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【連載小説】「踊る回る鳥みたいに」――第12回 “ベースボールのフィールドではない場所はどこにもない”

 

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「踊る回る鳥みたいに」作:津森 ソト

 

【「踊る回る鳥みたいに」これまでの連載(第1回~第11回)】

第1回“どんぐりのスポセン
第2回“チューニング”
第3回“冷凍パインを砕く”
第4回“しおりさんのトリートメント”
第5回“もしも音楽に、苦痛が伴うとしたら”
第6回“透き通った最初の言葉を聞いて”
第7回 “好きになるまでは呼び捨てなのに(あるいは、エッセンシャルオイルから化粧水を作るレシピ)”
第8回 “ムーミン谷は閉店中”
第9回 “タイムリミット・サスペンス”
第10回 “おっちゃんのリズム”
第11回 “笛と鳴き声”

 

九 ベースボールのフィールドではない場所はどこにもない

 

 曇っていて今日も涼しかった。

 

 外野席は芝生になっていて、レジャーシートを敷いて座って観戦することができた。年に一回、隣町で開催されるプロ野球の阪神の二軍戦で、二軍戦とはいえ客席はいっぱいだった。
「いい選手がたくさん出てるよ」
 とキシモトさんがいった。ここで行われる二軍戦は前に一度、カズちゃんが一歳くらいのときに妹夫婦と一度来たことがあったが、男の人と二人で来るのは初めてだった。わたしは野球のことはよくわからない。センターの利用者で、話好きのおじさんたちから聞くことで知るくらいだ。
 聞いていると、阪神ファンの人たちはおしなべて、自分の応援しているチームに対して期待値を下げているようだった。か、少なくとも表面上は、期待値を低くして話すことで、ダメだったときのショックを緩和しているように見える。分母を小さくしてセルフ・エスティームを上げる手法そのものだ。「長年弱かったからね」とある人はいった。
 いつもわたしに挨拶をしてくれる、自分の身体のことも謙遜して話す田中さんなどは、
「阪神の選手は成績はよくても、肝心なところで打てないし、いいピッチングができないもんね。だからチャンスとか、ピンチになると見ないようにしてるんだよ」
 といった。それではスポーツを観戦する醍醐味がなくなっちゃうんじゃないですか、とわたしは軽々しくいえない気がした。わたしがやっていたサッカーと違って、野球は毎日のように試合がある。一軍戦が各チーム百三十だか四十だか試合があって、その上こうして二軍も観客を入れて試合があって、こうして何千人も見に来ている。さっきアナウンスで、三千人といっていた。この隣町の人口の、半分くらいになるんじゃないだろうか。
「いい選手って、本来一軍にいるような選手ってことですか? それともキシモトさん、見ていて『こいつはすごい。逸材だ!』とかわかるんですか?」
「いやいや。そこまでは。僕でも名前を知っている選手が、っていうだけで」
 わたしがおにぎりと焼きそばを用意して、キシモトさんがホットサンドを作ってきてくれた。球場の外に即席で作られていた売店で、唐揚げを買ってきた。
「炭水化物ばっかりになっちゃったね」
 わたしはキシモトさんに初めて、敬語を使わなかった。昼過ぎからのゲームで、観客は皆思いおもいにおしゃべりをしたり、弁当やビール、ジュースを飲んだり、少年野球のユニフォームを着た子どもたちがグローブを持ってきてフェンス際に固まったり、二軍戦には応援団は来ていなくてのんびりした雰囲気だった。興奮したスタジアムの高揚感が好きだけれど、こういうのも悪くない。
 キシモトさんはいった。「や、こういうの好きだよ。やっぱり野球場は焼きそばが欲しいよね」
「ねえ。なかったですよね、売店に」わたしはまた敬語に戻っていた。わたしは少し、意識していった。「やっぱ作っといてよかったね」
「欲をいえば――、」
「電子レンジが欲しい!」
「そう! でもまだちょっとあったかいね」
「でもキシモトさん、すごく野球好きですよね」
「僕は文化系だからさ。なんか形ばっかりだよ」
「でもなんかお話ししたそうですよ、キシモトさん」キシモトさんがにこにこしていた。
 外野席から見ているとピッチャーとバッターが投げて打っているところは遠くて、真剣勝負をしている感じがしなかった。めったに近くに来ないプロ野球を見に来た、わたしたちも含めた観客の行楽気分もそう感じさせていた。野球って興行なんだな、と思った。
「野球ってさ、マウンドからホームベースまでの距離とか、ベースとベースのあいだの距離、角度とかは決まってるけど、ファウルゾーンの広さとか、ホームから外野フェンスまでの距離が決まっていないじゃない」
 たしかにそうですね、変ですね。とわたしはいった。でもそれでいいんだ、とキシモトさんはいった。
「野球のことはもういろんな本で読んだから、誰が書いてたか忘れちゃったけど」とキシモトさんは続けた。

 

 ベースボールは本来、どこまでも続くフィールドの上でやるもので、およそアメリカの大地で、ベースボールのフィールドではない場所はどこにもないんだ。内外野のフェンスは観客を入れるスタンドのための便宜上のもので、原理的にはどこまでも広がっているのがベースボール・パーク本来の姿なんだ。打球はどこまでも飛んでいくし、野手はそれをどこまでも追いかけて、打者走者はそれを見てベースを駆け抜ける。それがベースボールで、パワー一辺倒みたいに思われていたメジャーリーグで、イチローが受け入れられたのも、そういうベースボールの原初的な本質に触れて、その楽しさを思い出させてくれたからなんだ。

