ソトブログ

文化系バーダー・ブログ。映画と本、野鳥/自然観察。時々ガジェット。

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祖母と“第三の新人”たち、祖父とビルマ戦線――小島信夫から『ダンケルク』まで。

今週のお題「私のおじいちゃん、おばあちゃん」


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先日私は自身で書いた祖母の告別式での挨拶を引用し、祖母の思い出について書きました。そこで私は、祖母と同世代の作家たちが晩年に書いた小説について触れています。


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わたしはおばあちゃんの訃報に接して、一昨日の晩、なぜか本棚からおばあちゃんと同世代の小説家たちが晩年、今のおばあちゃんと同じくらいの歳で書いた小説をいくつか取り出し、開いてみました。それらは作家の日常を描いたものです。おばあちゃんも本や芸術が好きで、おばあちゃんの部屋には婦人雑誌や絵画についての本や小説などがたくさんありました。わたしが文学や芸術に興味を抱くようになったのは、おばあちゃんの影響もあったように思います。

「孫代表の挨拶(祖母の告別式、平成24年1月25日)」より
http://d.hatena.ne.jp/tkfms/20120125


小島信夫と庄野潤三の晩年の著作


ここで挙げている小説とは、具体的には、小島信夫の『残光』(2006)、『月光・暮坂 小島信夫後期作品集』(2006)、庄野潤三『山田さんの鈴虫』(2001)などであって、日本文壇史的には“第三の新人”と呼ばれる作家の、晩年の著作です。 正確には、

- 庄野潤三:1921-2009、満88歳没
- 小島信夫:1915-2006、満91歳没
- 私の祖母:1920-2012、満91歳没

であり、小島信夫の2006年『残光』も含めて、祖母の亡くなった年齢よりも、いくらか若い年齢で書いたものですが、80歳を超えたあたりからのディケイドというのは、本人にはどう感じられるものなのでしょうか。


庄野潤三『山田さんの鈴虫』は、『貝がらと海の音』(1996年)あたりから晩年まで書き続けられた、著者夫婦の日常を綴った小説。小さなエピソードを、日記のように綴ったもので、ほぼ年に1冊のペースで、それぞれ『庭のつるばら』『うさぎのミミリー』といったタイトルがついて長編小説として刊行されています。
小島信夫の『残光』もまた、作家そのものである語り手の日常を書いていますが、こちらの方はより縦横無尽な語り口であって、時間軸も発話者も、文章のトーンさえ不定形。小説、というより、小島作品を読み慣れていない者にとっては、“ただ惚けているだけ”と感じる人もいるかもしれません。庄野潤三の小説にしても、“ただの日記じゃない?”という人もいるでしょう。


思考の痕跡としての小説/小説は読んでいる時間のなかにしかない


たしかに『山田さんの鈴虫』や『残光』を読んでいると、庄野潤三や小島信夫があと半世紀、遅く生まれていたら、ブログで文章を書き続けているのではないか、とも思いますが、そういう仮定にはあまり意味がありません。
ただ、彼らが晩年に書いた小説には、彼らが小説家として半世紀に渡り書き続け、思考し続けてきた痕跡のようなものを感じます。
短い文章でその魅力を伝えるのは難しく、“小説は読んでいる時間のなかにしかない”という、晩年の小島信夫と交流の深かった小説家、保坂和志(1956年生まれ)がしばしば使う言葉を、ここでも使いたくなりますが、少しだけ引用します。


往来で大声で訴えなくとも、たとえば声を出さなくとも、心の中では、訴えたい気持があったことは事実である。直接に和やかに、多少妻がヘンと見えるかもしれない機会を作った。短いコースになってからでも、花の咲く時期に住宅街を歩いていると三、四人の婦人達が道路の中央で立ち話をしていた。もっと近づくと、右の一軒の二階家が夫婦ともに目についた。玄関先きからはじまって、家のぐるりがありふれた花で飾り立てられている。

小島信夫『残光』より


しかしこの程度引用してもやはりだめで、この調子で続く小説を5頁、10頁、50頁と読んで初めて、その面白さがわかるのです。そして小説は読んでいる間面白ければ、どこで読み終わってもいい。保坂和志はデビュー作『プレーンソング』で編集者に「長すぎる」と言われ、「適当なところでカットして下さい」と答えたといいます。


祖父とビルマ戦線、自室に貼られていたビルマの地図


祖母といえば私にとっては母方の祖母で、祖父といえば父方の祖父です(母方祖父と父方祖母は私の生まれる前と幼少期に亡くなっている)。
祖父は先の大戦のビルマ戦線の生き残りで、暗号兵をしていたといいます。戦後、警察官として警察署長にまでなった祖父は(私には)恐い存在で、あまりこちらから口を聞けず、話をできなかったこともあって、戦時中の話を祖父から聞いたことはありません。祖父が自費出版した、先に亡くなった祖母に捧げた自伝で読んだだけです。暗号兵というと小島信夫がそうで、『墓碑銘』『寓話』の登場人物、浜中がそうでした。


祖父の亡くなる少し前、自室にビルマの地図が貼られていたと記憶しています。ヨーロッパ戦線初期を描いた映画『ダンケルク』を昨夜劇場で観て、そのことを思い出しました。
『ダンケルク』の“無名の主人公”トミー(「トミー」とは、イギリスの兵卒を意味するスラングだそう)は、生きてイギリスへ帰還しますが、私にはあの映画は、「ダンケルクの戦い」の死者たちが、いまもあの時間のなかで生き続けているように感じられました。
生きて帰って来た祖父の戦後60年とは、どういうものだったのでしょうか。
祖父の部屋に貼られたビルマの地図の意味は。




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映画レビュー『ズートピア』――過ちを認めうること/"Try, Try, Try"

 ズートピア
原題:Zootopia
製作年:2016年
監督:リッチ・ムーア、バイロン・ハワード


昨年の公開時、興行的にも批評的にも大きな評判を呼んだ本作。当時、“欠点がないのが唯一の弱点”といった評も耳にしつつ、私は今日まで、この『ズートピア』を観ていませんでした。「観たら絶対面白いし、感動することもわかっているのだけど……。」そう思っていました。

 

「なりたいものになれる世界=ズートピア」の表と裏を描く傑作。 

 

今回、2歳の次男のためにDVDを手にしたのですが、(子どもより先に)初めて観て、それが杞憂だったことがわかりました。

動物たちが実際の動物の特徴を持ったまま、人間のように暮らす「ズートピア」を舞台に、“史上初のウサギの警察官”という夢を通して、なりたい自分になろうとする主人公・ジュディの成長を、キツネの詐欺師ニックとの出会いや、肉食動物の行方不明事件の捜査を通じて描くストーリーは、既に公開から1年あまり、たくさんの人に共有されていることと思います。

 

誰もが夢を目指す理想郷としてのズートピアが、実は動物の種族間の偏見や差別に満ちていて、「世界をよりよく」するために警察官を目指すジュディさえ、その偏見から無縁でないことなど、現代の人間社会の写し絵のような世界観には説得力があります

しかもそれが、これ見よがしのおためごかしではなく、アクションやサスペンス、刑事物のバディ・ムービーといったエンターテインメントのツボを押さえた、ストーリー上の必然として描かれているところが素晴らしい。

 

自らが思わず発した肉食動物への偏見の言葉によって、(力に勝る肉食動物と、数に勝る草食動物間の)社会の対立構造を煽る結果を招いたことに責任を感じ、一度はズートピア警察を辞したジュディは、肉食動物行方不明事件の真相に気づき、再びニックに協力を求めるために彼の許を訪れます。

そして自身の過ちを認め謝罪をし、ニックがそれを受け入れるシーンでの、ジュディの言葉の誠実さには、誰しも心打たれます。

 

本作とは違うかたちの"Try"について。スマッシング・パンプキンズの"Try, Try, Try"

 

ただ、本編が幕を閉じ、シャキーラが、劇中のズートピアの人気歌手、ガゼルとして歌う感動的な主題歌"Try Everything"が流れるのを聴きながら、私が思い出していたのは、90年代に一世を風靡したオルタナティヴ・ロックバンド、スマッシング・パンプキンズの"Try, Try, Try"という曲でした。

スマッシング・パンプキンズの解散(バンドはその後2006年に再結成している)直前、2000年のラスト・アルバム『マシーナ/ザ・マシーンズ・オブ・ゴッド』からのシングル曲ですが、本作はそのミュージックビデオの衝撃的な内容が反響を呼びました。

 

www.youtube.com


薬物依存症で路上生活者の男女のカップルの、妊婦である女性が身体を売ったお金で薬物を買い、注射をして幻覚を見る様子が描かれています。

 

Try to hold on
To this heart
A little bit longer
Try to hold on
To this love aloud
Try to hold on
For this heart's
A little bit colder
Try to hold on
To this love

 

The Smashing Pumpkins "Try, Try, Try"
Lyrics by William Patrick Corgan 

 

この曲のMVがこのようなものであることによって、「この愛が/この気持ちが冷めないうちは、この気持ちを持ち続けよう」と歌う詞の、悲痛なまでの切実さが伝えられています。

 

 過酷な現実を乗り越える方法論(描くことと描かないこと)。

 

もちろん、その過激な描写ゆえにほとんどOAされなかったというこのMVと異なり、ファミリー・ムービーである『ズートピア』に、現実の、ほんとうの辛辣さ、残酷さは描かれません。

しかし差別や偏見を乗り越えようと努力しつつ、夢や希望に満ちたこの世界は、"Try, Try, Try"に描かれたような現実を含むものです。全てを取捨選択して描くことのできるアニメーションにおいては、十全に描かれているように見える世界で、しかし、「そこにないもの」は現実にないものと錯覚しがちです。子どもたちにそれを強調する必要はないでしょう。しかし私たちは、現に世界がそういうものであることを知っています。

 

だからこそ、『ズートピア』のような希望に満ちたハッピーエンドも、"Try, Try, Try"のような、厳しく、終わりのない哀しみに満ちた作品も、私たちの心を打つのです。

 

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Machina: The Machines of God

