜裕美さん。「テレビドラマのプロデューサー」に注目してテレビを、ドラマを観るというのはわたしにはほとんど初めての経験だったが、『エルピス―希望、あるいは災い―』というドラマを観始めて、エルピスというタイトルがギリシア神話の<パンドラの箱>に由来することを知って書店に行き、ずいぶん昔、学生時代に読んだ、

 

・阿刀田高『ギリシア神話を知っていますか』(新潮文庫)

 

 という文庫本をもう一度参照するつもりで手に取ってレジに向かいかけたそのとき、新潮文庫の同じ<あ行>の著者の棚に遠藤周作『イエスの生涯』を見つけてそちらを購入したのは、『エルピス』を観始めてすぐだった。
 だからその日は二〇二二年十月の初めなのだが、今これを書いているのは十二月二七日で、『イエスの生涯』を読み終えたのはそれよりちょっと前で、この同じ手記の直前の部分を書いた翌々日だったから十二月十三日だった。パンドラの箱の概略については『ギリシア神話を知っていますか』の立ち読みで済ませた。しかし十五年以上前に読んだ文庫がそのままのカタチで販売され続けているのはすごい、調べてみたら現在売られているものは一九八四年改版とある、初版は単行本で一九八一年らしい。やっぱりすごい。なのでつい今、Kindle版をポチった。一九七三年初版の『イエスの生涯』ももちろんすごい。
 それで宗教と植物だけれど、遠藤周作『イエスの生涯』を皮切りにキリスト教に限らず宗教と人間の関わりについて書かれた本を買い漁って読みかじっている。しかしまずは『イエスの生涯』で、十二月十一日にわたしは「イエスは奇蹟を起こすことが得意で、だからそのことが好きだったのだ」みたいなことを書いたけれど、それは早とちりそのものだった、イエスは実際には何もできなかった。「何もできないこと」こそがイエスだった。

 

 イエスは民衆が、結局は現実に役に立つものだけを求めるのをこの半年の間、身にしみて感じねばならなかった。彼は愛の神と神の愛だけを説いたのに、それに耳傾けたのはごく少数の者にすぎなかった。弟子たちでさえ、彼の語っていることの真意を理解してくれなかった。弟子も民衆も「愛」ではなく、現実的なものしか彼に求めてこなかった。盲人たちは眼の開くことだけを、跛は足の動くことだけを、癩者は膿の出る傷口のふさぐことだけを要求してくるのだった。

 

遠藤周作『イエスの生涯』(新潮文庫)より

 

『エルピス』は野心的な、そして魅力的なテレビドラマでありエンターテインメントでありそれゆえに優れた社会批評でもあったが、そのラストは現実世界(そして現実の政・官・財/界)より後退してしまっていた、エンターテインメントが現実に起きていることを題材に採るなら、その一歩先を描いてみせることが真骨頂だと思うが、『エルピス』のラストは現実よりも美化された正義が、現実よりも矮小化された悪と、なけなしの果実を手にするために「手打ち」するのだった。その「手打ち」をするために闇に葬られた、政権を転覆し社会を混乱に陥らせるとされた「スキャンダル」のカードは、おそらく二〇二二年の現実世界ではそこまでの効力を持つワイルドカード足り得ないだろう(それじたい狂ったことだが、この国では残念ながら、そうだろう)。
 日本で暮らしていたらそのことは肌感覚でわかる、だからこれほどの才能の集結したドラマの作り手たちがそれに気づいていないはずはない、あの結末じたいが今ここにこのようにしてある現実との「手打ち」なのだとしたら、あれほどさわやかにフィクションの幕を下ろすことは果たして正解なのだろうか――それすらも忖度、配慮の産物だというのでしょうか?

 

 めまぐるしく世の中が動く、とよく言われる。だが、どれほどめまぐるしく動いていようが、体内の調整ほどめまぐるしくはない。呼吸、体内の管による物質の運搬、濾過、排出。温度調節、圧力調節、水分調節。外敵の退治。人間と植物に共通するこれらの機能こそ、めまぐるしいという形容詞にふさわしいのであって、プライベートジェット機に乗って世界を飛びわたる大富豪のめまぐるしさは、植物のめまぐるしさには、もっといえば、大富豪の体内の細胞のめまぐるしさにさえも、はるかに及ばない。

 

藤原辰史『植物考』(生きのびるブックス)より

植物考

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 では、「ブッダのように修行して生きる」とは、どんな生き方でしょうか。
 誤解を恐れずに一言で言えば、それは「愉快な生き方」です。仏教は、各自が自分の愉快な生き方を学ぶための参考書だということを、これからお伝えしていきたいと思います。

 

藤田一照『ブッダが教える愉快な生き方』(NHK出版)より

 

 二〇二二年最後に観た映画はチェコ・ウクライナ合作の『異端の鳥』(ヴァーツラフ・マルホウル監督、2019年)だった。ナチス・ドイツによるホロコーストを逃れて放浪する少年が、行く先々で「異端者」として爪弾き、どころかありとあらゆる虐待を受け続ける姿は、聖書物語のイエスと重なる。
 あまねく地球上に広がった人間世界も、「地球上のすべての多細胞生物の重量の九九・七パーセントをも占めている」*1植物から見た環世界の豊穣さ、多様性、懐の深さには、遠く及ばない。そもそも植物たちはわたしたち人間に用はない。用があるのはわたしたちだ。人間世界そのものの大きさの何倍にも、あまねく拡大してきた人間の愚かしさを、気がついたわたしたちのごく一部が活写しても、九九・七パーセントがそこに描かれていなければ、世界にとっては十分とはいえない(単純な事実として、〇・三パーセントよりもさらに狭い範囲しか描出できていないことになる)。
 庭のモッコクには、カズヒコが今朝も挿したミカンの半実にメジロが一羽来て、しかし後から来たスズメのペアに追い出された。
狭い門からはいれ。滅びにいたる門は大きく、その道は広い」(『マタイによる福音書』第七章十三節)

 

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シリーズ「日々のレッスン」について

日々のレッスン」は、フィクションと日記のあわいにあるテキストとして、不定期連載していくシリーズです(できれば日記のように、デイリーに近いかたちで続けていけたら、と考えています)。また、それにApple Musicから選曲した<野鳥音楽>プレイリストを添えた「日々のレッスン ft. Bird Songs in Apple Music」を、月1、2回のペースで更新しています。

 

【日々のレッスン・バックナンバー】

 

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*1:(藤原辰史『植物考』)より。