ソトブログ

文化系バーダー・ブログ。映画と本、野鳥/自然観察。時々ガジェット。

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夏の映画、続・洋画編「トホホな人生にも、等しく夏は来る。」

 

夏の映画!というとサマーでヴァケイションなハイテンションもしくは甘酸っぱいお話を想像、期待するけれど、映画人というのは、あるいは映画ファンの観客もまた、業の深い人種なのでしょうか。私の思い入れのある夏映画はどれも、イケてない人のイケてない話ばかり。でも皮肉でもなんでもなく、彼ら彼女らが、もがいたり諦めたりふざけたりボーッとしたりしている様を眺めていると、不思議と愉しい気持ちになります。

 

なお、私は観たはしから映画の細部を、ストーリーを忘却してしまう特異体質であり、鑑賞直後でないと詳しくレビューできないため、今回は一言ずつコメントします。偉そうに言うことではありませんが。

 

 プールサイド・デイズ

プールサイド・デイズ [DVD]

プールサイド・デイズ [DVD]

 

 プールサイド・デイズ
原題:The Way Way Back
製作年:2013年
監督:ナット・ファクソン、ジム・ラッシュ 

 

コメディアン、スティーヴ・カレル史上最低なクソ野郎演技が出色の、母親の恋人・トレントに口汚く罵られる14歳の少年・ダンカン。彼が、ウォーターパークのアルバイトを通して得るものとは? 少年のメンター役となるプールの監視員、オーウェン(サム・ロックウェル)が、少しも褒められた人間じゃないところが素敵。 

 

セルフィッシュ・サマー

セルフィッシュ・サマー [DVD]

セルフィッシュ・サマー [DVD]

 

 セルフィッシュ・サマー
原題:Prince Avalanche
製作年:2013年
監督:デヴィッド・ゴードン・グリーン

 

コメディアン、ポール・ラッド史上最も地味なポール・ラッドが、大規模な森林火災のあとの道路の修復作業に従事しながら旅をする。道連れは同じロード・ムービー『イントゥ・ザ・ワイルド』のときよりもずっとバカで自己中な助手のエミール・ハーシュただひとり。二人の不機嫌なやりとりを観ているだけなのに、こんなにもジョイフルなのは何故?

 

アドベンチャーランドへようこそ

アドベンチャーランドへようこそ [DVD]

アドベンチャーランドへようこそ [DVD]

 

 アドベンチャーランドへようこそ
原題: Adventureland
製作年:2009年
監督:グレッグ・モットーラ

 

文化系オタク青年を演じたら右に出る者のないジェシー・アイゼンバーグが、進学の学費を稼ぐため、場末の遊園地でひと夏のアルバイト。というと、『プールサイド・デイズ』と同様の構造(こちらが先)ですが、こちらはメンターが恋敵にもなるというお話。あちらのサム・ロックウェルと、今作のライアン・レイノルズの違いかな。

 

グッバイ、サマー

グッバイ、サマー [DVD]

グッバイ、サマー [DVD]

 

 グッバイ、サマー
原題:Microbe et Gasoil
製作年:2015年
監督:ミシェル・ゴンドリー

 

こちらも14歳。クラスのはみ出し者の少年ふたり。廃品を集めて「動くログハウス」のような自作カートで旅に出る。これが自伝的作品だというから、ミシェル・ゴンドリーのDIY精神ここに極まれり、という感じ。フランス映画界の大先輩、トリュフォーの『トリュフォーの思春期』を思い出しました。

 

次回こそ、邦画編(の予定)。

※追記:下記、「邦画編」も書きました。他に「洋画編」その1と、今回紹介した作品にもある「劇場未公開コメディ」についての記事も書いています。

 

sotoblog.hatenablog.com

 邦画編はこちら

 

sotoblog.hatenablog.com

 洋画編・その1

 

 特別お題「夏の《映画・ドラマ・アニメ》」

Sponsored by Netflix

 

【映画関連のこれまでの記事】

夏の映画、洋画編「うだるような暑さのなか――。」

 

はてなブログの、今週の『特別お題』が夏の作品、(映画・ドラマ・アニメ)、ということで、乗っかって色々考えてみたのですが、今日は1本の洋画について。

 

狼たちの午後 [DVD]

狼たちの午後 [DVD]

 

 狼たちの午後
原題:Dog Day Afternoon
製作年:1975年
監督:シドニー・ルメット
あらすじ:
ニューヨーク、猛暑の白昼。銀行に3人組の強盗が押し入る。しかしそのうちのひとりは逃亡。その上、銀行には小額の現金しかなかったことがわかる。犯人のソニーとサルはあっという間に警官隊に包囲され、人質とともに篭城せざるをえなくなる。一方、集まった野次馬たちは犯人を応援するという異常な事態に。そんな中、ソニーが犯行に走った理由も明らかになるが。はたして事件の行方は?