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【映画関連のこれまでの記事】

ホラー嫌いのためのホラー映画選「“ブルー・マンデー”だけは投げないで!」

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私自身、元来「ホラーというだけで観ない(恐いから)」というホラー映画(食わず)嫌いだったのですが、映画を日常的に観るようになってくると、「どうも映画好きの人ほどホラー映画が好きらしく、ホラー映画には映画本来の魅力の本質が詰まっているらしい」ことが耳に入ってきます。
ホラー映画にはジャンル的なお約束やクリシェも多く、好きな人ほど楽しめるのは勿論なのでしょうが、そういった点を(おそらく)踏まえつつも、“恐怖”だけがホラー映画の魅力じゃない、というのを教えてくれた、いくつかの映画を取り上げてみます。

 

イット・フォローズ(2014)

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イット・フォローズ(字幕版)

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原題:It Follows
製作年:2014年
監督:デヴィッド・ロバート・ミッチェル


他の誰かにセックスをして移さないと、捕まった者に必ず死をもたらす"It"(「それ」)の恐怖を描く――のですが、Itの恐さはその出現が恐いのではなく、不在もしくは偏在が恐い。"It"の映っていない画面が恐い、つまり映画を観ているあいだずっと恐い。という、普通のホラー映画以上に恐い映画なのですが、実は「他者を愛すること」「生きること」の本質を問うてくる。恋愛や人生を打算的に捉えるのは止めましょう。

 

ショーン・オブ・ザ・デッド(2004)

ショーン・オブ・ザ・デッド [DVD]

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原題:Shaun of the Dead
製作年:2004年
監督:エドガー・ライト


新作『ベイビー・ドライバー』が話題のエドガー・ライトの出世作。新旧ホラー映画のクリシェを詰め込みつつ、コメディでもホームドラマでもブロマンスでもあり、しかもどの点においても完成度が高いという、若きエドガー・ライトの才気ほとばしる快作。個人的には、序盤で自身のアナログレコード・コレクションを、(割れてもいいのを選びながら)ゾンビに泣く泣く投げつけるシーンが最高でした。「“ブルー・マンデー”(英バンド、ニュー・オーダーのヒット曲)は?」「ダメ。初回盤だ」「ストーン・ローゼズ」「ダメ」「『セカンド・カミング』だぞ?」「俺は好きなんだよ!

 

ゾンビランド(2009)

ゾンビランド [DVD]

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ゾンビランド (字幕版)

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原題:Zombieland
製作年:2009年
監督:ルーベン・フライシャー


『ショーン・オブ・ザ・デッド』と同じくコメディ仕立てのゾンビ映画。今をときめくエマ・ストーンと、ジェシー・アイゼンバーグ、若き日の二人の共演もさることながら、全人類がゾンビ化していく危機的状況のなか、とある(脱力系)ハリウッドスターの豪邸宅でのつかの間のひとときと、クライマックスの遊園地でのゾンビとの大乱闘まで、本作で、ホラー映画がただの“映画”以上に何でも入る、マジックボックスみたいなものであることを教えてもらった気がします。

 

ファイナル・ガールズ 惨劇のシナリオ(2015)

ファイナル・ガールズ 惨劇のシナリオ [DVD]

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原題:The Final Girls
製作年:2015年
監督:トッド・ストラウス=シュルソン


そろそろ気づいている方もいるかも知れませんが、こちらもコメディ。「人里離れたキャンプ場で若者たちが殺人鬼に襲われる」といういかにもなスプラッター映画の舞台設定。しかしそこは、主人公の母親がかつて、“最後の生き残り”=“ファイナル・ガール”を演じたスプラッター映画の中――というアクロバティックなSF仕立て。そしてストーリーの本質は母娘愛という、「全部乗せ」映画。なのにスマート。こういう映画こそ、「ホラーだから」観ないのは本当にもったいない。

 

ジェニファーズ・ボディ(2009)

ジェニファーズ・ボディ (完全版) [DVD]

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ジェニファーズ・ボディ  (字幕版)
 

原題:Jennifer's Body
製作年:2009年
監督:カリン・クサマ

 

女性同士の心理的の機微を描いて卓越した才気の走る『JUNO/ジュノ Juno』 (2007) 、 『ヤング≒アダルト』(2011)のディアブロ・コディ脚本作のなかでも、本作の苦さ、痛々さは随一。というより、身体的な痛さが精神的な辛さにも繋がるという意味で、ホラーであり、青春映画でもある必然性のあるストーリー。「悪霊に乗っ取られた親友との闘い」というホラー的荒唐無稽を演じてバカバカしく見せない、ミーガン・フォックスとアマンダ・セイフライドの二人が光ります。

 

死霊のはらわた(1981)

死霊のはらわた [SPE BEST] [DVD]

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原題:The Evil Dead
製作年:1981年
監督:サム・ライミ

上記『ファイナル・ガールズ』が参照しているスプラッター・ホラーの嚆矢にして金字塔。“シェイキーカム”という、DIY的撮影技法の発明や、ホラー、スプラッターだけでなく、コメディやお笑いコントまで、その後のエンターテインメントに与えた影響は計り知れない――という辞書的説明はどうでもいいので、とにかく一度観て下さい。サム・ライミ監督は、これを自主制作で、ちゃんと「ヒットさせる」ために作ったんだそう。モノ作りの精神においても、勇気と知恵を教示してくれる、本物のマスターピース。

  

夏の映画セレクトもあります。(洋画編、続・洋画編、邦画編) 

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【映画関連のこれまでの記事】

映画レビュー『わたしは、ダニエル・ブレイク』――悪夢的不条理に立ち向かう、私たちの“スーパーヒーロー”。

わたしは、ダニエル・ブレイク
原題:I, Daniel Blake
製作年:2016年
監督:ケン・ローチ
あらすじ:
大工として働くダニエルは、心臓病により休職を余儀なくされる。休職手当を受けるため役所を訪れるが、複雑怪奇な制度の前で援助を受けられない。そんななか、役所の手続きでシングルマザーのケイティと彼女の子どもたちと知り合い、絆を深めていくが、厳しい現実はさらに彼らを追い込んで行くのだった。

悪夢のような現代社会の不条理。


「官僚機構の不条理」というと使い古された常套句ですが、ここまでひどいと笑うしかありません。


心臓発作のためにドクターストップがかかり休職中の大工、ダニエル・ブレイクは、国からの手当を受けようと役所に行きます。しかし、面談の結果、「就労が可能である」と判断されて審査が通らない。


担当官(といっても、民営化されていて委託事業者の職員)は「医療専門職」と名乗りますが、ダニエルに対し心臓病と関係のないことばかり問う。おそらく、質問事項が決まっているのでしょう。
ダニエルは仕方なく、役所の指示に従って求職手当を申請することなりますが(医者に仕事を止められているのに!)、書類の請求、提出ともにオンラインでの手続きを求められます。


役所の端末を案内されるダニエル。しかしパソコンなど触ったこともない59歳の彼には使い方がわからない。見兼ねた職員が操作を補助したところを、上司が呼び止めて、こう言います。「特別扱いの前例を作られちゃ困るんだ」と。


ケン・ローチ監督が描く市井のリアリティ。


絵に描いたようなお役所仕事。イギリス社会の現実を、常に労働者階級に代表される市井の人々の側から描いてきた、ケン・ローチによるメガホンですから、この描写には相応のリアリティがあるのでしょう。日本でも、ここまでかどうかわかりませんが、似たような状況に遭遇することもあります。


しかし彼らは意地悪をしているわけではありません。「決められたルールに従って仕事をしているだけ」ではなくて、なかには不条理性を理解しつつも、現実を容認した上で、しかしそれを半ば「内面化」してしまっている者もいるのです。


20世紀最高の小説家のひとり、カフカの『城』や『審判』を読んだことがある人なら――あるいは読んだことがなくても、“現代社会の不条理を描いた”実存主義文学、というようなイメージから――誰でも、
「カフカのような悪夢的な不条理だ。」
と思うでしょう。私もそう思いますし、本当にその通りの状況です。


まるでカフカの“K”のように。


しかしカフカの『城』の主人公、Kと同じように、ダニエル・ブレイクは空気を読みません。隣人たちを助け、自らも助けられて、苦笑いを浮かべながら、立ち向かおうとします。
『審判』や『城』において、主人公は状況に振り回されますが、その描写には奇妙なユーモアがあります。『城』などは、この状況をコントロールしているのはむしろKではないか、という気さえする瞬間があります。


『わたしは、ダニエル・ブレイク』においては、公の論理に絡めとられ、ダニエルは――彼が助けたことで交流が始まり、心を交わしていくシングルマザー、ケイティと彼女のふたりの子どもたちも――徐々に窮地に陥っていきます。
しかも今作は、ケン・ローチ監督の近作、『天使の分け前』や『エリックを探して』のような、笑みさえこぼれるような、救いのある結末にはなりません。苦い。あまりにも苦いです。それなのに、スーパーヒーロー物や復讐を果たす西部劇のような、観たあとに力のみなぎる、端的にいって観客に元気をもたらすエモーションがあります。


ケン・ローチ監督が、不条理な公の論理の前で「私」であることを諦めない、ダニエル・ブレイクのような個人たちを、50年間描き続け、変わらない世界に絶望しながらも、彼らを信じているからでしょう。
わたしたちのヒーロー、カフカとその主人公、Kのように。



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  • ポール・ブラニガン
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ケン・ローチ監督前々作。社会の底辺に生きる若者たちの現実を捉えつつ、こんなふうに映画的ファンタジーに昇華して、彼らの背中を押すこの映画も大好きです。


20世紀世界文学のスーパーヒーロー、カフカとKの最高傑作(未完)。

 

【映画関連のこれまでの記事】

使用3ヶ月目のChromebook C202SAレビュー。―落ち着いた個性。デイリーユースにおいて不具合や不満の少ない、ベターな日常の道具。


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私にとっての初めてのChromebook、ASUS C202SAとの日々もはや3ヶ月が過ぎ、少し落ち着いて使用感を振り返り、評価してみようと思います。とはいえ基本的なスタンスとしては、購入時に他機種と迷ったものの、基本的には始めから惚れていたし、今もそれは替わりません。ただ、日常的に付き合ってみると気になるところがないわけではないので、そのあたりも冷静に記述できるといいかな、と。

日本ではマイナーな存在だからか、Chromebookについて書かれた記事を検索すると、ヘヴィユーザーの方のマニアックな記述が目立ちます(私にとってはとても勉強になります)が、私のようなライトなユーザーが、その使い心地や、使い方、付き合い方について詳しく書いた記事はあまり見かけません。

