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【連載小説】「踊る回る鳥みたいに」――第14回 “この現実が、映画や芝居のセットみたいなものだと考えたら”

 

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「踊る回る鳥みたいに」作:津森 ソト

 

【「踊る回る鳥みたいに」これまでの連載(第1回~第13回)】

第1回“どんぐりのスポセン
第2回“チューニング”
第3回“冷凍パインを砕く”
第4回“しおりさんのトリートメント”
第5回“もしも音楽に、苦痛が伴うとしたら”
第6回“透き通った最初の言葉を聞いて”
第7回 “好きになるまでは呼び捨てなのに(あるいは、エッセンシャルオイルから化粧水を作るレシピ)”
第8回 “ムーミン谷は閉店中”
第9回 “タイムリミット・サスペンス”
第10回 “おっちゃんのリズム”
第11回 “笛と鳴き声”
第12回 “ベースボールのフィールドではない場所はどこにもない”
第13回 “童話の雪辱”

 

十一 この現実が、映画や芝居のセットみたいなものだと考えたら

 

 寝る前に、このところさぼっていたオイルマッサージをひさしぶりにやった。さぼっていたのはキシモトさんと知り合ってからだった。
 いよいよ本格的に秋になってきて、自転車で通勤したあと一日くしゃみが止まらなかった。花粉症だと思う。春はならなかったから秋に飛んでいる何かだろう。そこまで考えて、マッサージをしていなかったからじゃないか、エッセンシャルオイルじゃないかと気づいた。使っていたティートゥリーもユーカリラジアータも殺菌作用があり、花粉症にもよいとされていた。事実使い始めてここ二年、花粉で悩むことは少なくなっていた。
 とはいえ、わたしにとってはそういう効能書きみたいなことよりも、香りの好みだとか、気持ちが安らぐこととか、しおりさんにやってもらうマッサージの心地よさだとかの方が大きかった。だから忘れていたのだ。ずっと使っているアロマテラピーの入門書を開いて、デコルテから首、肩のマッサージの手順を改めて確認したが、もう手が覚えていた。ブレンドしたマッサージ用のオイルをポンプ式のボトルから手に取り、バストから上――デコルテ、首から肩にかけて、首の前と後ろに全体に塗ってなじませた。
 首の前後を、自分の首を優しく締めるように、上下になでさすった。いつも自分で自分を絞め殺し、恍惚として果てるさまを想像してしまう。もちろんそんなことはテキストには書いていなかった。その想像がいいのか、オイルのなめらかさがいいのか、首をさするのはことのほか気持ちがいい。自分の手じゃないみたいだった。
 次に首から肩。左手で首の右側から右肩の先にかけてゆっくりとさすった。手のひら全体を密着させて軽い圧を加えて皮膚の表面をやさしくなでさすることを、「エルフラージュ」(軽擦法)という。このご時世、どんなことでも検索すればすぐわかってしまうが、わたしはこの言葉が何語なのか、語源は何なのか、知らなかった。
 鎖骨の下から胸骨の上あたりを上下に、耳の下から鎖骨に向かって円を描くように、首の後ろを、首の付け根から頭皮の一部のくぼみまで、それぞれを軽い圧で。首の後ろはショートカットのわたしでも髪の毛にかかるので、オイルを塗布している肌とは感触が違うのでいつも難しい。
 鎖骨の下から、腋の下のあいだ、腕の付け根を背中側まで、四指で、俗にいう「リンパを流す」。わたしはテキストに書かれた通りにやってきて、それ以上知識を深めようとしたことがないから、「リンパを流す」がどういうことかどういうことなのか、腋のあいだから何かが流れていくさまをイメージしてはいた。ここでもわたしの手がわたしの手ではなく思えてきて、わたしの手という生き物が、わたしの腋の下という場所(土地?)を移動していって、背中という別の土地へ流れていった。
 マレビトは遠くからやってきて、また遠くへ去っていった。
 少し前に読んだマンガを思い出した。折口信夫原作、近藤ようこ作画『死者の書』*1。それを読んで、折口信夫をウィキペディアで調べた。
「何でも調べられる世の中だから、何を調べて、何を調べないかを、あなたは試されているんだよ」
 いつも誰かにそういわれているような気がする。でも嫌な感じはなかった。

 

