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【連載小説】「踊る回る鳥みたいに」――第15回(最終回) “オンブラッセ・モワ”

 

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「踊る回る鳥みたいに」作:津森 ソト

 

【「踊る回る鳥みたいに」これまでの連載(第1回~第14回)】

第1回“どんぐりのスポセン
第2回“チューニング”
第3回“冷凍パインを砕く”
第4回“しおりさんのトリートメント”
第5回“もしも音楽に、苦痛が伴うとしたら”
第6回“透き通った最初の言葉を聞いて”
第7回 “好きになるまでは呼び捨てなのに(あるいは、エッセンシャルオイルから化粧水を作るレシピ)”
第8回 “ムーミン谷は閉店中”
第9回 “タイムリミット・サスペンス”
第10回 “おっちゃんのリズム”
第11回 “笛と鳴き声”
第12回 “ベースボールのフィールドではない場所はどこにもない”
第13回 “童話の雪辱”
第14回 “この現実が、映画や芝居のセットみたいなものだと考えたら”

 

十二 オンブラッセ・モワ

 

 下を見ると、キシモトさんが抱っこひもで赤ちゃんを抱っこして、本を読みながら堤防沿いを歩いていた。わたしは全室オーシャンビューのホテルのスイートルームのバルコニーから見下ろしていた。いとこの結婚式はこの街にあるバブル期に建てられたお城のようなホテルで開かれた。わたしはバブルなんて知らないが、バカにしたものじゃなくて趣味がいいとはいえないかもしれないがロビーは大理石で天井は吹き抜けで開放感があり、式場は楕円形の天井のコンサートホールのような空間で、バスキアのような天井画が描かれていて新郎の友人たちのジャズバンドはその空間音響に驚いていた。なにしろこのスイートルームで、親族控え室にあてがわれたこの部屋はアメリカの青春映画でよくある学生たちの「親の居ぬ間のホームパーティ」的な乱痴気騒ぎで出てきそうな感じでベッドルームが三室、バスルームが二室あって何人泊まれるんだという感じだった。しかもここはあくまで控え室扱いだからこのスイートには誰も泊まらない予定だった。泊まらないのに一晩中借りられることになっていた。わたしたちは昨日の午後の結婚式のあと、親族で集まって夕食に仕出しの中華料理をとって、親戚同士らしい世間話をして、メロンを食べてケーキを食べて子どもたちと遊びテレビを見て、すなわち親戚の誰かの家での集まりと同じように過ごした。
 子どもには部屋が広いだけでじゅうぶんで、まして家にはないような広く大きなソファーがあってカズちゃんをはじめ同じくらいの年齢の子どもたちが三人いてソファーに走り込んで飛び込んで前回りをしては妹や彼らのお母さんたちに「あぶないよ!」と注意されていた。母の妹の夫である浩志伯父さん、わたしたちはただ浩志さんと呼んでいて本人のいないところではただヒロシと呼んだりして大人には軽んじられるところのある浩志伯父さんは子どもみたいな、というより子どもが憧れる無邪気さがあって子どもたちに好かれるのだが、浩志さんがオットマンのついた革張りの馬鹿でかいマッサージチェアを使いだして、「これすごいねー。こんなに快適なの使ったことないねー」といったのでカズちゃんが「何それー? マッサージの? 大きいなァ。うちのの三倍くらいあるなァ。十倍くらいあるなァー」といった、具体的な数字をいうのがカズちゃんは好きだな、と思ったが倍数の感覚は子どもなりでおかしかった。カズちゃんは浩志さんのひざの上に乗ったり、マッサージチェアに寝そべる浩志さんの上に仰向けになって重なって、ゆっくり起き上がる「ゆうたいりだつー」というもうテレビでは何年も見ない芸人のモノマネをしたりしたが、他の子たちは二人で追いかけっこをしていてこれくらいの子は一緒に遊んでいてもずっとべったりではなく急にくっついたり離れたりするのだ、わたしは小学校に入って親友!と思っていたキートンといつも一緒にいて肩を組んで歩いて通学したことが強く記憶に貼りついていてそれ以前のことを忘れていたがカズちゃんたちを見ていたらこうだったのか、と思った。