私はそれほど(全然)コンピュータに詳しい人間ではないですし、Chrome OSというOSは、そういうライトユーザーにも、とても使いやすい端末です(そもそも文教市場、初等・中等教育を主要なマーケットに、広く使われているものです)。私自身が、そういう記事を読んでみたかった、それぞれがどういう使い方をされていて、どのように感じているのか知りたい。というのもあって、今回は私のケースを紹介してみたいと思います。


私の使い方―基本的にはライトユース。Chromeアプリ版LINEが意外と便利。


私の現在の、Chromebook C202SAの用途としては、

  1. 情報検索、ネットショッピングなどのウェブブラウジング
  2. このブログの執筆
  3. ブログ用などの写真の加工
  4. LINE

――ほぼ、これで全部。PCの使い方としては非常にライトユースなものだと思います。

基本的には自宅で使用し、たまに旅行や出張に持参することも(ただし仕事では使わない)。 ネットへの接続は、自宅の固定回線替わりのWiMaxルーターを使っています。

1.情報検索
ブラウズについては、快適。ベンチマークスコアなどは他の専門的なサイトに譲るとして、体感的には非常にサクサクと動作します。WiFiの接続についても掴みも早く、中途で切断することもありません。 ただし、おそらくこれはWiMaxを利用している私のネット環境に拠るのだと思いますが、通信速度が不安定になり、読み込みに時間がかかることがあります。

2.ブログの執筆などのテキスト入力
テキストの入力については、当初は色々と目移りしていましたが、現在はChromeウェブアプリの「Text」をメインに使っています。非常にシンプルなテキストエディタなのですが、
・ブラウザ(Chrome)と別ウィンドウで開く。
・とにかくシンプル。
という点が気に入っています。Chromebookなので当たり前ですが、保存先としてGoogle Driveを利用できます(ローカルにも保存できます)。

f:id:tkfms:20170913201302p:plain テキストエディタ「Text」

3.フォトレタッチ
フォトレタッチについては「Pixlr Editor」を使っています。フォトショップライクのUIで、トリミングやレベル調整など、簡単な調整に使用しています。ただ、C202SAのスペック不足なのか、通信環境によるものかわかりませんが、大きめのデータだと多少動作がもたつきます。 C202SAには標準サイズのSDカードスロットがあり、デジカメからの写真データのやりとりは便利です。

f:id:tkfms:20170913195659p:plain フォトレタッチアプリ「Pixlr」

4.LINE(Chromeアプリ版)
ひとつのアカウントを複数のスマートフォンで使用できないLINEですが、Chromeアプリ版では、スマートフォン版で使っているアカウントを利用できます。LINEで長文を書くという方はあまりいないかもしれませんが、私は時折そういう使い方をしますので、キーボード入力、大画面(スマホ比)のChromebookでLINEのトークの送受信ができるのは、重宝しています。

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ハード面―他にはないカラーリングとデザイン。


紺とグレーを基調にした落ち着いたカラーリングでありながら、しかもポップさを感じさせる筐体のデザイン。正直にいうとこのC202SAでもっとも気に入っているのはこの外観です。キーボードのプラスチックの質感(キータッチ自体は良好)など、手許に届いたときは正直、プラスチックな感じが「ちょっとチープかな」と思いましたが、全体的には使うほどに愛着を感じています。

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外周をラバーで覆い(紺の部分)、グレーの部分に凹凸を施していることで、指紋や油脂等が目立たないのもいいです。ただ、以前も書いたのですが、湿度の高い日本では、ラバー部分の耐久性が、将来的に加水分解してべたつかないか、少し心配しています。

また、USB-Aポートが二つあり、USBのワイヤレスマウスやUSBメモリを気軽に使えるのも、地味にうれしいところ。

少し残念なのはディスプレイ部分。非光沢のTN液晶、というタイプなのですが、最近のスマホの発色のいい画面に見慣れていると、若干ぼんやりした印象。FWXGA(1366×768)は決して高解像度ではないですが、11.6インチの画面サイズにあっては、十分見やすく、こんなものかなという感じ。

まとめ―デイリーユースにおいて不具合や不満のない、ベターな日常の道具。


基本的な使用感としては快適そのもので、デイリーユースにおいて不具合や不満はほとんどありません。日々使う道具として、この点が非常に重要で、素晴らしいと思います。 動作においてちょっとした引っかかりを感じる部分は、固定回線がなく、WiMaxを常用している私のネット環境に拠る部分が大きいのかな、と思っています(検証したわけではありませんが)。その点は他のChromebookを使ったことがないので評価できませんが、その他については、使用前の想像を超えて使いやすい端末であり、価格(約26,000円で購入)を考えると、今のところ非常にコストパフォーマンスの高い製品だと思います。

Chromebookにはより高性能のCPUやメモリ容量の多いハイスペックなモデルも存在しており、「ウェブブラウズ、テキスト入力などのシンプルな用途で、快適に使える」ということを突き詰めると、そうしたモデルを使ってみたいな、という欲求も芽生えています。

補足:今後の展望―Androidアプリ、入れるか入れないか問題。


先日のChrome OSアップデートでAndroidアプリに正式に対応(Stable Channelにて)*1したこともあり、その利用については結構悩んでいます。

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C202SAにもPlayストアが。悩む…

使ってみたい気持ちはありますが、私の使い道において本当に必要なのは、高機能なテキストエディタくらい。 小説を書くのに「Jota+」を使ってみたいな、と思っているのですが、今すぐ小説を書くつもりがないのと、一度Androidアプリを入れてしまうと、性格上色々と欲が出て、「あれもこれも」となってしまいそうな気がするのです。

Amazonビデオとか、Microsoft OfficeアプリのAndroid版、Radikoなどなどといったものは、ブラウザでも使えますし、現状スマホやウィンドウズPCで事足りていますが、あれば便利かな、と思ったり(AmazonビデオのコンテンツのDLなど)。

「そんなの、試してみればいいじゃない」とも思いますが、現状で快適に使えているマシンをいじるのはちょっと勇気がいるものです。まして個人輸入した日本未発売モデルであって、コンピュータについて、豊富な知識を持っているとはとてもいえない私にとっては。

それにChromebook、というのはローカルにアプリやファイルをほとんど置かないことで、他のOSにはない身軽さを持っています。端末を買い換えたり買い足したり、あるいは不具合のために端末を初期化したときでさえ、Googleアカウントでログインしさえすれば、自分の環境を再現できます。

というわけで、Androidアプリについてはもう少し懊悩しそうです。
※追記:結局、「Jota+」のみ、インストールしてみました。しばらく試してみようと思います。(2017.9.14)


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「2017年の夏に、“けもの”のニューアルバム『めたもるシティ』がリリースされた。」という奇跡的で幸福な事実について。

 

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今年の夏、いちばん聴いた「CD」であり「アルバム」が、SSW、青羊(あめ)さんのソロプロジェクト、“けもの”のニューアルバムにして、初メジャー作となったこの『めたもるシティ』です。

 

2017年SSという時を刻んだけもの『めたもるセブン』

 

このブログでは、Chromebook ASUS C202SAというラップトップPCのレビュー記事において、なかばゲリラ的に、けものの歌詞の引用をし、MVを貼り付けていました。

 

 

 

私にとって「同時期に購入して、同時にもっとも気に入ったプロダクト」であって、両者を同時に好きな人は――少なくとも両者を同時にブログに取り上げようという人は――他にいないだろうと思ったからでした。

 

C202SAは日本ではあまり普及していないGoogle謹製のChrome OSを搭載したChromebookというノートパソコン。
けものというユニット、『めたもるシティ』というアルバムは、本作のプロデューサーのジャズ・ミュージシャン、菊地成孔氏をして「オルタナ・シティポップ」と言わしめた、独特の世界観が特徴的なアーティストであり、作品です。

 

――と、これ以上の客観的な記述はコンピュータにも音楽にも専門的な知識のない私の手に余ります。私はただただ、この2017年の夏にChromebook(C202SA)と『めたもるシティ』という作品に出会ったことを記録しておきたいのです。

 

www.youtube.com

けもの「めたもるセブン」オフィシャルMV(Director: 島田大介、主演:小谷実由)

 

C202SAのレビューでアルバムのリード曲、「めたもるセブン」の歌詞を引用しました。

 

あなたの力を貸して
ひとりじゃ行けない
未来の気配がするから
想像もしていなかった
ギフト受け取る喜び

 

けもの「めたもるセブン」より

 

先日書いた、C202SAを持参した広島への家族旅行でも、6時間以上のオン・ザ・ロードで、カーステレオで色々な音楽を聴いたなかでも、もっとも繰り返し流したのが『めたもるシティ』でした。

 

青羊(あめ)というアーティスト名を名乗り、自身のソロ・ユニットとして更に“けもの”と名付ける、いわば「芸名」を二段重ねにするという、重層的なアイデンティティを持ったけもののこの作品は、その実、素晴らしく耳心地がよく、聴きやすく、口ずさみたくなる楽曲群が並んでいます。
私の二人の息子たち、小学生の長男と、まだ2歳の次男にとってもまた、そのメロディが口を衝いて出るようでした。

 

「だいろ、だいろ」と次男は言います。

 

第六感コンピューター 第六感コンピューター
第六感コンピューター スイッチは押された

 

けもの「第六感コンピューター」より

 

ティーンにもならない長男もまた、まだ見ぬ東京の街の歌をうたいます。

 

銀座の街に革命が起こったら
どのブランドを着て戦おうかな?

