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ブックレビュー“読む探鳥”:ルシア・ベルリン『掃除婦のための手引き書』――既にそこにいるものたち。

 

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Review-A-Manual-for-Cleaning-Women ルシア・ベルリン『掃除婦のための手引き書 ルシア・ベルリン作品集』(訳 岸本佐知子、講談社)単行本:2019年7月、文庫:2022年3月

わたしたちには手持ちの駒しかない。

 

サミーがフェンスの向こうからわたしを呼び、ホープはテキサスのオデッサの親戚の家で暮らすことになったと言った。わたしはわざわざテキサスのオデッサと書く。前にいちど誰かが「こちらオルガさん。オデッサから来たの」と言ったときに、それがどうかしたの? と思ったが、それはウクライナのオデッサだった。この世にはホープが行ったオデッサしか存在しないと思っていた。

ルシア・ベルリン『掃除婦のための手引き書』所収「沈黙」より。

 

 わたしには、わたしたちには当然のことながら、手持ちの駒しかありません。わたしにとって高尾山といえば、このところ月に1回は登っている標高606メートルの、わが街のシンボルのことですが、首都圏の人たちにとって高尾山は、八王子市にある標高599メートルの霊峰を指すでしょう。ついでにいえば、わたしの高尾山は、「たかおさん」ではなく「たかおやま」。あるいはまた、ヴィム・ヴェンダース監督の映画『パリ、テキサス』(1984年)のパリは、テキサス州パリスという小さな街です。

 

 昨今、Conspiracy theorist(陰謀論者)たちは盛んに言い募ります。真実は視点によって変わりうる、真実はひとつじゃない、
「あなたにとっての真実が、わたしにとっての真実とは限らない。」
 と。わたしは今、同じことを3回書きましたが、わたしにとってそれが重要だからではありません。書かれ、発表されたテキストによって、その小説内の真実は確定する。彼ら陰謀論者の謂いよりも、この、小説における「リアリティ」を信じる者だからです。

 

 ルシア・ベルリンの本書奥付における著者紹介は、以下のように書かれています。これら全てが一人の人間の身に起こったことだとは思えないほどの、波瀾万丈の人生。

 

1936年アラスカ生まれ。鉱山技師だった仕事の関係で幼少期より北米の鉱山町を転々とし、成長期の大半をチリで過ごす。3回の結婚と離婚を経て4人の息子をシングルマザーとして育てながら、学校教師、掃除婦、電話交換手、看護助手などをして働く。いっぽうでアルコール依存症に苦しむ。20代から自身の体験に根ざした小説を書きはじめ、77年に最初の作品集が発表されると、その斬新な「声」により、多くの同時代人作家に衝撃を与える。2004年逝去。

 

 息子の一人が<「母は本当にあったことを書いた。完全に事実ではないにせよ、当たらずといえども遠からずだった」>(リディア・デイヴィスによる本書の序文「物語ことがすべて」より)と語っているとおり、実人生に基づく小説を書いたルシア・ベルリンですが、小説としてのリアルを獲得するために、事実は改変/脚色/編集されています。わたしは小説家が陰謀論者と同じだ、と言いたいのではありません。全く逆です。陰謀論者は自身の信じたいことだけを信じますが、彼らが実際に行っているのは、あらゆる解釈を肯定することによってあらゆる事象を全て無効化する、ということなのです。

 

わたしが本書を、“読む探鳥”として紹介する理由。

 

 わたしが本書を、“読む探鳥”本として紹介する理由は、例えば以下のような記述が、事実から着想したとは思えない、まるでカフカのように先の読めない短編小説のそこかしこに、さらりと紛れ込んでいるからです。

 

ともかくわたしは幸せいっぱいで、外のデッキに出て小鳥のエサをまいて、ナゲキバトやフィンチが何羽もやって来てエサをついばむのをほほえみながら眺めていた。そこに、ビュン、大きな猫が二匹デッキに上がってきて、あっと言う間に羽根を散らして小鳥たちをむさぼり食いはじめた。ちょうどそのときコテージのドアが開いて、精神科医氏が外に出てきた。彼は恐怖の目でわたしを見て、「なんてことだ!」と叫んで引っ込んでしまった。

ルシア・ベルリン『掃除婦のための手引き書』所収「星と聖人」より。

 

 ――これは彼女の人生に本当に起こったこと。そうとしか思えない文章、そう信じられる書き方、というものがあるのです。その意味で、真実とは、陰謀論者が「創作」してしまう玉虫色の無数の視点とは異なるものです。たまたま今引用した箇所は、わたしたちバーダー(野鳥愛好家)にとっては悲痛な光景ですが、彼女が、彼女の息子の友人――彼は<大麻にアシッド><ヤクでいかれたヒッピー>と、絵に描いたような不良少年です―とふたりで、明け方の用水路に何百羽ものツルの大群を見に行く「ティーンエイジ・パンク」など、バーダー垂涎の野鳥描写のなされた作品も、(もちろんそれが彼女の小説の主眼ではないだろうから、数こそ少ないけれど)いくつかあります。

 

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 猫好きでほとんどの小説に猫のことを書く小説家・保坂和志さんはあるエッセイで、こう書いています。<人間についての言葉は書かれすぎたんじゃないかと思う。(中略)人は人間の内面について書いてきた量と比べてあまりに少ない量しか、猫や犬やツバメやニワトリやそういった身のまわりにいる観察可能な人間でないものを書いてこなかったと思う。(エッセイ集『アウトブリード』所収「やっぱり猫のこと、そして犬のこと」より)。そのエッセイでは、武田泰淳『風媒花』を例に、主人公の内面の反映として子犬の死が<都合良く使われている>ことが触れられて、保坂さんは<ひどいじゃないか>といいます。

 

 ルシア・ベルリンの小説に描かれる鳥たち、生きものたちは、主人公の内面より先に、既にそこにいるものたちです。だからこそわたしはバーダーの端くれとして、その姿を、その声を、テキストのなかで見つけたい、聴きたいと願うのです。

 

『掃除婦のための手引き書』の底本、“A Manual for Cleaning Women”より、同書未収録だった19編が新たに、『すべての月、すべての年 ルシア・ベルリン作品集』として2022/4/22にリリースされます。

 

【以前の記事から】

いま読んでいる紙のうえの鳥たちが、目の前の窓の外にもいる――トマス・ハーディ『呪われた腕 ハーディ傑作選』 - ソトブログ

 

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