ソトブログ

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鳥を鳥として描く、鳥の鳥による鳥のための物語――加藤幸子『心ヲナクセ体ヲ残セ』

 

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現代野鳥文芸の金字塔、ハードコア野鳥フィクションを、ビギナーバーダーが(あえて)紹介する。

 

文字通りの四十の手習い、といった趣きで、小学生の長男が自然観察系のイベントに参加するようになることでなんとなく始めることになった野鳥観察というアクティビティも、一応はわたしにとっても「趣味」といってもいいくらいものにはなってきました。とはいえこの世界も広く深い汲めども尽きぬ大海であって、わたしが一人前の「バーダー」と胸張って言えるのはいつの日だろうか、と思いつつ、週末になるというとコロナ禍のいまも、近場での探鳥に勤しんでいる今日この頃です。

 

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長男の野鳥観察写真から。上:2020年10月和歌山某所、自然観察会中に上空を横切ったイカルの群れ。下:11月、マイフィールドの河川敷にて。カワセミ

 

さて、今回の文章、ブックレビューは、はそんなわたしが分不相応におこがましくも「日本野鳥の会」に入会し、その県支部の会報に投稿させていただいたものです。野鳥に興味を持てば文献・書誌も鳥関係に手が伸びるのは道理ですが、ことフィクションの世界にあっても、それまではまるで目に入らなかった「野鳥フィクション」を探し、あるいは野鳥プロパーではない作品にも、野鳥を探してしまうようになってきました。

 

しかし今回紹介するのはそんな「野鳥フィクション」のなかでも本命中の本命のハードコア、おそらく現代野鳥文芸、あるいは野生動物文芸のなかでも金字塔のひとつであると思われる作品です。――野鳥の会入会2年目、バーダー歴としても3年程度の若輩としては厚顔無恥もいいところですが、今回はより本格的な「野鳥もの」であって、いっそう恐縮しつつも、まずはタイトルを挙げてしまいます。

 

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ある鳥の誕生の瞬間から、渡りの足跡、繁殖、そして死までを「鳥自身」の視点で描く。

 

表題からしてハードな印象がありますが、これは2008年の文庫化に際して改題されたもので、原題(単行本1999年)は『ジーンとともに』。テキスト中では明言こそされていないものの「ジーン」は“gene”、遺伝子でしょう。ある鳥の誕生の瞬間から、渡りの足跡、繁殖、そして死までが、当の鳥「本人」の視点から綴られます。

 

といっても、北海道大学農学部卒業後、農林省農業技術研究所、日本自然保護協会勤務、という経歴を持ちながら芥川賞受賞、作家となった著者(そして日本野鳥の会員でもいらっしゃいます)の手に成るものであって、ありきたりの、擬人化された動物(本書では野鳥)の物語というようなものではまったくありません。

 

理知的で明晰なナラティブ(語り)でありながら、情緒や分かり易さに流れない「凄み」があり――、というようなわたしの拙い、抽象的な説明ではまったく伝わらないでしょう。そこで本書から、自らを覆っていた硬い殻(卵)を破り、外界へ生れ出た幼鳥たる<私>が、初めて世界と対峙する場面を引用してみます。

 

茎の半分ほどの高さまで来たとき、自分が誕生した場所の全容が初めて見わたせた。フェーと私は思わず一声鳴いた。地上という世界の広さに目が回りそうになり、あわてて鉤爪を深くたてて茎に取りすがった。ここはなだらかに傾斜した草原の真っただ中だった。もっと正確にいうと、私のために“母なる鳥”が選んだ巣穴の位置は、低い丘の中腹にあった。他の場所より風当たりが少なく、暖かい斜面に掘られた竪穴の底で、私は石のように硬い卵の殻に守られつつ眠りつづけていたことになる。

 

加藤幸子『心ヲナクセ体ヲ残セ』(角川文庫)より

 

人間の子どもでも、このように明晰な言語で世界を表現・記述することはできませんが、この小説の勘所はまさにその点であって、鳥らしからぬ、あるいは幼子らしからぬ表現を用いることで、「鳥を鳥として描く」「鳥の鳥による鳥のための」物語を紡いでいるのだと思います。単語のレベルで人間のボキャブラリーと違うことばを使うことにもそれは表れていて、他の箇所で、<すべての光の源>と「ジーン」が呼ぶ“巨大な火球”とは太陽のことだし、彼らの天敵であり、「筋のない不気味さ」をたたえた存在として描かれる“二本足”こそ、わたしたち人間のことです。

 

テキストの描写から、鳥の種や姿、振る舞いを探り当てる愉しみ。

 

語り手である<私>が属するのは、「ニジドリ」という架空の種であって、《すべての羽毛がある角度をもって逆だったとき、私は本来の色彩から自由になり、透明な鳥に》なることができるという不思議な特性を持った、幻の鳥なのですが、<私>が道行きで出会う他の鳥たちについて、<私>が描写する姿から、その種が何なのか当ててみたりするのも、バーダーとしては愉しくもあります。

 

コンコンコンというせわしい連打が、隣の木から聞こえてきた。私より一回り大きい黒白の斑らの鳥が幹に縦にとまって、夢中でくちばしでたたいている音だった。頭をふるたびにパッパッと真紅の模様が動く。

また小柄なわが種の鳥には進入できない水の中では、大勢の鳥族が群れつどいくちばしを水に浸したり、植物をかきわけながらえさを探っていた。ここまでの旅の途中で私が出会ったことのある純白の足長鳥や、その足首くらいの背丈しかないけれど長いくちばしで器用に泥をかきまわしている褐色の鳥たちもいた。しかしこれらの旧知のほかに、全身がピンクの羽に包まれ、湾曲した黒いくちばしと、紅の頬に金縁の眼という実に印象的な鳥に私は魅せられた。 

 

鳥/自然そのものを、そのまま受け止めて、思いを馳せること。

 

いくら引用してもし足りないくらいですが、いま、浮世では人間の営みも、そこに降りかかる厄災も、手に負い難いことばかりが続いています。その人間が生み出す文芸の世界においては、たしかに人間ドラマも重要というか、それを描いてきたのがフィクションではあるのですが、

 

鳥そのもの、自然そのものが描かれること、そしてそれをそのまま受け止めて、愉しんだり、思いを馳せてみたりすること――

 

バーダーの端くれとしては、そういう感性をこそ、持ち続けていたいと思っています。どんな世であっても。

 

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2020年10月。コロナ禍の2020年、ソーシャル・ディスタンシングに気を配りつつ、足繁く通った農耕地で。ノビタキ。こちらは撮影:ソト(わたし)。

 

心ヲナクセ体ヲ残セ (角川文庫)

心ヲナクセ体ヲ残セ (角川文庫)

  • 作者:加藤 幸子
  • 発売日: 2016/03/04
  • メディア: Kindle版
 

加藤幸子『心ヲナクセ体ヲ残セ』(角川文庫)。紙の書籍は品切のようですが、Amazon等で電子書籍版を販売中。古本等でも比較的入手しやすいです。

 

 【以前の記事から:「描かれた鳥に魅せられた若者たちの、フィクションのような本当の話、の劇映画化(しかし本人登場のドキュメンタリーでもある)」作品、『アメリカン・アニマルズ』のレビュー。】

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