 

けもの「tO→Kio(トーキオ)」より

 

しかし少年たちにこの楽曲集の、一つひとつの歌の機微が解るのはまだずっと先でしょう。M8に収められた「伊勢丹中心世界」を、ショッピングという媚薬の本質を捉えられない私には永遠に正しく理解できないように。

 

扉を開けたら そこはテーマパーク
新宿で一番のデパート

 

ここが世界の中心伊勢丹
新宿駅東口 徒歩五分

 

「伊勢丹中心世界」より

 

この伊勢丹賛歌が、かのデパートの広告や宣伝、マーケティングと一切関係のない、パーソナルなものだという2017年の奇跡。

 

2017年に現在進行形だったミラクルなレジェンドを、私たちはリアルタイムで聴いたんだよ、と目を閉じて私は息子たちに言うのです。
いくつかのディケイドを超えて。

 

めたもるシティ

めたもるシティ

 
めたもるシティ

めたもるシティ

 

 

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 ※H29.11.9けものレコ発ライブに寄せて(私は行けませんが)、もう少しけものについて。

 

映画レビュー『キツツキと雨』――歓びが生まれる瞬間を何度でも。

キツツキと雨
製作年:2012年
監督:沖田修一
あらすじ:
ゾンビ映画の撮影隊を手伝うことになった林業に従事する寡夫の克彦と、気弱さゆえにスタッフを統率できない若い映画監督25歳の幸一の交流を描く。彼らの交歓が撮影隊、村人たち双方に影響を与え、映画の撮影はクライマックスへと向かう。

 

役所広司扮する林業に従事する寡夫の克彦。朝、ひとり黙々と朝食を済ませつつ昼食の弁当を詰めて妻の遺影に手を合わせます。山林で黙々とチェーンソーを振るい木を切り倒す。夜は同業の仲間たちと酒を飲み、家ではいい年をして無職の長男といつもの言い争い。こうした日常の描写が淡々と、しかし可笑しみと慈しみをもって描かれると、
「映画的な物語はいいから、こんな日常をずっと観ていたいな。」
という気分になります。

 

「何か」が残る映画を観たい。

 

 そういう見方が一般的なものかどうかはわかりません。ただ、日常的に映画を観ていると、一つひとつの映画が全て、完璧なエンターテインメント、あるいは完成された芸術作品であることを求めなくなります。何かひとつ心に残るもの、「グッとくる」ものが観たいな、なんて思いながら日々観ています。

 

その意味では、『キツツキと雨』は、こうした日々を「繰り返していること」が十全に描写された序盤だけで十分に観た甲斐があります。

 

そこにゾンビ映画の撮影隊がやってくることで、映画的には物語が駆動していきます。チェーンソーの音がうるさいと、撮影によって作業を止められる克彦は、東京からの闖入者に多少の不快感を感じながらも、生来のものと感じさせる受け身の姿勢で、徐々に撮影隊の協力者として状況に巻き込まれていきます。

 

身を任せることのできる物語。

 

 私のような姿勢で観ていると、このあたりの「物語の起こし方」が作為的に見えてしまうと途端に白けてしまうのですが、役所広司の演技の巧みさゆえか、克彦というキャラクター設定の的確さゆえか、徐々に観客としても、流れに身を任せていくのにやぶさかではなくなります。

 

そんななか、役に立たない、何のためにそこにいるのかわからない(ように克彦には見える)、小栗旬演じる若いスタッフの存在によって、観客の気持ち、状況判断が宙に浮く感じも見逃せません。「空虚な中心」のように見える彼は明らかに何者かで、勘のいい人ならすぐにわかるのかもしれませんが、あえてここでは触れないでおきましょう。

 

決定的な破局は起こらない。歓びは何度でも生まれる。

 

個々の人物の状況をミニマルに追っていくと、彼らは壁にぶつかったり袋小路に陥ったりしているために、そうは思えないかもしれないけれど、今作はコメディであり、それゆえに「決定的な破局は起こらない」という予感に満ちています。それをして弱点という見方もあるでしょうが、私は(この映画にとっては)そこがいい、と思いました。

 

逆にこの『キツツキと雨』には、歓びが生まれる瞬間が何度でも訪れます。

 

克彦が生まれて初めて脚本に涙し、映画に出演する歓び。監督の、自身の脚本や演出が人の心を動かす歓び。ゾンビとして倒れ、起き上がり、また倒れ起き上がる歓び。奇跡的に雨が上がる歓び。他人や親子の、心が通い合う歓び。

 

そうした歓びを二度三度、何度でも、自分の体験のように味わえるために、映画の始まりで、彼らの日常は丁寧に描写される必要があり、そのことによって、私たちの日常にも、映画的な歓びが浸食すると信じられます。ちょうどゾンビが感染するように。

 

キツツキと雨

キツツキと雨

 

 

キツツキと雨 通常版 [DVD]

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【映画関連のこれまでの記事】

映画レビュー『ストレイト・ストーリー』――おもいどおりにうごかない(またはデヴィッド・リンチはいつだって私たちの隣人)。

ストレイト・ストーリー
原題:The Straight Story
製作年:1999年
監督:デヴィッド・リンチ
あらすじ:
アメリカ・アイオワ州に住む73歳のアルヴィン・ストレイトは、娘のローズと二人暮らし。ある日、10年来仲違いしていた76歳の兄ライルが心臓発作で倒れたという電話が入り、アルヴィンは兄に会いに行くことを決意する。ライルが住むウィスコンシン州までは560キロ。車で行けば1日の距離だが、何とアルヴィンは時速8キロのトラクターで旅に出た。
(「映画.com」より ストレイト・ストーリー : 作品情報 - 映画.com )

 

映画『ストレイト・ストーリー』、DVDで観ました。

 

デヴィッド・リンチ異色の人情物?

 

1999年に公開された本作は、デヴィッド・リンチ監督作としては異色の人情物だと言われています。しかし、デヴィッド・リンチの映画が感動のヒューマン・ドラマでなかったことは一度もなかったのではないか。私は『ストレイト・ストーリー』を観ながら何故か、ずっとそう感じていました。

私たちはリンチの映画の登場人物と同じように、物事がままならないことを(経験的に)知っています。
恋愛は成就せず、部下や上司に恵まれず仕事は難航する。ときには、感情や身体さえ、思い通りにならない。そんなとき、私たちはリンチの映画と同じように、憤り落胆し、顔を歪ませて泣き崩れ、あの野郎をぶん殴りたいと思ったり、呆然と立ち尽くして途方に暮れます。


『ストレイト・ストーリー』ではとくに身体性が際立っています。
本作の主人公、アイオワに住む73歳の老夫、アルヴィン・ストレイトは目も脚も不自由な身体を抱え、遠く離れて住む老兄に会いに行くことを決意しますが、彼の交通手段はトラクターだけ。
時速8キロのそれは、身体の自由を失って久しい、彼の似姿であり、彼の身体の延長と言っていい。
経済状況や社会的地位と異なり、身体の衰えは(平等に、とは言わないまでも)誰にでも訪れるものであって、だからこそ『ストレイト・ストーリー』は、リンチ映画のなかでも私たちに近しさを感じさせる一作だと言えるでしょう。

 

リンチは俯瞰しない。


アルヴィンの思いつきや頑なさは、少しでも離れて、客観的に見れば滑稽で馬鹿馬鹿しいものに映りますが、リンチの映画では、主要な人物を鳥瞰して嘲笑することは決してありません
むしろ主人公たちが迷い、混乱するとき、リンチの映画のストーリーもまた、私たちの想像し得ない領域に迷い込むように感じます。
しかしデヴィッド・リンチの映画はそのイメージほど、支離滅裂で破綻したものではなく、より難解と言われれる『マルホランド・ドライブ』や『インランド・エンパイア』でさえ1本の長編映画としてまとめたように、リンチは映画監督であって、彼の映画をコントロールしています。リンチはあえて、登場人物の主観から離れないのでしょう。

 

私たちの隣人としてのリンチ。


アルヴィンは道中で、ハイカーの若い女性に出会います。彼女は妊娠しており、そのことを家族にも恋人にも言えず、家を飛び出したようです。真夜中の畑の傍で野宿をして焚き火を囲みながら、アルヴィンは彼女に語ります。

 

(アルヴィン)
誰もあんたやその子を失っていいほど――
怒ってやしない

 

(女性)
どうかしら

 

(アルヴィン)
ともあれ室内の温かいベッドの方が――
心地いいはずだ
こんなジイさんとウインナーを食うよりもな

 

『ストレイト・ストーリー』字幕より採録

 

リンチの映画では異例に見える他者への暖かい思いやりの言葉は、リンチがいつでも、私たちの隣人であって、リンチの映画が狂っているように見えるときは、私たちもまたおかしいのであり、同じものを見て、心温まるヒューマン・ドラマだと感じられる日もあるはずだと、示しています。

 

ストレイト・ストーリー リストア版 [Blu-ray]

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ストレイト・ストーリー リストア版 [DVD]

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【映画関連のこれまでの記事】

幸せだった頃、したように――私のママ・グランデの葬儀。

お題「もう一度行きたい場所」

 

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もう一度行きたい場所

 

このはてなブログでは、自己紹介めいた文章とか、作品や対象について書かない本当の雑文はいままで書いていなかったのですが、「お題スロット」というものに触発されて、少し個人的なことを書いてみます。「もう一度行きたい場所」について――。 

 

私が以前はてなダイアリーで書いていたブログはおおよそ、人に読まれること、控えめに言っても知り合い以外の人間に読まれることを、少しも考えずに書いていた独りよがりのものですが(そしてだからこそ、私自身には最高に面白く、とくに古いものは、今の私には書けそうもない文章が並んでいます)、それでもよく検索される記事がひとつだけありました。

 

d.hatena.ne.jp

 

「孫代表の挨拶(祖母の告別式、平成24年1月25日)」という題の上記リンクの記事で、これは私が実際にその日、祖母の霊前で読み上げたものでした。以下に再掲します。

 

孫代表の挨拶(祖母の告別式、平成24年1月25日)

 

 おばあちゃん、あなたが亡くなって、わたしの眼に浮かぶのは、わたしが高校を卒業するまで毎朝、家の門の前まで出て、通学するわたしを見送ってくれたおばあちゃんの姿です。おばあちゃんはわたしが角を曲がるまで、ずっとわたしの背中に手を振ってくれていました。


 わたしが小学生のとき、海外旅行から帰ってきたおばあちゃんが倒れてしまい、しばらくして家に帰ってきたとき、おばあちゃんがわたしたちの顔も名前もわからなくなっていたことがわたしにはとてもショックでした。少しずつ回復していきましたが、わたしは倒れる前のおばあちゃんに戻って欲しくて、毎日のようにおばあちゃんの部屋に行ってはおばあちゃんの肩をたたいたり、遊んでもらったりしたことを覚えています。


 毎朝、おばあちゃんがわたしを見送ってくれたのは、わたしが倒れた後のおばあちゃんに尽くしたからだ、わたしはどこかそう考えていたふしがあります。おばあちゃんが亡くなった今、そのことをわたしは恥ずかしく思います。おばあちゃんがわたしに与えてくれたのは、言葉通りの意味で「無償の愛」だったはずです。


