ソトブログ

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「新しいピースで埋めていく」――梨木果歩『ほんとうのリーダーのみつけかた』/長男のオリーブ茶/『働くことの人類学』/ハラリ『サピエンス全史』/『ランニングをする前に読む本』/具志堅用高さん/「生きのびるブックス」のこと。

 

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欠けたところを、「新しいピース」で埋めていく。

 

 自分の気持ちにふさわしい言葉を、丁寧に選ぶという作業は、地味でパッとしないことですが、それを続けることによってしか、もう、私たちの母語の大地を豊かにする道はないように思うのです。

梨木香歩『ほんとうのリーダーのみつけかた』(岩波書店)所収、「ほんとうのリーダーのみつけかた」より。

 

 わたしは先日、ある人から、いい言葉を教えてもらいました。以下、その大意(わたしにその人が話して下さったその言葉を、わたしなりに咀嚼して、脚色してあります)。

 

「あなたという存在を、いくつものピースによって構成された、あるかたちを持ったものと想定しましょう。何かのきっかけで、その一部が崩れたり、欠けたりして、あなたはバランスを失ってしまったとします。――そんなとき、あなたはその欠けたピースを、『元の通りに修復しよう』というふうに、努力してはなりません。そのようにして、結果『元通りの自分』を取り戻したとしても、そのときのあなたは文字通り、

何かのきっかけで、ピースが欠ける前の状態

 に戻るだけなのです。すなわち、『元通りの自分』は、やはり『何かのきっかけ』と同じトリガー/トラップによって、容易に崩落してしまうことになります。
 あなたを構成する一部を失ったとき、あなたはどうするべきだと思いますか?――答えは自明です。欠けた部分を、今までのあなたの持っているものとは違う、『新しいピース』で埋めましょう、ということです。」

 

 わたしは想像してみました――ことを単純化して、今のわたし自身が、トウモロコシ畑やコーヒー農園、梅林のようなモノカルチャーの農作地だとしましょう。天災によって、その一部が失われた、そのとき、わたしはそこで、トウモロコシやコーヒー、ウメをもう一度植え付ければいいわけではないのです。――何か他の作物を育ててもいいし、その土地を、もっと別のことに使ってもいい。多様性、ダイバーシティをわたしのなかに育てていくこと。世界のありようは、人類が歴史のなかで造り上げてきたナラティブに沿って一様に見えている場所や事柄であっても、そもそもはダイバーシティに満ちているのです。

 12歳の息子が先日、庭に植えているオリーブの葉を炒って、オリーブ茶を作ってくれました。めちゃくちゃ美味しかった。今まで飲んだどんなハーブティーとも違う、初めて飲んだ味。

 

「ひとつのことをするやつら」/『サピエンス全史』に描かれた狩猟採集民としての人類。

 

 アフリカ南部のカラハリ砂漠に住んでいる狩猟採集民(「ブッシュマン」と呼ばれてきた人たち)の総人口は現在約10万人。彼らは現在、ブッシュのなかで狩猟採集だけて生計しているわけではなく、都市部や開発プロジェクトが進む定住地や農場など、様々な場所に生活拠点を持って暮らしているといいます。しかし、彼らのアイデンティティの核には、こんなことがあるそうです――。

 

丸山 現地のことばで「ツィサ・クル」と言うんですけど、「ツィサ」は「ひとつのこと」を「クル」は「する」を意味します。だから「ツィサ・クル」というと、「ひとつのことをする」という意味になって、「ひとつのことをしろというやつらが来た」とか、「ひとつのことをするやつらが言っている」という意味になるんです(笑)。彼らは「ひとつのことだけをしろ」と言われるのはものすごく抵抗があるみたいですね。賃金労働をやれとか、家畜を飼えとか言われることそれ自体に抵抗があるんじゃなくて、「ひとつのことだけをやれ」みたいなのはなんか変だよね、それってなんだろうね、みたいな。

松村圭一郎・コクヨ野外学習センター編著『働くことの人類学【活字版】 仕事と自由をめぐる8つの対話』(黒鳥社)所収、第1部「働くことの人類学」第2話「ひとつのことをするやつら 丸山淳子」より。

 

「集合的に見れば、現代社会の知識量は石器時代の共同体を大きく凌駕しています。でも個人のレベルで言ったら、歴史上いちばん知識や技能が豊かなのは、昔の狩猟採集民なんですよ!」
『漫画 サピエンス全史 人類の誕生編』(原案・脚本/ユヴァル・ノア・ハラリ、河出書房新社)より。