(「映画.com」より 狼たちの午後 : 作品情報 - 映画.com )

 

『狼たちの午後』原題は、"Dog Day Afternoon"

 

原題の“Dog Day”(ないしDog Days)は「盛夏」を意味するイディオム。直訳すると『Dog Day Afternoon』=『真夏の午後』ということになります。

 

本作は1972年8月22日、真夏のニューヨークのブルックリンで実際に起きた事件を題材にしています。
行員たちを人質に銀行に立て籠もる犯人二人と人質たちは、空調の止まった銀行の建物内で、包囲する警官隊は炎天下で、じりじりとした睨み合いが続きます。
ここにいる全ての者に平等に降り注ぐ灼熱の太陽こそが、この映画にリアリティを与えています。

 

強盗の主犯格・ソニーに扮し、「鬼気迫る」を地で行く演技を見せるアル・パチーノ。犯行開始時、映画冒頭でジャケットにネクタイという出で立ちの彼は、思うように事が進まない焦りも相俟って、日が沈む頃には首元は汗でドロドロ、シャツの前をはだけています。

 

しかしこの映画、実は撮影時は秋頃で、吐く息が白くならないように、口の中に氷を含んで演技をしたんだそう。まさかそうだとは思えないほど、ソニーだけでなく、糖尿病で体調を崩しながらも行員たちの前で冷静さを失わない支店長をはじめ、キャストたちの“暑さによる消耗”の演技の、迫真性は見事としかいいようがない。

 

冷静さを失いかねない状況の只中で。

 

そしてこの映画の緊張感を持続させているのは、何といってもアル・パチーノの存在感でしょう。
その演技もさることながら、ソニーという人物の造形も素晴らしい。ソニーはプロフェッショナルではないし、冷静沈着ともいえないが、決してバカではないということ。少なくとも、刻一刻と変化し、冷静さを失いかねない置かれた状況のなかで、安全圏にいる私たち観客と同等かそれ以上の判断力で、ベストな対処をしようと試みている。
だからこそハラハラする。
それこそがこのドラマの本質だと思います。
肌にまとわりつくような暑さを画面から感じつつ、そして手に汗を握りつつ、クライマックスの展開に身も凍るような戦慄が走ります。

 

現実の滑稽さを担保したリアリティの質。

 

ここで裏腹なことを言うようですが、この映画も含めて、この頃の映画には、持続するサスペンスの傍ら、とぼけたユーモアの味わいもあって、ソニーの相棒、サルのちょっとエキセントリックなキャラクターや、人質の女性行員たちの、束の間のガールズトーク。あるいは早口でまくし立てるソニーの奥さん!など、コミカルで魅力的な脇役たちのシークエンスが、映画を間延びさせることなく挟み込まれていて、70年代の映画の、今とはたぶん少し異なる、リアリティの質を感じました(そしてそれはとても、魅力的です)。

 

うだるような暑さを感じさせる映画を更にもう少し。

 

実は他にもいくつか思い浮かぶものがあったのですが、それらの共通点が、今回の表題、


「うだるような暑さのなか――。」
です。


一本はこれ、

フォーリング・ダウン [DVD]

フォーリング・ダウン [DVD]

 

フォーリング・ダウン
原題:Falling Down
製作年:1993年
監督:ジョエル・シュマッカー
作品紹介:
ロサンゼルスを舞台に、日常生活に疲れた平凡な男が理性を失い、数々の事件を起こしていく姿を描くサスペンス・スリラー。

(「映画.com」より フォーリング・ダウン : 作品情報 - 映画.com )

 

こちらは暑さのあまりキレてしまう、一見まともそうな風貌のサラリーマン、Dフェンス(マイケル・ダグラス)。猛暑のなかの大渋滞。車のエアコンも効かず、一向に進まない車列に業を煮やしていきなり車を乗り捨てる冒頭から、「こいつヤバイな」という雰囲気を醸し出しているのですが、どんどんエスカレートしていく様が、狂気じみているのに、これもまたユーモラス。