 小学生のとき、雨のなかランドセルを忘れて学校に行ったことがありました。わたしは教室について初めてそのことに気づいて、泣きながら通学路を逆走し、ずぶ濡れになっておばあちゃんのいる家に駆け戻りました。泣きじゃくるわたしを、優しく抱き留めてくれたおばあちゃん。
 二階のおばあちゃんの部屋から見える松の木の枝にスズメが巣を作っているのを、うれしそうにわたしに教えてくれたおばあちゃん。


 こうして思い浮かぶわたしにとってのおばあちゃんの姿、その笑顔を思い出すだに、今人の親となったわたしは、おばあちゃんに教えられているように思います。人を愛するということ、どんな見返りを期待するということなく、ただ愛情を持って家族を見守るということ。


 そんなおばあちゃんの人生には様々な紆余曲折があったらしいことを、わたしは詳しくは知りません。わたしはおばあちゃんの訃報に接して、一昨日の晩、なぜか本棚からおばあちゃんと同世代の小説家たちが晩年、今のおばあちゃんと同じくらいの歳で書いた小説をいくつか取り出し、開いてみました。それらは作家の日常を描いたものです。おばあちゃんも本や芸術が好きで、おばあちゃんの部屋には婦人雑誌や絵画についての本や小説などがたくさんありました。わたしが文学や芸術に興味を抱くようになったのは、おばあちゃんの影響もあったように思います。


 しかし小説家のようにはおばあちゃんの生きた痕跡はこの世に形として残りません。それは残されたわたしたちの心のなかにだけ、あるということになります。けれども、だからこそ、おばちゃんがわたしたちに残してくれたものはかけがえがないものだと思っています。おばあちゃんの優しさ、愛情を、わたしたち自身やわたしたちの子どもたちに受け継いでいくことが、おばあちゃんがわたしたちにしてくれたことに、報いることだと思っています。どうか安らかに、いつまでもわたしたちを見守っていて下さい。


おそらく同じように祖父母の葬儀で挨拶をすることになった方々が、どのように書いたらいいのかと検索したのだと思いますが、読んでいただければわかるようにこれは私と祖母だけのとても個人的な体験に基づくもので、コピペして引用できるようなものではありません。兄弟や両親でも知らない話もあります。

 

私は通夜の式場から実家に戻った夜に、翌朝の挨拶のことを聞かされて書いたこの文章が、私自身がこれまで書いた文章のなかで一番いいものだと考えています。祖母もそう思ってくれているといいな、と思いつつ。

 

本来祖母にだけ聞かれるべき言葉を人前で読み、こういう場に一度ならず晒す私は痴れ者じゃないか、という気もしますが、今日こうして書いてみたのは、私は私自身の少年時代に戻りたいとか、もう一度青春を経験したいなどとは露ほども思いませんが、あの頃の放課後。祖母が惚けてしまったあと、二階の子ども部屋の隣にあった祖母の和室で祖母の肩を叩いていた、哀しさと愛おしさがないまぜになったあの時間、あの場所になら、もう一度行きたいと思うからです。

 

(記事タイトルは以下から引用しました。)

しあわせだったころしたように

しあわせだったころしたように

 
ママ・グランデの葬儀 (集英社文庫 40-A)

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洋画サウンドトラック10選―デヴィッド・ボウイ"Modern Love"にのせて彼女は走る。【2010年以降編】

写真:Skley

 

ここ最近、とくに『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』のヒット以降、映画のサウンドトラックがまた面白くなっています。
また、『シング・ストリート 未来へのうた』など音楽そのものがテーマになった映画の場合、劇中の人物(バンド等)の作品がそのままサウンドトラック・アルバムに収録され、しかもそれが最高に素晴らしい楽曲であることもしばしば。

 

私自身、ここ数年で映画をたくさん観るようになったこともありますが、映画のサントラを聴く機会が増えました。
配信やストリーミングの時代、アルバム一枚を通して聴く、ということが昔よりグッと減りましたが、サントラはその映画のテーマや内容、時代性に沿った統一感がある一方、収録アーティストや楽曲のバラエティに富んでいて、ある種、人のプレイリストを聴くような面白さがあります。しかもそれはただの他人じゃなくて、「あの映画」を作った人たちが、あの映画に合うと考えて作ったプレイリスト!なのです。


通して聴くことでその世界観に浸り、映画への理解もいっそう深まるような気さえしますし、日常のBGMとしても映画のイメージとともに気分のスイッチを切り替えてくれます。それでは――、

 

はじまりのうた(2013)

はじまりのうた BEGIN AGAIN [DVD]

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 はじまりのうた
原題:Begin Again
監督:ジョン・カーニー

 

まずは音楽そのものをテーマにした映画から。

同じジョン・カーニー監督の『シング・ストリート 未来へのうた』はもちろん最高ですが、『はじまりのうた』で特筆すべきは、劇中でSSWを演じるキーラ・ナイトレイの歌唱。映画のなかではNYの野外でゲリラ・レコーディングを敢行して製作したという設定の、楽曲や演奏の素晴らしさはもちろんのこと、プロパーの歌手ではないキーラ・ナイトレイの、繊細でニュアンスのある歌声が聴ける唯一のアルバムとして。

 

はじまりのうた-オリジナル・サウンドトラック

はじまりのうた-オリジナル・サウンドトラック

  • アーティスト: サントラ,セシル・オーケストラ,ヘイリー・スタインフェルド
  • 出版社/メーカー: ユニバーサル ミュージック
  • 発売日: 2015/01/21
  • メディア: CD
  • この商品を含むブログ (10件) を見る
 

 

ジャージー・ボーイズ(2014)

ジャージー・ボーイズ [DVD]

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 ジャージー・ボーイズ
原題:Jersey Boys
監督:クリント・イーストウッド

 

イーストウッド監督による60sアメリカのロック・グループ、フォー・シーズンズの伝記にして、同名ブロードウェイ・ミュージカルの映画化。ブロードウェイのオリジナル・キャストが主要キャストを演じており、サウンドトラックも、フランキー・ヴァリを演じたジョン・ロイド・ヤングの"Sherry"をはじめとした新録が素晴らしい。オリジナルの楽曲の良さを損なわず、今聴いても古さを感じさせないポップ・ミュージックとして成立させています。

 

ジャージー・ボーイズ オリジナル・サウンドトラック

ジャージー・ボーイズ オリジナル・サウンドトラック

  • アーティスト: サントラ,ジョン・ロイド・ヤング,カイリー・レイ,フランキー・ヴァリ&ザ・フォー・シーズンズ,フランキー・ヴァリ,エリック・バーゲン,ボブ・ゴーディオ,ボブ・フェルドマン,ボブ・クリュー,デニー・ランデル,クリュー
  • 出版社/メーカー: ワーナーミュージック・ジャパン
  • 発売日: 2014/09/10
  • メディア: CD
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インサイド・ルーウィン・デイヴィス 名もなき男の歌(2013)

インサイド・ルーウィン・デイヴィス 名もなき男の歌
原題:Inside Llwyn Davis
監督:ジョエル&イーサン・コーエン

 

主演、オスカー・アイザックが劇中でルーウィン・デイヴィスとして歌ったフォーク・クラシックや、ジャスティン・ティンバーレイクとキャリー・マリガンが歌う“Five Hundred Miles”など、レイト50s~アーリー60sのフォーク・ミュージックに、新鮮な響きを与えることに成功しています。ルーウィン・デイビスのモデルであるデイヴ・ヴァン・ロックや、ボブ・ディランの楽曲(未発表ヴァージョン)も収録されていて、ここから掘り下げてオリジナルを辿りたくなる名盤。

 

インサイド・ルーウィン・デイヴィス

インサイド・ルーウィン・デイヴィス

  • アーティスト: サントラ,クリス・タイル,ナンシー・ブレイク,オスカー・アイザック,ボブ・ディラン,デイヴ・ヴァン・ロンク,オスカー・アイザック&マーカス・マムフォード,スターク・サンズ with パンチ・ブラザーズ,キャリー・マリガン&スターク・サンズジャスティン・ティンバーレイク,オスカー・アイザック&アダム・ドライバージャスティン・ティンバーレイク,ザ・ダウン・ヒル・ストラグラーズ with ジョン・コーエン
  • 出版社/メーカー: ワーナーミュージック・ジャパン
  • 発売日: 2014/01/15
  • メディア: CD
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ランナウェイズ(2010) 

ランナウェイズ [DVD]

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 ランナウェイズ
原題:The Runaways
監督:フローリア・シジスモンディ

 

レイト70sのガールズ・ロックバンド、ザ・ランナウェイズを描いた今作の白眉は、なんといってもあの『アイ・アム・サム』や『宇宙戦争』で子役として活躍していたダコタ・ファニングが、下着姿で歌うランナウェイズのリードVo.、シェリー・カーリーを演じて歌った“Cherry Bomb”をはじめとした楽曲群。私自身、この映画がなければ、ランナウェイズや、他に収録されているストゥージズやセックス・ピストルズの楽曲を、改めて聴くことはなかったかも。

 

ランナウェイズ オリジナル・サウンドトラック

ランナウェイズ オリジナル・サウンドトラック

  • アーティスト: (オリジナル・サウンドトラック),MC5,ザ・ランナウェイズ,スージー・クアトロ,ダコタ・ファニング,ダコタ・ファニング&クリステン・スチュワート,デヴィッド・ボウイ,ニック・ギルダー
  • 出版社/メーカー: ワーナーミュージック・ジャパン
  • 発売日: 2011/02/23
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チョコレートドーナツ(2012)

チョコレートドーナツ [DVD]

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 チョコレートドーナツ
原題:Any Day Now
監督:トラヴィス・ファイン

 

ここからはドラマ映画。

ゲイカップルがダウン症の少年を養子として育てるために、様々な社会障壁にぶつかっていく、暖かくも、シリアスで胸の痛いヒューマンドラマ。その歌詞がタイトルに引用され、映画内でも大きな意味を持つ、主役のひとり、ショーパブのシンガーを演じたアラン・カミングの歌うボブ・ディランの“I Shall be Released”。この曲のために聴く価値のあるサントラ。

 

チョコレートドーナツ【国内盤先行発売/帯・解説付き】

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キャロル(2015)

キャロル [DVD]

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 キャロル
原題:Carol
監督:トッド・ヘインズ

 

