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【連載小説】「踊る回る鳥みたいに」――第13回 “童話の雪辱”

 

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「踊る回る鳥みたいに」作:津森 ソト

 

【「踊る回る鳥みたいに」これまでの連載(第1回~第12回)】

第1回“どんぐりのスポセン
第2回“チューニング”
第3回“冷凍パインを砕く”
第4回“しおりさんのトリートメント”
第5回“もしも音楽に、苦痛が伴うとしたら”
第6回“透き通った最初の言葉を聞いて”
第7回 “好きになるまでは呼び捨てなのに(あるいは、エッセンシャルオイルから化粧水を作るレシピ)”
第8回 “ムーミン谷は閉店中”
第9回 “タイムリミット・サスペンス”
第10回 “おっちゃんのリズム”
第11回 “笛と鳴き声”
第12回 “ベースボールのフィールドではない場所はどこにもない”

 

十 童話の雪辱

 

 シフト制だから急な欠勤は許されにくいセンターだが、スポーツ・健康増進施設という性格上、風邪や発熱、病気の場合は厳格な出勤制限がある*1。朝から三十八度を超える熱があったわたしは職場に電話を入れ、食パンと牛乳を流し込んで近くの内科に行った。
 食パンはしかし、マヨネーズを塗り、丸いハムをのせて焼かずに食べた。以前観た映画で榎本加奈子がそうしていた*2。やけ食いみたいなものでまずそうに食べるのに観ているわたしにはおいしそうで、それからわたしは時間がないとき、焼くのも面倒なときにはそうしていた。このレシピのために、マヨネーズとハムはいつも冷蔵庫にあった。食パンは六枚切り。実家に帰ってきてからも、切れていればわたしが買ってきたし、食パンは六枚切りを買うように母に頼んでいた。
 内科は今ふうのしゃれた建物で、待合室はガラス張りで壁は白く、診察室はホワイトキューブの美術館のようだった。院長は二代目で、四十代くらいの男性で若先生と呼ばれていた。わたしは症状を伝えた。発熱と鼻水、くしゃみが出だして止まらないこと。鼻炎がちだからいつもそうなること。それを聞いていたのかどうか(聞いているはずだが)、若先生は訊いた。
「咳はありますか?」
「はい、少し」
 と答えると、「念のためレントゲンを撮りましょうか」といった。それから感染症を調べますから採血をしましょう、といった。若先生は検査をしたがるというのが定評だった。患者よりパソコンの画面を見て話すとも。大きなマックのディスプレイだった。それでも同時に、このクリニックで出す薬は効くという評判もあり、家から近いこともあってうちの家族はここへ行くし、患者も多く儲かっているという話だった。メガネもマックのコンピュータのような、銀色のチタンを削り出し加工したようなフレームだった。喉をみて、採血をして、レントゲンを撮ってわかったのは風邪だということで、薬を処方され、血液検査の結果は後日知らされるとのことで家に帰った。
 待合室のマガジンラックには『カーサブルータス』や『芸術新潮』や『WIRED』があった。若先生の趣味だろうか。

 

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 帰り道、イヤフォンでラジオを聴いた。というか、朝支度をしてからクリニックへ歩いて来るまで(くしゃみと頭がぼんやりするので運転は怖かった)、そして待合室でも、ずっと聴いていた。この頭では本なんて読めないし、待合室の雑誌に載っているようなしゃれた建物や洋服、芸術作品を眺めてほっこりするような気分でもなかった。ラジオが耳に流れ込んで来るのがいちばんよかった。
 ローカルニュースだった。運動会の話をしていた。もうそんな季節の変わり目で、だからわたしは風邪を引いたのだった。
 ある動物園で動物たちの運動会をしていた。ウサギとカメが、「童話の再現」としてレースをしたんだそうだ。ウサギもカメも人間たちの思惑どおりには前に進まず、観戦していた子供たちが誘導したりした。数分間もそんなことを続け、

 

「ウサギが突然走りだして一気にゴール。童話の雪辱を果たしました」

 

 わたしはなんだかとても嬉しくなった。このニュースを取材して記事を書いた人と握手したい気分だった。その人が、このニュースを書く様子が目に浮かぶようだった。ちょっと踊るように手を動かして、歩いた。
 あるいは取材した人と、ラジオ用のニュース原稿を書いた人は別の人かもしれない。ラジオ記者やニュース番組の実情はわたしにはわからないけれど、そうだとしたら、記者から原稿を書いた人にこのニュースはまずバトンされた。そしてそれがブロードキャストされて、風邪を引いて家路を歩くわたしの耳に入った。
 家に着いて、ベッドに潜り込んでそのままラジオを聴き続けた。
 小説家がミュージシャンの演奏をバックに自作を朗読していた。それもよくて、読みたくなった。検索して、オンラインストアで注文した、わたしは現代人であることを喜んだ。LINEでしおりさんにそのことをメールした。少し寝て起きたら返事が来ていて、しおりさんは最近観た映画について教えてくれていた。わたしは観たことも聞いたこともない映画だった。
 わたしはもういちど横になって、しおりさんからメールで送られた映画の説明を、しおりさんが話すように頭のなかで再現していた。それはたいへんに心地のよいものだった。