 

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「――って」
 とキシモトさんは淀みなく話した。
「弁士ですね。すごい!」とわたし、思わず。
「いや、野球がね」とキシモトさん。
「外野フェンスがない球場があったら面白そうですね」
「作りようがないけどね。こうやってお弁当食べながらゴロゴロ見られないし。でも子どもの頃やった草野球ってそんな感じだったんだよ。外野越えたらどこまでも追いかけて。こっちの、人間のサイズが小さいからさ」
「そうですね。わたしもやったなー、野球。男の子と一緒に」
 でもいつのまにかサッカーに行っちゃって。とわたしはいった。自分でも思いのほか、沈んだ声でびっくりした。
「サッカー好きじゃなかったの?」とキシモトさんがいった、「好きでしたよ。じゃなかったら続けなかったですよ。でも辞めてみたら、チームスポーツはもういいやって」
 わたしは答えて、それから『フォックスキャッチャー』*1という映画の話をした。キシモトさんも観ていた。

 

 一九八四年、テフロンなどで知られるアメリカのケミカル・カンパニー、デュポン社の御曹司であるジョン・デュポンが金メダリストの兄弟他、有力選手をスカウトしてレスリング・チーム「フォックスキャッチャー」を作った。自ら資金を出して率いるこのチームで、次回オリンピック、すなわち一九八八年のソウル大会で金メダルを獲ることが、大富豪の夢だ。大財閥の御曹司として生まれ、全てを与えられた暮らしをしてきたジョン・デュポンには、同時に何もない。
 ジョン・デュポンが金メダリスト兄弟の兄、デイヴ・シュルツを殺害するに至る数年間を描いたドラマだけれど、わたしはジョン・デュポンの屈折よりも、同じく金メダリストの弟、マーク・シュルツの「暗さ」を特筆すべきものだと感じた。
 わたしはこんなに暗い顔をしたスポーツマンをドラマのなかで見たことがなかったけれど、こういう人は実際にたくさんいた。というか、わたしだってこういうところはあった。誰だってそうだといういいかたもできる、アメリカ映画のなかでスポーツをしている男子はいつも、はつらつとしてオタクをいじめ、チアリーダーといちゃいちゃしている、日本のドラマならもっと単純にバカっぽく、直情的に描かれる。

 

「明るいオタクの話はけっこうあるのにね」とキシモトさんはいった、
「映画を作るような人はオタクだからかもね。運動選手なんて能天気なバカだと思いたいんだよ」
 結局、できる人なんてひと握りですもんね、とわたしはいった。
 俳優はひと握りの選ばれた人たちで、ひと握りの選ばれた別の人物を演じることを通して、その他大勢のわたしたちを喜ばせる。二軍にいるプロ野球選手は皆、ひと握りに選ばれたいが、ほとんどはそうならずに辞めていく。しかも彼らは、かつて「ひと握り」に選ばれてプロ野球に入った人たちだ。
「俄然、応援したくなりましたね」
 七回裏、阪神の攻撃でキシモトさんは立ち上がって大声で叫んだ。わたしも続いた。
「かっとばせー! ◯◯◯◯」
 横にいた幼稚園くらいの男の子がわたしたちの声に合わせてメガホンを叩いた。シャン、シャン、シャンシャンシャン! ドラマや映画みたいにはそのざわめきの輪は広がらなかったけれど、わたしたちには嬉しかった。

 

 ライトスタンドからいちばん近くに見えるのはライトの選手だ。阪神のライトは試合中二回変わった。背番号をじっと見ていたらいつのまにか変わっていた、ということが二回あった、という感じだった。試合の終盤、キシモトさんにそういったら、
「皆が気がつかないうちにライトの選手が死んでて、ライトの守備位置の下に埋葬される、っていうアメリカの小説*2を読んだことがあるよ」
 とキシモトさんがいった。
「ライトって日本でも『ライパチ』、ライトで八番って意味で、草野球とかだと下手な人がやるんだよ」
「打球が飛んでこないからですよね、それはわかります」
「そうそう。侑子さんは、スポーツやってるから話がしやすいね」
 侑子さんは、とキシモトさんはいった。
「それ読んで、ライトがそうなのは、アメリカでも同じなんだな、と思って」

 

 帰り支度をしているとわたしたちの前を右手に白いオウムを乗せた髪の長い女性が通り過ぎた。わたしと同じくらいの年齢だろうか。綺麗だった。オウムは手首あたりにつかまっていて、オウムの顔が女性の顔くらいの高さにあった。くちばしは黄色、きらきらした黒髪のストレートヘアを肩甲骨の下まで垂らした女性はオレンジのシャツワンピースにジーンズを合わせていた、オウムも女性も背筋が伸びて美しかった。
 女性は微笑みながら子どもをあやすように、何事か話しかけていた、オウムは答えないがいつもそうしている光景に見えた。わたしとキシモトさんは顔を見合わせた。キシモトさんも微笑んでいた。わたしはどんな顔をしていたか、わたしにはわからなかった。

 

(つづく)
「踊る回る鳥みたいに」第13回は2022.3.4(金)掲載予定(毎週金曜更新)です。

 

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【参考文献】

*1:2014年公開、ベネット・ミラー監督。ジョン・デュポンが起こしたデイヴ・シュルツ殺害事件を題材とした伝記映画。上記【参考文献】参照。

*2:米作家、スチュアート・ダイベックによる短編「右翼手の死」Death of the Right Fiielder。作品集『シカゴ育ち』所収。上記【参考文献】参照。