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【連載小説】「踊る回る鳥みたいに」――第8回 “ムーミン谷は閉店中”

 

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踊る回る鳥みたいに-008

「踊る回る鳥みたいに」作:津森 ソト

 

【「踊る回る鳥みたいに」これまでの連載(第1回~第7回)】

第1回“どんぐりのスポセン
第2回“チューニング”
第3回“冷凍パインを砕く”
第4回“しおりさんのトリートメント”
第5回“もしも音楽に、苦痛が伴うとしたら”
第6回“透き通った最初の言葉を聞いて”
第7回 “好きになるまでは呼び捨てなのに(あるいは、エッセンシャルオイルから化粧水を作るレシピ)”

 

八-1-1 ムーミン谷は閉店中

 

「これでいいんじゃないですか」
 わたしのAirPodsの片耳を、キシモトさんに渡した。『はじまりのうた』という映画の、有線イヤフォンをスプリットして二人で音楽をシェアする一夜みたいに、他にいくらでもやり方はあると思うが、聴きながら話しながら歩くのには、これでちょうどよかった。わたしのスマートフォンのライブラリに入っている、市川愛さんの歌うスタンダード・ナンバーを二人して聴きながら、川沿いの道を歩いた。
 わたしはキシモトさんのスマートフォンを手にして、写真を撮って歩く。
「ほらこれ、木に風鈴が吊ってあります」
「ここでも、廃屋みたいだね」
 紐で庭木にくくった風鈴は磁器でできていた。人差し指でつついてみた。チン、と音がした。
 川沿いの遊歩道は桜並木だ。一本の幹に説明札がかかっていた。わたしは声に出して読んだ。
「『ソメイヨシノ。エドヒガンとオオシマザクラからできた品種といわれ、生長が早いので、明治末には全国に広まりました。名は江戸染井の植木屋から出たもの。バラ科』
 こういうのって、声を想像して読んじゃいませんか?」
「どういうこと?」
「こういう説明書きって当たり前だけど、話し手がいないじゃないですか? ただ書いてあるだけで。これだったら管理者の名前も書いてないし。でもわたし、誰かを想像しちゃうんです。誰かって、具体的な誰かじゃないんですけど」
「葉桜もいいよね。この枝の、苔むしている感じとか」
「そうですねえ」ただ、綺麗っていうんじゃないところが、と口に出していわなかった。
 喋りながらも、あまり足を止めずに歩いた。横断歩道があって、わたしたちの前を自転車に乗ったおじいさんが通り過ぎた。猫背で、麦わら帽子をかぶっていた。横断歩道の向こうにも、川沿いの遊歩道が続いていた。駅の方向までは四キロくらいあるんだっけ。まだ時間もたっぷりあった。
「朝の散歩っていいね。こんな時間に歩くことってなかったなー。今は午後、しかもどんぐりのトレッドミルで歩いてるだけだもんなー」
「あれ? 走ってませんでしたっけ」
「うん、昔切ったアキレス腱が疼いてしまって。無理したのかな、やめた方がいいかな、って、今は歩いてる」
「じゃあプールだけの方がいいかもしれませんね。っていうか今日は大丈夫なんですか?」
「いいのいいの、今日は」
 といってキシモトさんは、青になった信号を小走りで渡った。わたしは後ろから歩いてついていって、いった。
「あんまり離れちゃうと聴こえなくなっちゃいますよ」
 市川愛さんが今日も、ジョン・デンバーの"Country Roads"を歌っていた。

 

