ソトブログ

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“それでもわたしたちは、世界を信じられるか?”――2022年7月8日/コンピュータは失敗に対して辛抱強い/アーサー・C・クラーク

 

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 元首相が銃撃されたその日、わたしは仕事帰りに最近親しくお付き合い下さっているある人に会った、ニュースは直前にスマホで眺めただけで、それが何かを終わらせ/何かの始まりを告げるできごとであろうことは直感的にわかった、そしてその「何か」はとてもいいこととは云えない。いや、こういうときは厳密にことばを使うべきだ、「とてもよくないこと」の終わりと始まりである。
 そして明確にしておくべきことはもうひとつある。わたしはあらゆる選挙で、自由民主党やその候補者に票を投じたことはいちどもないが、今回の事件はとても哀しく、腹立たしく、虚しい。

 

 ――しかしわたしは会った人と、その話をすることはなかった。わたしの目の前の日常とは直截的には関係しない(と錯覚できる)出来事だから? そんな単純なことではないとわたしは思っている。なぜならわたしは、ここまで書いたような認識をそのニュースに触れて瞬間的に、直感したにも関わらず、人に会っているあいだ全くそのことを忘れていたからだ。それは無意識の抑圧だろうか。今はわからない。

 

 前日にわたしは、こちらもこのごろ通い始めて大好きになったとある書店で、絵本を初めとした子どもの本の出版社である福音館書店の、保護者や子どもにかかわるすべての人に向けて作られた月刊誌『母の友』のバックナンバーを買い求めた。2020年の6月、7月号、2018年の10月号。それぞれ特集は「ハロー、プログラミング教育!」「身近な自然を感じる」「ありがとう加古里子さん!」。ぜんぶ「わたしの目の前の日常」を明るく照らしてくれる内容だと直感したから選んだ。

 

 コンピュータは人間のように顔色をうかがったり、おもんぱかったり忖度をしてくれませんから、プログラミングで一つでも順序を間違えてしまうと、想定とは全然違う動きをしてしまいます。ですから、プログラミングをする人間は、コンピュータに思いどおりの動きをしてもらうために、プログラムをこう作ってみたらどうだろう? ああ作ってみたらどうだろう? と、たくさんの試行錯誤をして失敗を重ねることが必要です。さらに、コンピュータは人間のように疲れることがありませんので、いつまでも試行錯誤に付き合ってくれます。コンピュータは失敗に対して辛抱強い機械なのです。


『母の友』2020年6月号・特集「ハロー、プログラミング教育!」所収、岡嶋祐史・中央大学国際情報学部教授へのインタビュー「プログラミング教育って必要?」(聞き手・編集部)より。

 

 岡嶋さんはプログラミング学習が万能だ、といっているわけではなくてそれ自体の課題も、この時点(2020年6月)でのわたしたちの国の、非合理な社会のありよう――それはわたしたち大人が作ってきたものだ――そのものも更新していく必要があることを指摘している。


 それからちょうど2年の現在、2022年7月8日だ、わたしはいま突然、おそらく20年ほど前にNHKで放送された、アーサー・C・クラークの功績を紹介するドキュメンタリーふうの番組を思い出した。クラークといえばもちろん、20世紀SF屈指の巨匠だけれど、わたしは残念なことにサイエンス・フィクションには非常に昏い(嫌いなわけではない)。なので映画『2001年宇宙の旅』は観ていてもアーサー・C・クラークの小説をほとんど読んだことがないが、その番組で、たしか解説役のスタジオゲストで、映画監督の大森一樹や小説家の高橋源一郎が出ていたと思うが、口々に、彼の「哲学的楽観主義」を称賛していた。そのことは当時からつよく印象に残った。


 わたしは小説をはじめ、文学、そして芸術すべてはわたしたちの世界やその価値観を下支えするものだとおもうからそういうオプティミズムが好きだ、外野から見ると、全員とはいわないがある種のSF作家・作品群、そしてそのファンダムの人たちには、


世界は少しずつ良くなっている。


 という楽観主義が通底しているように感じられ、そのことがわたしには好ましい。とはいえ現実の「いまここ」が、わたしたちにはどう見えるか? そのことで挫けそうになっても、わたしは「世界は少しずつ良くなっている。」と信じたい。

 

 これを書いている最中に安倍晋三元首相が亡くなったことが報じられた。レスト・イン・ピース。それでもわたしたちは、世界を信じられるか?

 


The Stone Roses - What the World Is Waiting For (Audio) - YouTube