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「そういう声に、みんなもっと従うべきなんですよ」
 とわたしはいった。聞いていたハジメちゃんとしおりさんがどういう反応をするか、わたしは会話の先を想像しないわけではないが、当たったことはない。ハジメちゃんは、
「でも結局はそれ、自分なんでしょ?」
 といった。「侑ちゃんは人に興味があるように見えて、本当は自分にだけ興味があるんだよね」
「そうだっけ。それって、」
「悪口じゃないよ。そういうところがわたしは楽だったんだよ」
「わたしはでも、いつもそんな感じだよ」としおりさんはいった。「絶えず自分の心や身体と対話してる」
「ああー、お姉ちゃん」とハジメちゃんはいった。どういうニュアンスの詠嘆なのか、姉妹ってそうだよな、と思った。お姉ちゃん(ハジメちゃんにとってのしおりさん)に対する予断がじゅうぶんにあり、お姉ちゃんがどういおうと、自分にとってのお姉ちゃんの範疇で処理できてしまう。それが本当のお姉ちゃんかどうかわからない。わたしと妹の関係もそうだよな、と思う。
 しおりさんのマッサージのあと、いつものカフェでお茶していたらハジメちゃんがひとりで入ってきて、誰かと待ち合わせというのではなくハジメちゃんもただお茶しに来たようで、わたしたちのテーブルに座った。
「あれ、ハジメもここの餡蜜好きだったの?」
「餡蜜? わたしそれ食べたことない」
「うそー。ここへ来て餡蜜頼まなかったことないですよね?」
「ねぇ」
「そんなに?」
「そんなに」
 それでハジメちゃんもわたしたちと同じようにハーブティーと餡蜜で、しかし女子会っぽい話にならない、というよりそれがどういうものか誰も知らない。
「しおりさん、『ビッグ・ボーイズ しあわせの鳥を探して』*2観ましたよ。面白かった!」
「鳥の? よかったでしょ。侑子ちゃん、よくタイトル覚えてるね?」
「何それ。お姉ちゃんまた変な映画観てたんでしょ」
「変な映画じゃないよ」とわたし。「むしろ変な邦題つける映画会社かソフト会社が悪いんだよ」
「ねえ、あれ何なんだろうね」としおりさんは笑った。「"Napoleon Dynamite"が『バス男』*3でしょ」
「あれも酷かったですよね。"Idiocracy"が『26世紀青年』*4
 しおりさんはとにかく映画が好きで何でも観ているから、わたしが観た映画の話をするとどんなものでも反応が返ってくるしそこから連想した面白い映画を教えてくれる。施術のときは映画の話をするのは野暮な気がしていつもここでお茶をするときになった。『ビッグ・ボーイズ』の話もしたくてたまらなかったけど、ここにくるまで我慢していた。ギャラリーとしてハジメちゃんがいるので余計に楽しかった。
「バカ=IdiotとDemocracyの造語なんて最高なのにね。
 "We Bought a Zoo"、つまり動物園を買った、ってタイトルが『幸せへのキセキ』*5になってたのもサイテーだったな。まったく頭に残らないし、何の映画か全然わかんない」
「わたしそれ全部知らないー」とハジメちゃん。「やっぱり変な映画ばっかり観てる!」
「だから変な映画じゃないんだって」とわたしは笑った。場がドライヴしていくのがわかってますます楽しかった。この会話を隣の席で一人で来て、聞き耳を立てていたいような気になっていたがわたしはそのままの勢いで、
「『ビッグ・ボーイズ』なんてさ、」とハジメちゃんに一からストーリーを説明して、
「それで原発でコンピュータの仕事をしてるんだけど、仕事そっちのけで鳥にかまけてる男、離婚歴あり。それがジャック・ブラックでしょ、こいつが主人公1ね。それからビッグイヤーの最高記録保持者で自分の記録を守るためには手段を選ばない男、不妊治療に必死の奥さんをほっぽらかしてビッグイヤーに命を懸ける、こちらも離婚歴を繰り返している主人公2がオーウェン・ウィルソンでしょ、」
「離婚してる男ばっかじゃん」とハジメちゃん。
「大企業の社長だかCEOだかを続けるか、引退するか悩んでる老紳士――もちろんビッグイヤーに参加するためなんだけど、主人公3の彼がなんとスティーブ・マーティンなの!」
「誰?」
「知らないの?」とわたしがいい、「松尾スズキが大好きなコメディアンなんだよ!」としおりさんが力説すればするほどハジメちゃんの「変な映画認定」は強固になるが、ハジメちゃんも、変な邦題をつけているからよけいに変な映画だと思われてしまう、ということには納得してくれた。
「それでさ、ツイッターなんかに、『変な邦題の映画を頑なに原題で呼ぶ人がいるけど、たぶん絶対モテないと思う』とか書く人がいるのよ」
 としおりさんが珍しく怒っていった。
「『別にモテるために生きてるんじゃないよ、バーカ!』っていいたくなるでしょ。
 それよりさっきの話、絶えず自分のなかの誰かに問いかけられて、それに答える方が百倍も千倍も五百万倍も大事だと思う」
「それさ、ヨウタくんのいいかたでしょう?」
 とハジメちゃんがいった。
 ヨウタくんはしおりさんの息子だ。カズちゃんと同じ五歳。しおりさんにお子さんがいると聞いたとき、わたしは驚いたというか意外だったけれど、それは母親になっている同世代をわたしは妹くらいしか知らなかったからだった。でも妹は妹で、しおりさんはしおりさんで母親で、それは当たり前のことだが、わたしには眩しいくらいのことだった。わたしが母親になるかどうかはともかく、わたしにはそう思えることが嬉しかった。
 しおりさんはフフッと笑い、
「でも結婚してるから、母親だからモテなくていいんだ、って話じゃないよ。恋くらいまたするかもしれないし、しないかもしれないけど、そういうことじゃなくて」
 といった。わたしはハクトウワシの求愛のかっこよさについて言及した。かっこいい映画を観たあとって、自分もかっこよく振る舞いたくなるじゃないですか、わたし、しおりさんのメールを読んだあと、ハクトウワシの求愛を想像して、風邪ひいてたけど、シャープに動きたくなったんです。そういうとしおりさんはまた、フフフッと笑った。
「あのシーンでそんなこといった人、初めてだよ」としおりさんはいった。「といっても実際にあの映画観た人と話したことなくて、ネットで感想読んだだけだけどね」
「そうやってシャープに動いて、ベッドから起き上がったり、服をばさっと脱いで新しいTシャツを着たり、それを絶妙なライティングとアングルで撮ってる人がいて。って考えてたら、風邪を引いていることも楽しいことのように思えてきて、この餡蜜だって器だって、スプーンも割り箸もさ、考えてみたらすごくよくできてるじゃない?
 この現実がさ、映画や芝居のセットみたいなものだと考えたら、めちゃくちゃよくできてるわけで。質のいい、ちゃんとしてるものだけじゃなくて、ダメなもの、よくできていないものもだよ。いい加減なチェーン店の店構えもそこの適当なレベルの味のラーメンとかも、百均のチープな食器もさ、撮影セット、小道具だと思ったら、完璧な出来じゃない? ディテールから何から」
「うん。何がいいたいのかわかんない」
 とハジメちゃんはいった。「でも侑ちゃんにはいいことなわけだ」
「それで風邪が治るの?」としおりさんがいった。
「そうそう、そうなんですよ。撮影なんだからわたしの風邪も演技なんです、その世界では。いや、この世界では。
『ジョウダンジョウダン』」
 カズちゃんが最近よくいうフレーズの口真似でわたしがいうと、ハジメちゃんが、
「冗談なのかよー」といった。
「もしそれができたら侑子ちゃん、新しい宗教かなんかできそうね」
「そういうんじゃないですけどね」
「それはわかってる」ハジメちゃんは笑った、しおりさんも笑った。

