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森岡正博『人生相談を哲学する』(生きのびるブックス)を読んで。――「生きにくさ」という幸福から、絶望さえも下支えする根源的な希望へと。

 

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Review-Jinsei-Soudan 森岡正博『人生相談を哲学する』(生きのびるブックス、2022年)

「今年は詩を書きたいと思っています。」

 私は結局、今という時代を生きにくいと感じている人たち全員に共通することは書けなかった。生きにくさの内実は人それぞれに違うはずだから、一般論を書くことはできない。しかし、ひとつだけ言えることがある。《今みたいなこんな時代》を楽しく生きられることより、生きにくいと感じられる方が、本当のところ幸せなのではないか。人生としてずっと充実しているんじゃないか。
 これは幸せ・不幸せを定義するときに私がいつも感じる齟齬なのだが、自分が生きている時代をただ楽しいと思っていられる人は、その時代に適合するサイズの内面しか持っていない。時代が求めるもの以上の遠いところを見ているからこそ、その人は生きにくいと感じることができる。

保坂和志『途方に暮れて、人生論』(草思社、2006年)所収、「「生きにくさ」という幸福」より。

 

 わたしは2021年の暮れに岩波文庫版のエミリー・ディキンソンの詩集、『対訳 ディキンソン詩集』(亀井俊介 編、1998年)を読み終えて、「詩を書きたい」と思い立ちました。本当のところをいえば、それ以前より書きたいとは思っていました。「詩を書きたい」――齢40を過ぎて初めてそんなふうに思うのはおかしいのか、そうではないのか、あるいは詩を志す他の人たちが、いつ、どのようにして思い立ち、詩を書き始めるのか、わたしにはわかりません(想像することはできますが)。とにかくわたしは、2022年の年賀状の、数少ない友人たちに向けて、

 

今年は詩を書きたいと思っています。

 と書きました。精確にはもう一文、

「昨年から息子たちの影響もあって、巨人ファンから阪神ファンに「転向」しました。今年は詩を書きたいと思っています。」

 

 というのがほとんどの友人宛(といっても10枚あるかないか)に共通した文面で、妻にも息子にも「わけのわからん挨拶やな。」と笑われてしまったことで、年賀状には「近況と抱負とかを書くものだ。」という、確かによく考えればわけのわからない刷り込みがわたしにはあるのだ、と気づかされました。
 ただ、馬鹿みたいなのは承知で、それでもわたしにとっては切実な思いを持って(その詳細はここでは書き尽くせませんが)、でもちょっとふざけても見えるように、この文面を書いたのは事実です。
 年を明けて2022年、このブログで1月、何編か詩のようなものを書いてみたものの、わたしにはどうにもそれが詩だとは思えませんでした。――でもとにかく書きはしたのだから、わたしは年賀状にはウソは書かなかった、と言っておきます。それにまだ、1年は9ヶ月以上あるのです。

 

映画レビュー『パターソン』――パターソンが詩を書いている、何のために? - ソトブログ

 

「生きにくさ」という幸福。

 

 先日、わたしが20年近く前に勤めていた編集プロダクションが出版社「生きのびるブックス」を立ち上げて、いっとう最初に上梓されたのは、哲学者・森岡正博さんの『人生相談を哲学する』(2022年)という本でした。たった1年勤めただけ、しかもわたしにとってはまだ駆け出し期間で、ほとんど何も貢献できなかったわたしに、わたしが転職してからもずっと懇意にして下さっている社長からその報せを聞く前に、わたしはSNSでこの本が出ることは知っていました。
 蛍光色の薄いブルーとピンクで、書名が版画のようなタイポグラフィで配された美しい装丁に魅せられて早速注文し、わたしの許に届けられた本書は、その内容も、今のわたしにクラッチ・ヒット、すなわち適時打!と思えるものでした。――わたしは一人前の編集者にはなれず、様々な選択の結果としてわたしの現在がいまここにある。それでも、だからこそ本書をこんなふうに、こんなタイミングで読むことができた。「これでよかったんだ。」――そう、思えるものでした。

 

 本書は、森岡正博さんが朝日新聞紙上で担当していた人生相談の連載を、一冊にまとめたもの。――というとありきたりの人生相談の本のようですが、本書には一風変わった仕掛けがあります。
 当時の相談と回答を本にするにあたって読み返してみて、「若者たちからの相談は、日々の具体的な悩みであると同時に、人間が普遍的に抱いてしまう哲学的な問いでもあった」。そう気がついたという著者の森岡さんは、
哲学者がするべきは、投げ込まれた質問のボールを手に取ってじっくりと眺め、他の選手たちを呼んできて意見を聞き、そして相談者にも輪に加わってもらってボールの性質を根本から解明していくこと
 だと考え、ゆえに本書は、改めて質問に「人生相談の哲学」として向き合う、という重層的な構造になっているのです(先ほどわたしが不遜にも、野球の比喩で「クラッチ・ヒット」などと書いたのは、森岡さんのこの文が念頭にあったためです)

 

