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【連載小説】「踊る回る鳥みたいに」――第1回

 

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「踊る回る鳥みたいに」作:津森 ソト

 

一 どんぐりのスポセン

 

 夕方にはまだどんぐりの森に鳥たちがいる。スズメやシジュウカラ、カラスたちだ。夜なら不規則に――わたしからはそう見える――飛んでいるのはコウモリだ。

 

 帰り道は音楽が聴けるが、朝、通勤のときは聴けない。「呪い」というと極端な表現だが、どんなことばを使っても同じで、わたしにコントロールすることはできなかった。――そう、あれ、「そういうものだ」
 勤務先であるスポーツセンターは勝手口のようなものがなく、職員であっても、利用者と同じ正面玄関から出入りする。センターの開館時間は朝九時から夜九時まで。勤務はシフト制で、朝七時半から夕方四時半と、午後一時から閉館後の午後十時の二交替だ。
 夕方(鳥たちのいる夕方だ)に上がる早番の日は、まだ利用者がたくさんいるから、帰り際にあいさつしてくれる人がいる。年配の方が多い。バイクやトレッドミル、ウェイトマシンのあるトレーニングルームを出るときに、いつも柔道の蹲踞のポーズをとる、体格のいい田中さんが今日は来ていた。火曜日だった。
「侑子ちゃん上がり? おつかれさまー」
「はい、おつかれさまです! 今日はどうでしたか?」
「いかんね、もう年やね。段々手も足も動かんようになってきたよ」
 田中さんは口癖のようにいうが、六十代とは思えない筋肉質の身体で、トレッドミルのランニングもウェイトトレーニングも若い人に負けていないどころか、田中さんのいる時間に田中さんよりきびきび、美しい身のこなしで運動する人を、わたしはここで見たことがない。
 それでいていつも心地よいあいさつをして下さる。わたしの仕事はこういう人に支えられていると思う(それと鳥たち)。
 仕事は、いいことばかりではない。老朽化した機器のトラブルは多いし、料金や利用時間の苦情も多い。このスポーツセンターは市の施設で、わたしたち職員はしかし市の職員ではなく、運営を委託された会社から契約社員として雇用されている。契約は一年単位で、給料は正直、多いとはいえない。銀行で働く友達のハジメちゃんや、美容師として開業している妹より収入はずっと少ない。お金のことはけっこういつも考えている。
 お年寄りの利用者も多いから、怪我や体調不良など、万が一のことにはいつも気を使う。AEDなどの設備はあっても、医務室があるわけでも、医療関係者が常駐しているわけでもない。わたしはスポーツインストラクターだし、職員のなかで作業療法士のような医療職の資格を持っているスタッフも数えるほどしかいない。そのような資格を持っているなら、病院に勤めた方がずっと実入りがいいからだ。

 

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 センターの建物を出ると、かばんからイヤフォンを取り出して耳に突っ込むのだけれど、今日はかばんのなかにイヤフォンがなかった。Bluetoothの、無線のイヤフォンが当たりまえになって、トレーニング中や通勤のときに聴くのにはとても便利になった。スマートフォンから飛ばすことができる。でも、だから、今日みたいにイヤフォンだけ忘れてしまうことがある。違うかな? 無線じゃなくてもわたしはときどき忘れたり、なくしたりする。自分のことにはこの三十一年間で慣れたつもりでいるけれど、こういうときがっかりすることじたいは今も変わらない。
 センターのある敷地は広大な公園となっていて、その名も「どんぐりの森」という。「どんぐり」があるわけではないし、「森」でもない。疎林? 雑木林? よくいってそれくらいだけれど、一応トリムコースもあったりする。それでもみんな「どんぐりの森」と呼び慣れていて、「どんぐりのスポセン」とわたしたちの勤務先は呼ばれていた。隣には市立図書館があって、日中の図書館はお年寄りか主婦が多いけれど、夏から秋以降、受験生らしい学生も多い。小学生も中学生も高校生もいる。
 センターと図書館のあいだの、両施設共有の自転車置き場に向かってわたしは歩いた。その前は芝生広場になっていて、間にベンチが並んでいる。ウクレレを練習している青年がいた。わたしと同じくらいの年齢だろうか。そう見える大学生かも知れない。練習している曲は井上陽水の「少年時代」だった。
 青年を注視しているわけではなく、スズメが群れで飛び回るのをぼんやり眺めながら、彼の横をただ通り過ぎようとしたわたしが、それが「少年時代」だと気がついたのは、わたしの前を横切った女子中学生四人組がいきなり、ドレミで歌い出したからだった。
 青年も演奏を止めることなく、彼女たちもそのまま演奏に合わせて歌い続け、Aメロの終わりは、
「タララララララ、ラララララー」
 とスキャットした。わたしには区別がつかない容姿の女子中学生四人組は、それで図書館に入って行った。

 

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 わたしは突然バトンを渡されたようなものだった。今見た光景を、誰かに伝えなくちゃ。田中さんがいつもするみたいに、さっきしてくれたみたいに、わたしにあいさつをしてくれることと同じような、それは簡単なことじゃないかと思えたけれど、今のわたしには渡すべき人は見つからなかった。SNSにそのまま書き込むというようなことじゃない気がして、方法もわからなかった。自転車は高校生の頃に乗っていたのと同じものだ。今も、わたしの高校の自転車通学者用のステッカーが後輪の泥除けに貼ってある。わたしが実家に戻るまでの十年間、父が乗っていたから、自転車は今も現役なのだ。
「上手にメンテナンスしたら、何十年も乗れるものさ」
 と父はいっていた。ヘッドフォンからの音楽の代わりに、「少年時代」の歌詞を反芻しながら帰ったけれど、どうしても、
「タララララララ、ラララララー」
 のところが思い出せなかった。
 渡すべきバトンはわたしの手のなかにある。
「ボールは自分で持っていたらダメだ。必ず、相手に渡すこと。相手がボールを持っている状況を作ること。仕事ではそれが一番大事だよ」
 初めて働いた会社で上司に何度も聞かされた言葉だった。わたしが学生時代やっていたサッカーでは、ボールをキープすることが大事だったのに、会社では反対だったのだ! 社会では。

 

(つづく)
「踊る回る鳥みたいに」第2回は2021.12.17(金)掲載予定(毎週金曜更新)です。

 

【以前の記事から:本作は、連載完結後、KDPにて電子書籍として刊行する予定です。その過程で気づいたことなども、別途記事として更新できたらと考えています。】

知識ゼロから作る電子書籍の軌跡――My Own Way to KDP_001 - ソトブログ

 

【2022.2現在、連載継続中。以降のお話はこちらで。】

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