 

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 お勘定のときカウンターで顔見知りの店員さんが、「今月で閉店なんです。今までありがとうございました」といった。

 

 外はまだ午後の陽気で夕方までは時間があった。秋晴れで雲ひとつなく、眩しかった。カフェの入り口に置かれたプランターにスズメバチのようなハチが来ていた。向かいの薬局のパンダの立像の、割れていた鼻が元に戻っていた。新しいものに替えられたのかもしれない。

 

(つづく)
「踊る回る鳥みたいに」第15回(最終話)は2022.3.18(金)掲載予定(毎週金曜更新)です。

 

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【参考文献】

近藤ようこによる『死者の書』マンガ版は上下巻。下巻はこちら

 

*1:民俗学者で文人でもあった折口信夫=釈迢空 による小説『死者の書』(1939年初出、1943年刊行)を、近藤ようこが2015年にコミカライズした作品。上記参考文献参照。

*2:映画『ビッグ・ボーイズ しあわせの鳥を探して』The Big Year。2011年公開(日本では2012年)。ジャック・ブラック、オーウェン・ウィルソン、スティーブ・マーティン主演。監督は『プラダを着た悪魔』が有名なデヴィッド・フランケル。上記参考文献参照。

*3:映画『ナポレオン・ダイナマイト』Napoleon Dynamite。2004年公開の同作は、日本では劇場未公開=ビデオスルーとなり、当時日本でヒットしていた『電車男』に便乗したタイトル『バス男』としてDVD発売された。その後、2013年の再発時に原題通りの『ナポレオン・ダイナマイト』と改題された。

*4:映画『26世紀青年』Idiocracy。2006年公開(日本ではビデオスルー)。監督は『ビーバス・アンド・バットヘッド』などのアニメ作品で知られるマイク・ジャッジ。

*5:映画『幸せへのキセキ』We Bought a Zoo。2011年公開(日本では2012年)。マット・デイモン主演、監督は『あの頃ペニーレインと』『ザ・エージェント』などのキャメロン・クロウ。