今回挙げたサントラのなかで、個人的にはいちばん聴いたかもしれないアルバム。コーエン兄弟とスパイク・ジョーンズの映画全ての音楽を手がけているというCarter Burwellによるスコアと、数曲挟まれる、映画の舞台となっている1950年代のヒットソングのヴォーカル曲とのバランスもよく、ケイト・ブランシェットとルーニー・マーラの主役二人が湛える気高さにぴったりの、上品で美しい音楽たち。

 

「キャロル」オリジナル・サウンドトラック

「キャロル」オリジナル・サウンドトラック

  • アーティスト: サントラ,ジョージア・ギブス,レス・ポール&メアリー・フォード,ジョー・スタッフォード,ヘレン・フォスター&ザ・ローヴァーズ,ザ・クローヴァーズ,ビリー・ホリデイ,Lester Allen,ネッド・ワシントン,ポール・ウェストン,ピー・ウィー・キング
  • 出版社/メーカー: ユニバーサル ミュージック
  • 発売日: 2016/02/10
  • メディア: CD
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ファミリー・ツリー(2011)

ファミリー・ツリー [DVD]

ファミリー・ツリー [DVD]

 

 ファミリー・ツリー
原題:The Decsendants
監督:アレクサンダー・ペイン

 

『サイドウェイ』『ネブラスカ ふたつの心をつなぐ旅』のアレクサンダー・ペイン監督作。ジョージ・クルーニーがカメハメハ大王の末裔の一族で、財産管理を行う弁護士を演じた作品。事故で意識不明の重体となった妻の浮気を事故後に知ったり、思春期の子どもたちに翻弄されたり、土地の売却問題で東奔西走したりする、クルーニーのおろおろぶりが哀しくも可笑しい。映画自体、私も大好きな名作なのですが、全編、繊細で美しいウクレレやスティールギターの音が響くハワイアン・ミュージックで占められたサウンドトラックも、映画同様の哀感が漂って、素敵なアルバムです。

  

ファミリー・ツリー オリジナル・サウンドトラック

ファミリー・ツリー オリジナル・サウンドトラック

  • アーティスト: サントラ,ギャビー・パヒヌイ,サニー・チリングワース,レナ・マシャード,ソル・フーピズ・ノヴェルティ・トリオ,デニス・カマカヒ,ケオラ・ビーマー,オジー・コタニ,チャールズ・マイケル・ブロットマン,マカナ,ケオラ・ビーマー with ジョージ・ウィンストン
  • 出版社/メーカー: SMJ
  • 発売日: 2012/04/04
  • メディア: CD
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幸せへのキセキ(2011)

幸せへのキセキ [DVD]

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 幸せへのキセキ
原題:We Bought a Zoo
監督:キャメロン・クロウ

 

原題“We Bought a Zoo”、最愛の妻を亡くしシングル・ファーザーとなったマット・デイモンが、自身と家族の再生を求めて郊外の動物園を買う、というファンタジックな、しかし実話を基にしたストーリー。アイスランドのバンド、シガー・ロスのフロントマン、ヨンシーが全編の音楽を担当しており、「風変わりな設定のヒューマンドラマ」が、ヨンシーの楽曲のMVに見えるほど、この音楽なしに成立しない映画だと感じさせます。10代で雑誌『ローリング・ストーン』の記者になり、自身の体験を基にした『あの頃ペニー・レインと』の監督でもあるキャメロン・クロウならではの審美眼。

  

幸せへのキセキ

幸せへのキセキ

 

  

フランシス・ハ(2012)

フランシス・ハ [DVD]

フランシス・ハ [DVD]

 

 フランシス・ハ
原題:Frances Ha
監督:ノア・バームバック

 

「映画に使われやすい楽曲」というのがあって、ここでヒロインのフランシス(グレタ・ガーウィグ)の疾走シーンでかかるデヴィッド・ボウイ“Modern Love”もそのひとつ。というより決定版!「こじらせ女子」であるフランシスに、ひょっとして感情移入できない人も、このシーンの素晴らしさにはぐうの音も出ないでしょう。この曲の使用ではレオス・カラックス『汚れた血』が有名ですが、最近ではメラニー・ロラン主演の『突然、みんなが恋しくて』にも効果的に使われていました。

  

Frances Ha (Music From The Motion Picture) OST

Frances Ha (Music From The Motion Picture) OST

 

  

ヤング≒アダルト(2011)

ヤング≒アダルト [DVD]

ヤング≒アダルト [DVD]

 

 ヤング≒アダルト
原題:Young Adult
監督:ジェイソン・ライトマン

 

こじらせ度では『フランシス・ハ』を上回る、本作のシャーリーズ・セロン=メイビス(37歳・独身・YA小説のゴーストライター)。彼女にとっての青春のサウンドトラック(おそらく脚本のディアブロ・コーディ:1978年生まれにとっても)とでもいうべき90sロックが並ぶコンピレーション・アルバムのようなサントラ。映画冒頭でメイビスが繰り返しカーステで聴くティーンエイジ・ファンクラブ“The Concept”をはじめ、私のような完全同世代にとっては、完ペキに青春プレイバックなアルバムであり、映画ですが、上下の世代にはどのように響くのでしょうか。訊いてみたいものです。

 

Young Adult

Young Adult

 

 

【映画関連のこれまでの記事】

映画レビュー『ことの終わり』――“神”というオールマイティカード。

 ことの終わり
原題:The End of the Affair
製作年:1999年
監督:ニール・ジョーダン
原作:グレアム・グリーン『情事の終り』(Graham Greene "The End of the Affair")
あらすじ:
1946年、第2次大戦後のロンドン。作家のモーリス(レイフ・ファインズ)は、数年ぶりに友人のヘンリー(スティーヴン・レイ)と、その妻サラ(ジュリアン・ムーア)と再会する。モーリスとサラは、大戦中に不倫の関係にあった。サラが浮気しているのではないかと悩む現在のヘンリー。モーリスはその相手が気になり、探偵に依頼しサラの素行調査を行うが……。

 

映画『ことの終わり』、Amazonビデオで観ました。

※以下、ネタバレを含みます。

 

G.グリーン原作の、メロドラマ?

 

『第三の男』を書いた英文学の巨匠、グレアム・グリーン原作とあって、先に小説を、と思い『情事の終り』を読んだのが一年以上前で、面白かった記憶はあるけれど、内容も何もすっかり忘れ去っていました。映画を観ていなかったのにはとくに理由はないのですが、なんとなく、敬して遠ざけるような気分がなかったとは言えません。畢竟、自分にとってのリアリティがなかったというか。

さて、今作はレイフ・ファインズ、ジュリアン・ムーアといったアカデミー賞俳優を擁し、戦中戦後のロンドンの町並みや衣装にいたるまで手を尽くして再現した重厚たるメロドラマ。といった趣きで、語り手である作家、モーリス(レイフ・ファインズ)がかつて不倫関係にあった友人の妻・サラ(ジュリアン・ムーア)の素行調査をする、という複雑な、しかしメロドラマとしてはありがちな恋愛関係が主題のように見えます。

 

奇跡は起こった。そして神をめぐる三角関係へ。

 

しかし、ドイツ軍の爆撃からのモーリスの生還の秘密と、サラの浮気相手、すなわち友人・ヘンリー(スティーブン・レイ)、モーリスに続く“第三の男”の謎が明らかになると、物語は一転、「神をめぐる三角関係」「神との戦い」という様相を呈します。

すなわち、生死の淵からモーリスを救ってくれるように、それが適うならこの関係(不倫)を終わらせるとサラは神に祈誓し、モーリスは生還します(実際、モーリスは本当に一度死んだ、と見ることもできます)。サラはモーリスへの愛ゆえに神を信じ、神を信じるがために彼の許を去ったというのです。

 

 「君の靴にさえ嫉妬する」――笑っちゃうシリアスさ。

 

 しかしサラを愛するあまり彼女の靴にさえ嫉妬するというモーリスにとって、リアリティは情欲にしかありません。

 

「君のガーターに嫉妬する。一日中君の肌に触れているから。君の靴にも嫉妬する。君を家に連れ帰ってしまうから」

『ことの終わり』字幕より採録

 

――とまでいうモーリス。このあたりの描写は当人たちがシリアスで、描写にも切迫感があるゆえに滑稽で、笑えます。そしてこういうシーンが私は一番面白いと感じました。

『ゴーン・ガール』(監督:デヴィッド・フィンチャー)、『アメリカン・ビューティー』(監督:サム・メンデス)などでもそうですが、滑稽なまでに何か執着するさまをシリアスに描きつつ、同時にものすごく可笑しい。という場面の面白さは、アメリカ映画の得意分野ではないでしょうか(今作の舞台こそイギリスですが)。少なくとも、(観客が少なくともストーリーを理解できるよう)作品を成立させるために多くのクリシェを必要とする映像表現ならではの可笑しさでしょう。

 

“神”という何ものか。

 

神の奇跡が真実だと悟った上で、神を拒絶したモーリスの、“ Leave Me Alone”(「放っといてくれ!」)という言葉で物語は終わります。

信仰を持たない私にとっては、サラやモーリスの葛藤について、やはり自分に引き寄せては理解しがたいところがありました。

この物語においては、「神の奇跡は既に起こった」ことが前提に話が進み、ラスト、少年の顔から痣が消えたことにより(少なくともモーリスにとって)、神の存在が証明されます。

キリスト者ではない私にも、登場人物たちの葛藤を切迫したものとして感じられたマーティン・スコセッシの(および原作・遠藤周作の)『沈黙』では、神は文字通り「沈黙」していました。しかしどちらの物語も、神なしに成立し得ないものであることもまた、事実です。

「“神”というオールマイティカード」の存在を、そこに意識しますが、非信仰者にとっても、そこに「何ものか」を代入することはできるでしょう。それをして「映画」とか「芸術」といえば、それは私たちにも親しいものとなり得ます。

 

blog.goo.ne.jp

今回の文章を書くにあたり、大変参考にさせていただいたグレアム・グリーン評。「“神”というオールマイティカード」という表現も、こちらから使わせていただきました。

 

ことの終わり (字幕版)

ことの終わり (字幕版)

 
ことの終わり [DVD]

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【映画関連のこれまでの記事】

『皆既日食を1998年製のゲームボーイ用「ポケットカメラ」で撮影』というニュースを見て、手持ちのMDウォークマンの用途を考えてみる。

 