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 "Almost heaven"、なんて歌い出しの歌が他にあるだろうか。
「この歌、カズちゃんが好きなんですよ」
「カズちゃんて、甥っ子の?」
「そう。妹のダンナの雅文くんが、カズちゃんを乗せてお馬さんごっこをするんですけど、そのときに歌ってるの。アニメの訳詞の方じゃなくて、この、もとの英語で歌うんですよ、雅文くんが教えたみたいで。
 かんとりろーていくにほーとぅーざぷれーあいびろー、
 うぇすばじにあーまうんてままーていくにほー、
 かんとり、ろー、
 って感じかな、かわいくて」
 川と反対側の道路脇の家にはプランターの家庭菜園が並んでいた。自分では育てないくせに、こういうのを見るのは好きだ。プランターを並べている家は、いつも「こんなにいっぺんに育てられるの?」というくらいたくさん並べている。プランターの合間に雑草も生えていて、ヒメジョオンがいつものように高さを競っていた。
 川沿いの道を離れて、駅の方へ向かった。
 知っている場所でも、写真を撮りながら歩いてみることで気づく変わった商店や看板があるもので、お笑い芸人とか文化人とかにも、スナップ写真をネタに遊ぶ人が絶えない。わたしたちは見えているようで見えていない。
「厨房・日用品のデパートだって」
「エターナル・レディース・クリニック。エターナルって、『永遠の』でしたっけ?」
「側溝の蓋に籠が描いてあります」
「素敵ホビーの世界。プラモ、鉄道、エアーガン、こちら側」
「山本裏地店」
 朝の歓楽街。雑居ビルのテナント名が縦にずらっと並んでいた。「ひょうきん館」「アルカディア」「ラッキーヘブン」「プライド」「菜々」「リアル」「スナック次元」「スナック止まり木」「サンゴ礁」。
「見てみて。『ムーミン谷』がありますよ」
「ほんとだ」
 かすかに笑いながらキシモトさんが答えた。「ムーミン谷」は一階が商店、二階が店主の住居でありそうな古いお店に見えたが、一階にはシャッターが下りており、二階の窓は閉まっていた。廃業しているのかもしれない。
「ムーミン谷、閉まってますね」
「おかしいね」
「ですね。あ、イヤフォン、切れちゃった」
 充電が切れてしまったみたいだ。「あ、そう。こっちはまだだけど――」
「市川愛、よかったね」
「でしょう? 今度キシモトさんもそのCD買ってください」
「サブスクで聴けるんでしょ?」
「だからですよ。わたし、市川愛さんのファンだから」

 

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 ウクレレ教室のある駅前に近づいてきた。時間もちょうどいいくらい。この時間をでも、もっと引き伸ばしたいくらいだけれど、残り時間が決められているのも悪くなかった。
「本なんてさ、一冊読んでもワン・ワードくらいしか覚えていないじゃない」
 だから一応、こうやってメモっておくんだけどさ、とキシモトさんはいった――だけどそれも頭のなかに持ち運べないからいっしょで、こういうのはウィキペディアとかYouTubeに検索すればあるのとどう違うのかはわかんないんだけど。――文庫くらいのサイズのノートを肩から斜めがけにしたサコッシュから出して、キシモトさんは読み上げた。
「『たった今、理不尽なスクール・ライフを送っている子どもたちへ。そして人生という長い放課後を生きる大人たちへ』*1
「わあ、でもそれすごくいいですね」
 そういえば昔から男性はカバンを持たずに歩いている人が多いように思っていたが、今はどうなんだろう? 今は、というのも変だけれど、大人で、今に「乗り遅れている」感覚のない人っているのだろうか? キシモトさんのサコッシュはかわいかった。サコッシュといってもキャンバス地ではなくて、ナイロン製で明るい、黄緑に近いグリーンのボディに紫色の肩ひものカラーリングがきれいだった。カズちゃんは紫のことを、
「パップゥ」
 という。幼稚園で英語を習っているらしい。「いい発音ね」というとご満悦で、
「パッ。ップゥ」
 と、さらに撥音を強調して少し変な感じになるのも面白い。発語するのが面白いんだと思う。
「これ、書き出しの一文なんだよね。しかも、前書きの。アメリカ青春映画をめぐる分厚いガイドブックなんだけど、覚えているのはいくつかのタイトル、と、この書き出しくらいだよ。
 これだって丸暗記できないもんね」
 駅舎は数年前から「トレインアート」といってこの街の周辺の他の駅舎と同じく、アーティストによってペインティングが施されていた。その絵を見ても「すごい!」とか「感動!」とか思わないけど、公共建築や遊歩道や公園に彫刻がたくさん作られた時期があったのと同じで、こういうものも街に溶け込んでいくのだろう。
 わたしたちが頭のなかに持ち歩いているのはこういうものかもしれない。でもそれを、一緒にいる人、今ならキシモトさんと口に出して共有することはあまりない。
「でも、読んでいて、面白かった、よかったっていう気持ちだけは残るもんね」
 とキシモトさんはいった。

 

(つづく)
「踊る回る鳥みたいに」第9回は2022.2.4(金)掲載予定(毎週金曜更新)です。

 

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*1:長谷川町蔵・山崎まどか 共著『ヤング・アダルトU.S.A. (ポップカルチャーが描く「アメリカの思春期」)』(DU BOOKS)より。