「狩猟採集民は何十種もの動植物を食べていたので、食料の蓄えがなくても厳しい年を乗り切れた。1つの種が不足しても、別のを集めたりすればいいから」「ほとんどの農耕社会ではごく最近まで、栽培化した数種の植物だけに頼ってカロリーを得ていたのよ。主食が1種類しかない場所もたくさんあった。小麦、ジャガイモ、米ね」「干ばつやイナゴの大群、菌の感染で作物がだめになれば、農耕民は何千人、いえ何万人と死んでもおかしくなかった」「1847年にはアイルランドのジャガイモが壊滅的な被害を受けてね。大勢の人が餓死したりアメリカに移住したりした」
『漫画 サピエンス全史 文明の正体編』(原案・脚本/ユヴァル・ノア・ハラリ、河出書房新社)より。

 

 イスラエルの歴史学者、ユヴァル・ノア・ハラリの世界的ベストセラー『サピエンス全史』。わたしはわたしの父、つまりわたしの子どもたちの祖父が、わたしの長男に入学祝いとしてプレゼントしてくれた――わたしと息子で選んだ本ですが――漫画版(現在、『人類の誕生編』『文明の正体編』の2巻まで刊行)と、Amazon Audibleで音声版の上巻を読んだ(聴いた)だけで、的を射ているかわかりませんが、同書は狩猟採集民の暮らし、知見が見直されるきっかけを開いた文献のひとつでしょう。農耕・定住によって人類の繫栄が約束された、というナラティブをわたしたちは長らく信じてきたのですが、それも物語のひとつでしかなかった、というわけです。

 

「ヒトは、長距離を走るために進化した」

 

 わたしは最近ジョギング、スロージョギングを始めました。マイク・スピーノ『ほんとうのランニング』(木星社)と、田中宏暁『ランニングする前に読む本 最短で結果を出す科学的トレーニング』(講談社ブルーバックス)という2冊の本がきっかけですが、後者にもこのようなことが書いてあります。

 

「ヒトは、長距離を走るために進化した」という仮説があります。アメリカの人類学者、デニス・ブランブルとダニエル・リーバーマンが2004年に『ネイチャー』誌で発表し、全米のベストセラーとなったクリストファー・マクドゥーガルの著書『Born to Run』で紹介されたことでも話題となりました。
 簡単に説明すると、ヒトは二足歩行をするようになったことで、長時間走り続けて獲物を捕らえることができるようになり、繁栄できたという説です。ブランブルらは、人間の身体を調べた結果、長距離走に非常に適した構造であるということも明らかにしています。
 人類が農耕、牧畜で定住生活を送るようになってからわずか1万年ですから、20万年の人類の歴史のなかで、ヒトは大半の時間を狩猟採集で生きてきたわけです。
 今も狩猟採集生活をしているアフリカの部族を調査したところによると、狩りでは、平均時速10km前後で35km、獲物を追走しています。狩猟民でなくても、ヒトは電車や自動車などの交通手段を持たなかったつい最近まで、時速6km以上の速度で移動することを日常茶飯事としていたはずです。

田中宏暁『ランニングする前に読む本 最短で結果を出す科学的トレーニング』(講談社ブルーバックス)より。

 

「今の自分と過去の自分は並走している」と、考えてみたら。

 

 話をわたしの小さなインナースペースへ戻しましょう。わたしは、「過去の自分が今の自分を形作ってきた」と考えていました。換言すると、「過去のわたしが自分を制約している」ということにもなります。「過去の失敗や成功が、今の自分を縛っている」とも。とりわけネガティヴなことについては、その思考の枠組み、わたしが造り上げたこのナラティブに縛られてしまう傾向が強くあるように、わたしは思っています。

 

 しかし、「今の自分と過去の自分は並走している」「過去のわたしは今のわたしと同時に存在している」と考えてみたら――? わたしは、人間は窮極的には孤独な存在だけれども、孤独なわたし自身は、常にひとりじゃないのだ。そんなふうに捉えることもできそうです。

 

 わたしは20代のとき、たった数年間ではありますが、雑誌や書籍の編集者をしていました。その間唯一、一冊丸ごとライティングを担当した本があります。

 

具志堅用高脳内ファンタジー ちょっちゅね!』(ワニブックス、2005年)。

ちょっちゅね!

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 当時、元プロボクサー(世界チャンピオン)、ガッツ石松さんの語録や「伝説」が流行し、書籍としても『最驚!ガッツ伝説』(光文社、2004年)にまとめられ、ベストセラーとなりました。そこで、ガッツさんと同じようにユーモラスな言動で知られていた具志堅用高さんの本の企画が出版社で立ち上がり、そのライティングをわたしが所属していた編集プロダクションが請負うこととなりました。そして「若いスポーツ好きのライターに」というオーダーで、駆け出しだったわたしに担当させていただく機会が巡ってきました(わたしがとりわけボクシングに詳しいということではなかったのですが、偶々、他に手の空いているスタッフがいなかったのか、新人のわたしに期待乃至発破をかけていただいたのか、今は思い出として大変不遜ながら、後者として捉えておきたく思います)。

 