 昨夜のことを思い出しながらわたしは外を眺めていたらキシモトさんが歩いていた。わたしはキシモトさんに子どもがいることも、結婚していることも知らなかった。わたしはキシモトさんとそういう話はしなかった。とはいえキシモトさんの子どもであるかはわからないし、だとしたら結婚しているかもわからない。どちらにしてもわたしはそういうことを聞かなかったし、わたしの意識ではキシモトさんと付き合っていたわけでもないし、今キシモトさんを見ていて腹が立つような気はしなかった、上空をトンビが飛んでいてキシモトさんをつついてやれくらいには思ったけれど。雅文くんが以前、山の中の河川敷でお弁当を広げていてトンビが飛んできて頬を引っ掻かれたのを聞いたとき、わたしはカズちゃんじゃなくてよかったね、といった。キシモトさんの胸に抱かれた赤ちゃんは幸せそうに見えた。眠っているようだった。本なんか読んでないでちゃんと前向いて歩けよ、とは思ったが堤防沿いは車道からは離れていて高さもあって車の心配はないし、ずっと直線で前を歩く人も今は見当たらなかったからそうやって歩くにはうってつけの場所といえて、わたしに子どもがいたらこんなのもいいかもしれないとも思った。
 キシモトさんは何を読んでるんだろうな、と思っていたらキシモトさんは本を閉じてポケットからイヤフォンを取り出して片耳だけ入れて何かを聴き始めたみたいで、すぐに赤ちゃんの頭に添えている方じゃない左手をひらひらさせて、上から見ていてもわかるくらい、リズムを取りながら踊るように歩いた。
 わたしがキシモトさんと聴いたのは市川愛さんの"Country Roads"だった。わたしがキシモトさんといつか聴こうと思っていたのはPendentifの"Embrasse Moi"だった。タイトルはわたしにキスして、という意味らしいが、フランス語だし、歌詞を読んだことはなかった。
 トンビは見える範囲で二羽飛んでいた。もしそれがつがいのハクトウワシなら互いの足を絡ませて、回転しながら地面すれすれまで急降下していく。ハクトウワシは日本にはいないし、この街にもいなかった。キシモトさんはなおも軽く踊るように歩いていた。わたしから見て左の方へ。左の方へ。わたしはポケットからスマートフォンを取り出した、少し考えて窓をそっと開けて部屋に戻り、鞄からイヤフォンを取ってきた。鞄に入っていたのは有線のイヤフォンだった。昨夜のスイートのベッドで、カズちゃんが眠っていた。広い部屋ではしゃいで興奮したカズちゃんは、わたしとここで寝るといった。妹は先月生まれたばかりの次男と一緒だったから、カズちゃんの希望は叶えらえた。カズちゃんを起こさないようにバルコニーに再び出て、わたしはPendentifの"Embrasse Moi"を聴いた。ヴォリュームは小さめ。空は真っ青に晴れていたが、十月の午前八時は涼しいというより少し肌寒いくらいだった。遠ざかっていくキシモトさんの背中を見ながら、わたしはPendentifのキラキラした音に合わせて踊った。
 キシモトさんは何を聴いているのだろうか、左耳で。右耳を入れなかったのは赤ちゃんのために、聴覚を遮断しないためだろうか。外の音をただ聴いていたいから? あそこなら波の音が聞こえるだろう。わたしは片手に持ったスマホのヴォリュームを上げて、昔のiPodのCMみたいに、スマホを持ったまま、両手を上げて腰を使って、イヤフォンのコードを揺らしながら踊った。フランス語で歌い出したPendentifはサビで英語になった。わたしはこの人たちのことをよく知らない。この曲が好きなだけだ。キシモトさんのこともよく知らないけれど、好きなところはいくつもあった。堤防は漁港のところでいちど途切れるから、キシモトさんは折り返してくるだろう。そのときわたしはここで踊っていたら、キシモトさんは気づくだろうか。わたしは気づかせるべきだろうか。"Embrasse Moi"は終わろうとしていた。わたしは踊るのが楽しかった。

 

(了)

 

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【参考文献】

Mafia Douce

Mafia Douce

Amazon

「Embrassse Moi」を収録したPendentif、2013年のアルバム。

 

【以前の記事から:本作は今回で連載終了となりますが、今後加筆・修正の上KDPにて電子書籍として刊行する予定です。その過程で気づいたことなども、別途記事として更新できたらと考えています。】

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