 わたしはこの記事の冒頭に、少し古い本ですが、小説家・保坂和志さんの『途方に暮れて、人生論』(2006年)という別の本からの引用を置きました。本書を読みながらずっと思い出していたのが保坂さんのこの文章でした。これは、保坂さんがテレビのドキュメンタリーで観た「平安朝の文学を専攻して大学院に行っている女性」の、
「あたしは生まれる時代を間違った。」
 という発言をきっかけにして書かれた「「生きにくさ」という幸福」というエッセイにあるテキストです。わたしはこの、「「生きにくさ」という幸福」というキイ・ワードを、以来、宝もののように思ってきました。

 

生きている限り持ち続ける、小さな光の結晶。

 

 『人生相談を哲学する』の森岡正博さんの、相談者の人生相談を深く掘り下げていくうちに、回答者である森岡さん自身の人生に切り込んでいく姿勢は、ひじょうに真摯でありスリリングです。

 

森岡はどうかというと、私は自分のことをあまり好きではありません。いままでの自分の人生を振り返ってみると、「ああ、こんな人間はこの世にいなくてもいいな」と正直思ったりします。自分の性格、自分が親しい人たちや家族に行なってきたこと、自分の数々の過ちなどを思い起こすにつれ、そんな自分を好きだとはまったく言えない気分になります。これは私の原点にある気持ちです。

森岡正博『人生相談を哲学する』(生きのびるブックス、2022年)より。

 

 ――人生相談、というのをわたし自身がこれまで人からされたことはありません。しかしながらわたしにも人並みに悩みや葛藤があります。自分ごとを打ち明けるのは苦手な性格ですが、身近な人や、専門家に相談したこともあります。時には身近な人や専門家にも話すことができず、こうした新聞・雑誌などの開かれたメディア上での「人生相談」に相談を投げかけたい、そういふうにしか糸口がみつからない。そんな切羽詰まった思いで人生相談に投書する、という心情も、わかるような気がします(安易に「わかる」とは言い切れませんが)。だから、わたしは本書を手に取ったし、折に触れて、こうした本を読んだり、新聞や雑誌で見かけた人生相談に、ふと目が留まる瞬間があります。
 しかしながら、これまでに触れたどんな相談でも、回答者が「私は自分のことをあまり好きではありません。」と、これほどまでに正直に言葉にしているのを読んだことはないように思います。

 

 本書に掲載された15のQuestionのどの回答も、相談者ではないわたしたち読者にとっても何らかのヒントや、時には宝ものになる言葉に溢れていますが、それを(わたしがいつもそうしてしまうように)ピンポイントで抜き出して引用しても、あまり意味がないかもしれません。相談者の相談が、その人の、ある時期、ある状況で抱えた問題に対する相談であると同時にそれまで生きてきた実人生というバックグラウンドから自ずと発生してきたものであるように、それに対する森岡さんの回答も、相談に回答する、という具体的な作業を通じて、「「哲学とは何か?」「哲学とはどのように行われるべきなのか?」という根本問題」まで内省し、掘り下げられたものとなっているからです。

 

 しかしあえて、愚行を承知で、わたしはわたしにとって、本書のなかでもとりわけ、わたしの持ちもの/宝もの/道具……上手い言葉がみつかりませんが何かそんなようなものとして、Everyday Carryしたいようなものとして受け取った言葉を引用して、この文章を閉じたいと思います。
 ひとまとまりの文章というものが、「出合う場面が違えば湧き起こる気持ちも違うのではないか」。というのは、冒頭に引用した保坂和志さんの『途方に暮れて、人生論』という本の「数々の言葉」というエッセイで、日々、様々な芸術家や哲学者たちの言葉を書き留めているという保坂さんが、それらの一部を書き並べる際に書かれていたことです。わたしがここにこうして書き写すことで、わたしのこの拙文を通して引用を読まれた方が、本書『人生相談を哲学する』を手にしたり、森岡さんという著者、哲学者の考えに触れたり、「生きのびるブックス」という一風変わった、しかし時代と伴走する印象的な屋号の出版社を意識したり――、そんなことのきっかけになれば幸いです。
 わたしのこの文章は当初のつもりとしては、ディキンソンの詩や、映画『静かなる情熱 エミリ・ディキンスン』(2016年)について、そしてわたしが今読んでいる、詩人・吉増剛造さんによる『詩とは何か』(講談社現代新書、2021年)に繋がっていくはずだったのですが、それらについてはまたの機会に。

 

 人間は死の直前まで成長するという言葉がありますが、私はそうは思いません。そのかわり、成長せずとも輝き続ける小さな光の結晶を、私たちは生きている限り持ち続けます。それは絶望に打ちひしがれているそのときですら、その絶望を下から支えるものとして、私たちの中で働いているのです。私が根源的な希望と呼んだものがそれなのですが、それはどのような希望なのかと言えば、人生は一度かぎりでありそのことは何によっても壊されることがないという事実によって、いかなる人生であっても救済され得るという希望なのだと、私はいま考えようとしています。

森岡正博『人生相談を哲学する』(生きのびるブックス、2022年)より。

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【以前の記事から:わたしが本書『人生相談を哲学する』に辿り着くまで。】

「新しいピースで埋めていく」――梨木果歩『ほんとうのリーダーのみつけかた』/長男のオリーブ茶/『働くことの人類学』/ハラリ『サピエンス全史』/『ランニングをする前に読む本』/具志堅用高さん/「生きのびるブックス」のこと。 - ソトブログ

 

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