 出来上がった本は期待したほど売れなかったようで、――担当したわたしが、具志堅さんという素敵な方の、本質的な「面白さ」「愉しさ」に迫ることができなかったことで、本当に「笑える」本にならなかったのかもしれないと、今振り返ると思われて、当時のわたしの未熟さが悔やまれてなりません。
 しかし、執筆にあたって、「世界王座防衛13度」という、当時も今もボクシング日本人男子の最多記録として燦然と輝く具志堅用高さんの記録とその戦いぶりを、ドキュメンタリー・ビデオで改めて観て、その強さに驚愕したこと、そしてご本人・具志堅さんに、直接お会いする機会を得てインタビューをしたことは忘れられません。
 本書の冒頭にある「具志堅用高よりごあいさつ」という短い巻頭言と、巻末に置かれた、雑誌『Sports Graphic Number』で書かれるようなスポーツ・ライティングを、当時の未熟なわたしなりに意識して書いた「本当にすごい! 具志堅用高最強伝説」は、そのインタビューや各種資料をもとにしたものです。とりわけ巻頭言は、具志堅さんの率直でサーヴィス精神に溢れ、しかし強さと優しさの同居したお人柄をテキストに表すことができたのではないかと自負しています。それはこんな文章です。

 

 僕が人生を学んだのは、故郷・沖縄県石垣島の海と大地、ボクシングのリングの上。それがすべて。だから、引退後はテレビのクイズ番組に出ても、ルールがわからないし、何を言っているかわからない。わからないからチンプンカンプンなことも言って笑われることもあった。現役のときだってそう。標準語が理解できなくてうまくしゃべれずに見当違いのことを言って、面白おかしく書かれることもあった。
 でも僕はそれを恥ずかしいとは思わない。石垣島での少年時代に学んだことがふたつある。
「てーげー」と「なんくるないさー」。
 のどがかわけば、「ここをまっすぐ行けば川が流れてるな。そこに行けば水が飲めるなあ」。おなかがすいたら、「サトウキビかじれば大丈夫」。そういう生活だった。
 つまり「てーげー」は「だいたい、適当」、「なんくるないさー」は「なんとかなるさ」。石垣島での生活はそんな感じだった。それが僕の人生の基本になっている。
 僕が言ったりやったりしたことは、全部素直な気持ちで言ったこと、やったこと。この本を読んでくれる人のなかには、現役時代の僕を見たこともなくて、「ヘンおじさんだなぁ」って思う人もいるかもしれない。でも素直な気持ちでこの本を読んで笑って、「なんくるないさー」って思ってくれたら最高だね。合言葉は「てーげー」と「なんくるないさー」、そして「ちょっちゅる、ちょっちゅる!」。これは今年流行るから、覚えておくように!

『具志堅用高脳内ファンタジー ちょっちゅね!』(ワニブックス)、「具志堅用高よりごあいさつ」より。

 

「生きのびるブックス」という屋号に込められたもの。

 

 この文章も長くなりすぎたのでこの一例に留めますが、わたしがあのとき、具志堅さんから受け取った「てーげー」と「なんくるないさー」というマインドセットは、当時のわたしが今ここに、今のわたしとともにあるように、今のわたしを構成しているのだ、と言えるのだと思います。
 わたしがたった一年で辞めてしまったそのプロダクションは今般、出版社を立ち上げて、素晴らしい本、凄そうな本を次々に世に問おうとしています。その第一弾が、わたしが先日購入したばかりで今まさに読んでいる、哲学者・森岡正博さんの『人生相談を哲学する』という本です。出版社の名は、

 

生きのびるブックス

 

 といいます。あまりにも恰好良くてゾクゾクします。社長のSさんらしい、そして今という時代にふさわしい社名だと思えます。
 「生きのびるブックス」という言葉のまとまりをも、今のわたしを更新する、新しいピースのひとつとして考えたっていいんじゃないか。そんなふうに思ってみたい。いいでしょう、Sさん? そしてわたし自身も、Sさんが(もしかしたら、社名を考えられたのは、社内の他の方かもしれませんが、そうであるならば、その方が)、「生きのびるブックス」という「ふさわしい言葉」を選ばれたように、「自分の気持ちにふさわしい言葉を、丁寧に選ぶという作業」を、これからも続けていくのだ。わたしも、この冗長な拙文をここまで読んでくださった、あなたも。

 

人生相談を哲学する

人生相談を哲学する

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【関連リンク】

※「生きのびるブックス」とは、出版社としての屋号でもあり、同社主催のウェブマガジンのタイトルでもあるそうです。)

 

【以前の記事から:「マインドフル・ランニングの名著」を読んで思いがけず、野鳥に出逢う。】

ブックレビュー“読む探鳥”:マイク・スピーノ『ほんとうのランニング』――読んで鳥に出逢い、走れば傍に鳥たちが。 - ソトブログ

 

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