 

「アメリカで『ビッグイヤー』っていう、『北米大陸で一年間に見つけた野鳥の数』を競う大会があるの。
 大会といっても、特定の場所に集まって一斉にやる、というものじゃないんだって。
『一年間に』ってあるでしょう? こういう趣味の人、本当は趣味なんて、簡単にいえないんだけど、それはまたあとで。これに参加する人のことを「探鳥家」っていうんだけど、「鳥を探す人」と書いて探鳥家ね。
 この人たちがやっているのは「バードウォッチング」とは呼ばなくて、「バーディング」っていうらしくて。バードウォッチングは野山を散策して鳥を眺める、もっと呑気なもので、バーディングはもっと真剣なもので。
 一年間、探鳥家、ビッグイヤーの参加者たちはそれぞれが、自分の足で野鳥のいるところへ出かけていって、バーディングして、鳥を見る。本当に「見る」だけでよくて、写真を撮る必要もなくて自己申告なんだよ。
 そういう競技があること自体、一から映画のなかで説明しなきゃなんないんだけど、鳥に夢中すぎて家庭を顧みず離婚を繰り返す夫とか、大企業の社長業を捨てて引退してビッグイヤーに参加するかどうか悩む老紳士とか、バーディングにかまけてまともに働かず親に呆れられている青年とか、探鳥家たちのあれこれを描きながらアメリカ各地で繰り広げられる探鳥の様子を見ているだけで、わたしたちはビッグイヤーのとりこになるし、その大変さもよくわかるようになってるの。
 何せアメリカじゅう、時には一週間に一便しかない離島へ特定の時期にしか見られない渡り鳥を追いかけていったり、家庭も仕事も生活そのものも犠牲にして、財産をつぎ込んでやるわけだから。
 でも深刻なドラマっていうわけじゃなくて、ちょっとコメディで、ちょっと泣けて。大げさな話じゃないし、競技そのものは、本当に行われてることだけど、フィクションらしい起伏があってね。
 もしよかったら、いつか観てください。ちょっと元気がないときとか、おすすめかも。
 ハクトウワシの求愛のシーン、好きだったな」*3

 

 わたしは目をつぶったまま、まだ見たことのない「ハクトウワシの求愛」を想像した。そのまま夕方まで眠った。

 

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 ベッドから上半身だけを起こして汗をたっぷりかいたTシャツを脱いだ。身体の熱が少し引いているのがわかった。そのまま左手をベッドについて、腰から少し大げさなくらい回転して両脚を揃え、床に下ろした。自分を欺くように勢いをつけて立ち上がり、ショーツ一枚のまま壁に備えつけのラックに並べているTシャツを一枚手に取った。
 一連の流れを映画に撮ってくれたら、かっこいいのに(わたしそのもの以外)――そんなひとり遊びをしていたら風邪が治るというジンクスがあるのだと思い込んだ。そのことをしおりさんに話そうと思った。
 Tシャツは黒いボディにゴールドでアルファベットのAとTとRを重ね合わせたロゴが大きくプリントされていた。バックプリントは白抜きの斜体のかかったゴチックで、"MIDI JUNKIES GONNA FUCK YOU UP"。自分では絶対に買わないたぐいのTシャツで、着るときにいつもまじまじとながめる癖がついていた。
 二年前に別れた恋人がくれたものだ。その人が友人たちと行ったロックフェスティバルで、大好きなアーティストのTシャツがどうしても買いたくて、残っていた自分のサイズではない「ユースL」のものを買ったのだといっていた。
 だからといってそれをとくに好きではない、どころかそのアーティストのことを知りもしなかったわたしにくれるセンスはどうかしているが、わたしはそのときすでにその人のことが好きだったから、どうかしていることもそれゆえに好きだったから好きな人にもらったTシャツで嬉しかった。
 嬉しい気持ちだけで、そのまま着ることもなく引き出しの奥にしまっていたが、その人と別れて実家に戻ってきて荷物を開けたとき、着てみたらこれ以上ないくらいにちょうどいいサイズだった。以来、部屋着として愛用していた。
 "MIDI JUNKIES GONNA FUCK YOU UP"という文章全体の意味はわからなかったが、JUNKIESとかFUCKとか、ただならぬ単語が入っているからこの歳では外に着ていくのははばかられたが、着心地は最高というほかなく、わたしのために作られたTシャツだった。その人と付き合った自分を褒めてやりたかった。

 

(つづく)
「踊る回る鳥みたいに」第14回は2022.3.11(金)掲載予定(毎週金曜更新)です。

 

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【参考文献】

犬猫 [DVD]

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  • 榎本加奈子
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*1:本作品の設定年代は新型コロナ禍以前、およそ2015年頃としています。

*2:映画『犬猫』(井口奈己監督、2004年)のワンシーン。上記【参考文献】参照。

*3:ここで取り上げられている映画作品については本小説の次回以降でタイトルとともに、再度登場します。