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【連載小説】「踊る回る鳥みたいに」――第6回“透き通った最初の言葉を聞いて”

 

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「踊る回る鳥みたいに」作:津森 ソト

 

【これまでの連載(第1回~第5回)】

【連載小説】「踊る回る鳥みたいに」――第1回“どんぐりのスポセン
【連載小説】「踊る回る鳥みたいに」――第2回“チューニング”
【連載小説】「踊る回る鳥みたいに」――第3回“冷凍パインを砕く”
【連載小説】「踊る回る鳥みたいに」――第4回“しおりさんのトリートメント”
【連載小説】「踊る回る鳥みたいに」――第5回“もしも音楽に、苦痛が伴うとしたら”

 

六 透き通った最初の言葉を聞いて

 

 ウクレレのレッスン。
 初回はウクレレの持ち方、構え方、チューニングの仕方、簡単なコードの押さえ方、練習の仕方、という教則本の一番最初に載っているようなごくごく基礎的なことで、自分が練習していたことを確かめるような感じだった。
 先生は四十歳前後だろうか、男性だが、少しカールした肩にかかるくらいの髪を後ろで束ねていて、アロハシャツを着て背が高く、小さく見えるウクレレを持つ手がしなやかで、かっこいいと思った。
 ふだんわたし自身、人に教えることを仕事にしているから、こういうときに先生のあらを探してしまうものだが、そんなことは全然気にならなかった。見つからなかった。初歩的なコードを押さえながらのエイトビートのストロークを練習したあと、先生がいった。
「何か今日のところで、わからないこと、聞いておきたいことはありますか?」
「コードを押さえる左手の持ち方が難しいな、と思って。コードチェンジがスムーズにいかないんです」
「うん。持ち方はですね、最終的には人それぞれ、一番合った持ち方をすればいいってことになるんですけど、例えばわたしの場合は――」
 そういって先生は、親指と他の四本の指で、つまむようにしてウクレレのネックを握って、コードを移動していった。C、Aマイナー、F、Gセブン、C――。滑らかな指の動きに見とれているうちに一回目のレッスンは終わった。

 

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「それ、マックス・エルンストの絵みたいね」
 ウクレレのレッスンで、先生の指の動きに見とれていたことを話すと、しおりさんはいった。しおりさんには、二、三ヶ月に一回くらいのペースで施術をしてもらっていて、そのあとでしおりさんの行きつけのカフェでお茶をする、というのが恒例になった。ハーブティーと餡蜜がおいしくて、いつも話が弾んだ。しおりさんと話すのは楽しい。
「ちょうどこういう本を読んでいたとこでさ」
 しおりさんはかばんから文庫本を取り出してわたしに表紙を見せてから(横尾忠則『名画裸婦感応術』*1という本だった)、パラパラとめくり、栞の挟まれた頁をひらいた。
「『僕がこの絵をこの欄でとりあげた理由はすでに書いた。手が女の裸のように見えてエロティックだからである。こんな風に指を交差しただけでわれわれの想像力は急に飛躍してしまう。もし交差していなければ、ただの指でも誰も女の裸を想像したりはしないだろう。いったんこの手が女の裸に見えてしまうと、もう目はそうと決めつけてしまう。』――こんな絵なんだけどね」
 そういってしおりさんが渡してくれた文庫本の図版には、画面に大きく板塀のようなものが描かれて、上部に穴が空いている。穴からは人の手首から先が覗いていて、人差し指と中指を交差させて、交差したまま赤い、さくらんぼくらいの小さな球をつまんでいる。たしかにいわれてみると、交差した指が裸の女性の脚のように見えてくる。
「しおりさん、最近絵描いてますか?」
「たまぁーに、ね」
 しおりさんは美大出身で、絵やグラフィックの職には就かず、今のセラピストになった。そういう人は多いのか少ないのかわからないけれど、しおりさんはスタイルも姿勢もいいから、絵を描くよりも描かれたり写真に撮られたりするようなタイプに見えるからしおりさんにそういったことがあるけれど、しおりさんはそのとき、
「でも今は、モデルを見ながら絵を描く、ってあまりしないんだよね」
 といった。
「そうなんですか?」
「そうだよ。写真に撮って、それを描くことの方が多いかな。少なくともわたしが美大に行ってたときはそうだった。それで少し、絵を描くことから興味が逸れていったのかもしれない、とは思ってて」
 今は庭から見える光を描いてるの、としおりさんはいった。「光?」「そう。見えているものを、わたしが見ているように描く。雨の日はだめで、外の強い光がよくて、今は夏だから描きたくなるときではあって」
「わたしはウクレレの先生と、センターの利用者の男性が気になってるんだと思うんです。
 それといつかの図書館の前のウクレレの青年」
「侑子ちゃん浮気性だね」
「じゃないですよ」
「あ、まだ誰とも始まってないもんね。いいなー、そういうの一番楽しいよね。わたし今はそういうのないなー」
 しおりさんは餡蜜に入った白玉団子をスプーンですくい、するっと口に入れた。ハーブティを二回に分けてカップに注ぎ、フー、フー。と音が聞こえるように吹いて冷まして、カップを口に運んだ。
「おいしい」しおりさんはいった。
「おいしいですよね」わたしはいった。
 わたしは文庫本をもう一度眺めた。マックス・エルンストの『透き通った最初の言葉を聞いて』という絵だった。

 

(つづく)
「踊る回る鳥みたいに」第7回は2022.1.21(金)掲載予定(毎週金曜更新)です。

 

【以前の記事から:本連載「踊る回る鳥みたいに」のスピンオフ、ショートストーリー。】

元日の朝――10年目のMoncler(モンクレール)のフリース・ジャケットを着て、山頂で。 - ソトブログ

 

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【引用文献】

*1:※上記リンク【引用文献】参照