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This Guy Shot the Solar Eclipse with a Game Boy Camera ( petapixel.com )

 

先日たまたま見かけた二つの記事。

 

gigazine.net

“アメリカ大陸を横断した皆既日食を1998年製のゲームボーイ用「ポケットカメラ」で撮影” 

 

gigazine.net

“ゲームボーイの「ポケットカメラ」を使ってニューヨークの日常を撮影した写真集” 

 

ゲームボーイがカメラになるという素敵ガジェット。

  

任天堂のゲームボーイ用ソフト「ポケットカメラ」は、普通のゲームカートリッジのように本体に差し込んで起動することで、本体の液晶画面で確認しながら写真撮影ができ、専用プリンタおよび専用紙(感熱式のシール用紙)で印刷できるというもの。

当時大学生だった私も、「ゲームボーイがカメラになる」(まだケータイのカメラもなかった時代に!)という発想の面白さ/どうかしてる感じに触発されて、発売と同時に購入し遊んだ記憶がありますが、これはすごいですね。

 

128×128ピクセルの超低解像度で撮った天体写真とニューヨーク。

 

上の記事は天体望遠鏡の接眼レンズにゲームボーイポケットのレンズをくっつけて撮影する、所謂「デジスコ」(野鳥観察などでフィールドスコープとコンデジの組み合わせで用いられる撮影方法)の手法で撮られています。

下の方は、David Friedmanさんが2001年に行っていた『「ポケットカメラでカラー写真を撮る」というプロジェクトの最中に撮影された』ものだといいます。

 

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 David Friedmanさんのサイトより。本来モノクロでしか撮れないポケットカメラの画像をカラー化している。マジカル!

 

ポケットカメラはモノクロ写真しか撮影できないのですが、Friedmanさんは「赤・緑・青のフィルターを使って同じ写真を3枚撮影し、コンピューターを使って撮影した写真を合成すればRGB写真ができるはず」という理論に基づきカラー写真を作りました。

http://gigazine.net/news/20140519-ny-pocket-camera/

 

映画でもかつては白黒フィルムで撮影したものを同様の手法でカラー作品に仕上げたりしていたそうですが(テクニカラーなど)、ポケットカメラでそれを「実際に」やってみせるとは、世界のギークやアーティストたちの発想も、20年の時を越えて、「ポケットカメラ」というガジェットの面白さに負けずにぶっとんでいます。

 

忘れられたMDウォークマン。

 

私はすでに「ポケットカメラ」は手放してしまいました。今だに専用紙などもネットで入手できるようですし、持っておいたら遊べたかも、とは思いますが、上述の記事の達人たちのような「最高の使い道」を考えることができたかどうか。

ところで、私の手許にあってなかば眠っているアイテムの一つにMDウォークマンがあります。

 

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今回思い立って、カーステで久しぶりに聴いてきました。結構いい音。MDのビットレートは292kbpsということで、圧縮形式も違うし単純比較はできないようですが、従来のMP3等と比べても遜色なさそうです。

 

ソニー製Net MD Walkman「MZ-N920」、録音機能付き。2003年頃、当時雑誌の編集記者をしていた私は音楽を聴くだけでなく、取材時の録音用にマイクを付けて使っていました。ほどなくして音楽はiPod、録音はICレコーダーに取って替わり、MDウォークマンは使わなくなってしまいました。

 

我が家ではまだMDそのものは現役なのですが。

 

 実は今も、主に妻が常用している中古の軽自動車のステレオがMDのみ(CDデッキは壊れている)なのと、友人のひとりの車もそうなので、たまにミックステープならぬミックスMDを作って聴いてもらったりしているのですが、ウォークマンの方は、やっぱりスマホやDAPで事足りしてしまうので、わざわざ持ち出して使うに至りません。

しかしアルミ製のボディは今見てもスタイリッシュですし、カチャカチャしたディスクの取出し、挿入の機構の機械然としたたたずまいが新鮮で、格好いい。

 

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カバーを開けると、“カシャッ”という音とともにディスクが飛び出すギミックが気持ちいい。

 

ガム型の充電池はヘタってしまっていますが、今でも単3電池1本(電池ケースを外付けする方式)でちゃんと動きます。ディスクの回る「きゅるきゅるきゅる」という音も、今では微笑ましく感じます。


というわけでモノとしての愛着は使わなくなった今もあるのですが、何かいい用途がないものか。何度目かの人気再燃のカセットテープのようなアナログ感も乏しいし、「MDならでは」というのが生きる場面がないのが、まぁ衰退した理由なのでしょうけど。いっそ手放してもいいのですが、今まで放っておかれていても、文句なく動いてくれる(しつこいようですが、乾電池1本で!)かわいいヤツですし、それも忍びないです。――でも今のところ、手持ちの「MDでしか持っていない音源*1を聴く」くらいしか、思いつかないなぁ。

*1:人にいただいたミックスMD、小沢健二「Buddy」などのレアシングルetc.

こんな文章が、書けたなら――。片岡義男『彼らと愉快に過ごす 僕の好きな道具について』

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文章を書くうえで、おおきな影響を受けた作家が何人かいます。
はじめに、高橋源一郎。小説や、文章で表現できること(してもいいんだ、ということ)の可能性の拡がりを教えてもらった。
そして、リチャード・ブローティガン。「針の穴を通して世界を見る」ような、ごくパーソナルな視点から世界のひみつを覗くような好奇心。
保坂和志。この人の思考のあり方や、それを反映した途切れなく、しかし飛躍しながら続く文章は感染力がある。

 

片岡義男による、30年早いガジェット・レビュー。

 

なかでも、「ああ、自分にも、こういう文章を書くことができたなら」と思うのは、片岡義男です。

片岡義男が雑誌『BE-PAL』に連載し、1987年に上梓した『彼らと愉快に過ごす』という単行本があります。
連載時のタイトルは「ぼくの好きな道具たち」という。写真家でもある片岡みずから撮った写真とともに、身の回りの愛用品について、短いエッセイを添えたものを、集めた本です。
30年も前の本ですが、いま、ブログには同趣旨の文章が溢れていますが(私のこれも含めて)、片岡義男のような文章は殆ど見たことがありません。

 

他のどこにもない、片岡義男の日本語。

 

百聞は、一見に如かず。少し引用してみましょう。

 

 もう何年もまえの、ある年の真夏、素晴らしい海岸と海に面した田舎町の駄菓子屋兼玩具屋さんで見つけて買ったこれを、ぼくはいまでも持っている。ぼくにとっては、大事なものだ。
 大きさは、ぼくの薬指ほどだ。先端からすこしだけ出ている鉄の棒を引っ張ると、スプリングが縮み、ボディの台座とのあいだにすきまが出来る。そのすきまに、紙火薬から一発分だけを切り取り、スプリングの力ではさみこむ。ロッドが紙火薬をきちんと正面から押さえていることを確認して、この小さな爆弾状のものを、高くほうり上げる。

 

この文章は引用のあと、一段落だけ続きます。
「ぼくはこれで遊びたい」というタイトルのこのエッセイは、香港製のホチキスについてのもの。
何が他のたくさんの、日本語で書かれた同種の文章と違うのでしょうか。
簡潔で、映像を喚起しつつ、情緒的でない文章。映画になりやすい小説や文章は山ほどありますが、それらとはまったく違う、そのままで映像作品のような文章です。あるいは、写真作品を見るときの人の視線を分解したような。
私はこうした文章が108つ並べられたこの本を読んでいると、ほとんど小説を読んでいるような気分にさえなります。こんな小説は他に読んだことがないのに。

 

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平野甲賀による美しい装丁(写真はグラシン紙がかかっています)

 

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カバーを外したところ。樹脂の繊維による編み込み、プリントではないのです!


片岡義男はここしばらくまた、若い人も含めた幅広い世代の読み手に支持されて、カルト的な支持を得ています。
わたしはかつて、いくつも角川映画で映画化されたりと、流行作家であった、80年代の片岡義男を、リアルタイムでは知りません*1。その事実は恐るべきことですが、それ以上に30年も前に、どんな製品レビューよりも的確でありつつ読むだけで背筋が伸びると同時に、リラックスすらできるような文章が、このような形式の単行本として出版されていたことの驚き。

  

 

 【当ブログの書き方、どういう記事を、どのように書くのか、という点について、(そうは見えないかも知れませんが)片岡義男の文章、とりわけ以下の記事で取り上げた『個人的な雑誌』という本に影響を受けています。】

www.sotoblog.com

 

*1:少し前まで、この時代の片岡義男は、赤い背表紙の角川文庫が、ブックオフなどでどれも1冊100円で入手することができました。しかも驚くべきことに、どれを読んでも同じように面白いのです。ここ最近の事情は、新古書店が近所にないのでわかりません。

釣りをしない人間が見た『釣りよかでしょう。』――あるいは小学2年生をも魅了するブロマンス世界。

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写真:Thomas Leuthard


小学2年生の長男が現在ハマっているものに、『釣りよかでしょう。』というYouTubeチャンネルがあります。

 

www.youtube.com

 

釣りオンチの父親にして…。

釣りについて、私自身は知識も経験もないのですが、住んでいるのが海辺の街であり、同居の義父が世話してくれることもあって、息子は近所の漁港へ釣りに行ったり、本やテレビやYouTubeなど、どこからともなく知識を仕入れてきて、「セルビン」と呼ばれるペットボトルの仕掛けを作って川でウナギとりをしたりして、楽しんでいるようです。週末には私も一緒に行きますが、「父ちゃんは釣り詳しくないからわからんやろ」と、なかば子分扱いされております。 

 

ウナギとりの夏 (月刊 たくさんのふしぎ 2012年 08月号)

ウナギとりの夏 (月刊 たくさんのふしぎ 2012年 08月号)

 

息子のバイブルとなっているウナギとり絵本。 

 

また、所謂YouTuberによる動画コンテンツについても、私はほとんど観たことがありません(興味がないというよりも、観る時間がない)。

そういうわけもあって、『釣りよかでしょう。』についてもまったく知らなかったのですが、かなりの人気コンテンツなんですね。なので本当は、私などがこんなネットの隅っこで、わざわざ紹介することはないのでしょう。


息子が好んで観ているのは知っていましたが、私はチラっと横から眺めてみただけでその後もスルーしていたのですが、先日、大画面で観たい息子に請われてChromecastでふたりで一緒にテレビで観てみたら、これがまた、めちゃくちゃ面白いじゃないですか。

 

『水曜どうでしょう』オマージュの釣りチャンネル。その完成度!

 基本的には、アラサーと思しき数人のメンバーたちが、キャッキャッと騒いだりじゃれ合いながら、愉しげに釣りなどをしているだけに見えます。チャンネル名からも想像に難くありませんが、番組の構成やタイトルデザイン、会話のキャプションの入れ方やフォントにいたるまで、『水曜どうでしょう』を参照していることがすぐに見て取れます。『どうでしょう』のオマージュ/コピーというのは動画製作のプロではない(方の)YouTuberにとっては、コンテンツを制作する際によく取られる戦略だとは思います。しかし、『釣りよか』の完成度は非常に高く、これもまた私のYouTuberの世界に対する無知でしょうが、「ここまで来ているのか!」と驚きました。
(この辺の話もネットのなかでは腐るほどされているのではないかと想像しますが)


もしかしたら、というかおそらくそうだと思いますが、90年代後半の初期『どうでしょう』よりも、テクノロジーの進化のぶん、少なくとも映像の上ではリッチな仕上がりになっているかもしれません。

 

「釣り」目当てだったはずなのに――。

 しかし私が(息子との関わりにおいて)驚いたのは他の点にあります。『どうでしょう』を踏襲した作り、と書きましたがコンテンツそのものもそうで、「釣り」チャンネルといっても、釣りそのものに特化した動画というよりも、釣った魚だけでなくザリガニなどを料理したり、ただ「メンバーのひとりが10年伸ばしたヒゲを剃るかどうか」というようなネタなど、「愉しげな雰囲気でキャッキャッ」の方により重点が置かれているようです。
(これもYouTuber動画のあり方としては正しい方法論でしょう)

 

www.youtube.com

むねおくんのヒゲは剃られたのか?

 

つまり小2の長男は、元々は釣りに対する興味から動画検索して『釣りよか』に辿り着いたのですが、彼らYouTuberたちの「関係性の戯れ」をこそ楽しんでいるのです。

リアル世界での濃密なコミュニケーションの苦手な若者たちが、フィクションの享受において、ストーリーよりもキャラクター同士の戯れを、一種の憧れの眼差しをもって愉しみ、消費しているというのは昨今よくいわれる潮流ですが、ジャド・アパトー一派をはじめとしたブロマンス映画を愛し、その実友人の少ない私はともかく。

 

40歳の童貞男 無修正完全版 [DVD]

40歳の童貞男 無修正完全版 [DVD]

 

「40歳映画」「ブロマンスムービー」の嚆矢ともいえるジャド・アパトー初監督作。 

 

結論:“楽しく愉快に過ごすよりほかに良い事はない”

ゲームやアニメといった子どもらしいコンテンツへの関心が薄い息子は、
「○○くんと××くんが話してるの何言うてるか全然わからんねん。」
などと言います。


一方で日夜釣りの仕掛けを研究し、イモリやサンショウウオ、ザリガニやメダカ、金魚までを飼育して、さらには植物や鳥の名前を覚え、刑事ドラマ『あぶない刑事』*1および舘ひろし・柴田恭兵コンビに親しむなどのひとり遊びに熱中しながら、『釣りよかでしょう。』やその界隈のYouTuber(『釣りいろは』『ハイサイ探偵団』などもチャンネル登録しています)たちのコンテンツに親しんでいます。

 

その姿には、多少の不安も感じなくはありませんが、
「やっぱり自分の息子だよなぁ。」
と諦めといとおしさを持って眺めている今日この頃です。
愉しく生きようぜ、息子よ。

 

以前引用した「コヘレトの言葉」をここでも引いておきましょう。

 

わたしは知っている。人にはその生きながらえている間、楽しく愉快に過ごすよりほかに良い事はない。
(『旧約聖書』(口語訳、「伝道の書」第三章十二節)

 

sotoblog.hatenablog.com

 

 

【余談】

ところで、息子にはYouTubeは私や妻のスマホ、iPadなどを使わせて見せています。たまに勝手に手にとって見ていることもあり、ネット環境及び通信端末を、どの程度子どもに使わせるのかは悩ましいところでもあります。

息子はゲームに興味がなく(別にそう仕向けたわけではありません)、 Nitendo DSなどの携帯ゲーム端末も持っていないので、スマホの用途もYouTubeの無料コンテンツとLINE(妻のスマホから他の家族に送る)くらいであって、今のところはこういう使わせ方でもいいかな、と思っています。

ただ、最低限のネット、ITリテラシーは身につけて欲しいので、ローマ字を覚えられるようになったら、このブログでも度々取り上げているChromebookを使わせてみようかと考えています。セキュリティやアップデート、用途面からも、Windowsなど他のOSよりも、「はじめてのパソコン」「はじめてのキーボード端末」として、Chromebookが良さそうだな、と思っています。(これについては一度きちんと整理して、あるいは実際に使わせてみて、書いてみたいです)

 

www.sotoblog.com

  

 ※追記(H29.11.1):『釣りよか』をきっかけに方言について考えた記事はこちら。

sotoblog.hatenablog.com

 

*1:これも私の趣味ではなく、長男が自分で選んだコンテンツなのですが、『あぶ刑事』について触れるとまたひとつの記事になってしまうので、ここでは割愛します。

夏の映画、邦画編「他の誰でもない、私(だけ)の記憶。」


夏の映画、邦画編を選んでいたら、90年代の作品ばかりになってしまったのには、理由がないわけではありません。
90年代に10代だった私にとって、夏の映画は青春映画であって、「私だけの映画」でした。大衆娯楽である映画作品を「私だけのもの」と思えるのはティーンに特有の気分でしょう。
それらの映画に描かれているのは派手なCGやアクションはないけれども、映画でしかありえないエピソードであって、しかしそれでも、私の身にも起きるかもしれない出来事のように感じられました。
40代がそこまで見えてきた今の私にとって、これらの映画は人生を下支えしています。このようなことが実際には、私に起こらなかったといっても。

 

20世紀ノスタルジア

20世紀ノスタルジア デラックス版 [DVD]

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 20世紀ノスタルジア
製作年:1997年
監督:原将人 

 

高校2年の夏休みに、一組の男女が一緒に映画を撮り始める――というと甘酸っぱいストーリーのようですが、転校生として、主人公の杏(広末涼子)の学校にやってきた徹は宇宙人・チュンセにボディジャックされているといいます。それを「映画の設定」だと捉えた杏は自身も宇宙人・ポウセとして撮影を続けるが、チュンセは滅び行く地球の現状に絶望していく――そんなお話をあくまで実生活のリアリティを失わないレベルで語りきり、『あまちゃん』で出てきたときの能年玲奈(現・のん)と同様か、それ以上のインパクトのあった高校生の広末涼子の姿を収めた傑作。

 

水の中の八月

水の中の八月 [DVD]

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 水の中の八月
製作年:1995年
監督:石井聰亙(現・石井岳龍)

 

こちらは広末涼子と同学年の小嶺麗奈主演。高飛び込みの選手、泉(小嶺)と高校の先輩の真魚との出会いを描く序盤こそ、オーソドックスなボーイミーツガールストーリーに思えるけれど、超新星爆発や隕石の落下による異常気象、“石化病”という奇病の流行、という展開に、今思えば90年代末特有の終末感を感じますが(そしてそれは『20世紀ノスタルジア』とも符合します)、こういうことが実際に起こらなかったとしても、当時の私たちには言いようのないリアリティがありました(1995年という年!)。

 

鉄塔武蔵野線 

鉄塔武蔵野線 [DVD]

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 鉄塔武蔵野線
製作年:1997
監督:長尾直樹


小学生の夏休み、送電線の鉄塔に「武蔵野線71」と書かれたプレートを見つけた少年(伊藤淳史)が、どこまでも続く電線を辿れば「1号鉄塔」まで行けるのでは、と歩き始める――。サマー・ストーリーも、男の子が主人公になると『スタンド・バイ・ミー』式の「生きて帰りし物語」、イニシエーションの話になりますが、この映画の出色は何といっても「鉄塔」というモチーフ。原作は「日本ファンタジーノベル大賞」を受賞した傑作ですが、この物語のファンタジーは、ありそうもないことや異世界への扉が開かれることにあるのではなく、他の誰よりも深い「鉄塔」愛にあります。

 

サイドカーに犬  

サイドカーに犬 [DVD]

サイドカーに犬 [DVD]

 

 サイドカーに犬
製作年:2007年
監督:根岸吉太郎


今作のみ2000年代の作品。10歳の少女の夏、家出した母の代わりにやってきた、“ヨーコさん”という蓮っ葉な若い女性(竹内結子が好演しています)との出会いの記憶を、20年後の現在からの回想として語る形式が特徴的で、私がリアリティを感じたのもそこでした。10代でしか感じ得ない、甘さと苦さを噛みしめて、少女や少年は大人になっていきます。竹内結子の口ずさむ、RCサクセションの「いい事ばかりはありゃしない」!

 

いい事ばかりは ありゃしない
きのうは 白バイにつかまった
月光仮面が来ないのと あの娘が 電話かけてきた
金が欲しくて働いて 眠るだけ

 

RCサクセション「いい事ばかりはありゃしない」歌詞より

 

今回、はてなブログの特別お題「夏の映画・ドラマ・アニメ」に乗っかって、 色々と考えたり、他の方の挙げている作品を眺めてみるのは、とても愉しい体験でした。

 

鉄塔 武蔵野線 (ソフトバンク文庫 キ 1-1)

鉄塔 武蔵野線 (ソフトバンク文庫 キ 1-1)

 

 『鉄塔武蔵野線』原作本。小説というより研究日誌のような、「鉄塔愛」に満ち満ちています。

 

猛スピードで母は (文春文庫)

猛スピードで母は (文春文庫)

 

 『サイドカーに犬』原作の同名小説を所収。長嶋有さんは私の最も敬愛する日本の小説家のひとり。夏の話、ということでいえば『ねたあとに』(朝日新聞出版)は最高の小説です。

 

【過去記事より】洋画編もあります。

sotoblog.hatenablog.com

sotoblog.hatenablog.com

 

 

【映画関連のこれまでの記事】