しかも、意外にもDフェンスは間違ったことを言ってないんじゃないか、「もっとやっちゃえよ」というような、自分の心の声も聞こえてきそうになる、夏の暑さにやられそうになった頭を更に混乱させる怪作です。


さらにもう一本。 

ザ・サンド [DVD]

ザ・サンド [DVD]

 

ザ・サンド
原題:The Sand
製作年:2015年
監督:アイザック・ガバエフ

 

リゾートビーチでスプリング・ブレイク(春休み)の乱痴気騒ぎをしていた高校生たちが、一夜明けてみると、「人食い砂浜」に一人、またひとりと餌食にされていく、というような、所謂B級ホラーの体裁。

それが、生き残った数名の仲間たちと、移動手段のない砂浜という、炎天下でありながら閉鎖的な空間。というまさに発明のような演劇的空間で、しかもその数名たちの、恋の鞘当てを含む微妙な心理サスペンス&ラブストーリーになっているという、アクロバティックな良作。

映画監督・脚本家の三宅隆太さんの連載、および単行本の紹介で知り、観ることができました。

43mono.com

 

これ、なんで劇場公開しなかったんですか?: スクリプトドクターが教える未公開映画の愉しみ方

これ、なんで劇場公開しなかったんですか?: スクリプトドクターが教える未公開映画の愉しみ方

 

 

次回は邦画編(の予定)です。

※追記:下記、「続・洋画編」「邦画編」も書きました。 

sotoblog.hatenablog.com

 洋画編、その2

 

sotoblog.hatenablog.com

 邦画編はこちら

 

 

【映画関連のこれまでの記事】

くたびれて寝転んだ縁側で空を仰ぐと、遥か上空を猛禽類が飛んでいる(野鳥観察の愉しみ)。

 

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炎天下の日曜日の夕方。

疲れ果てて帰ってきて、縁側に仰向けになって空を仰ぐと、澄み渡ったはるか上空を滑空する鳥が見えました。


それが見慣れたトビではなく、いつか先生に教えてもらったあの「オスプレイ」ではないかと思って、肩から斜めがけにしたままのカバンから、光学40倍ズームのコンデジを取り出してめいっぱいズームをかけていきます。


とにかく何枚か撮って、それなりに飛行する鳥の身体ぜんたいが見分けられることを確認すると、スマートフォンの電子書籍を開いて、同定しました。

 

くらべてわかる野鳥 文庫版 (ヤマケイ文庫)

くらべてわかる野鳥 文庫版 (ヤマケイ文庫)

 

カラー写真とわかりやすい解説で、私のような初心者でも同定(見分け)に役立つ一冊。私が持っているのはKindle版ですが、文庫なので紙の書籍もハンディで便利かも。 

 

ミサゴの英名はオスプレイ(Osprey)。

 

やはりそれは、ミサゴ(英名Osprey )のようでした。


今年の初めに参加した野鳥観察会で、先生が、「あれがオスプレイですよ。」と教えてくれた猛禽類です。とりわけ珍しい野鳥、というわけではないけれど、その白っぽい、スマートな印象のある肢体を見かけるのは、トビには申し訳ないが、少し得した気分になります。

 

身近な鳥を知る喜び。

 

野鳥観察なんて、興味もなかった私が身近な野鳥が気になるようになったのは、小学生の長男と参加している月一回の自然観察教室で、日本野鳥の会の方も来られた野鳥観察会がきっかけでした。

 

ふるさと自然公園センター 自然観察教室のご案内|田辺市


それからというもの、長男と一緒に、ライフリスト(生涯に見ることのできた鳥の種類を記録していく)というほど大げさなものではないですが、自分たちで見た野鳥の写真を撮って、自作の「鳥の図鑑」を作っていて、そのリストは半年で、40種類ほどになりました。

 

一年を通して日本国内で見ることのできる野鳥は約600種。また、三上修『身近な鳥の生活図鑑』(ちくま新書)によれば、市街地周辺でも、大きな公園や寺社、城郭などの緑地を含めれば、私たちの身の回りには、約40〜50種類の野鳥が生活しているということで、ほぼ今住んでいるところの周りで写真に収めた私と長男のリストの数は、順当なところだと言えそうです。

 

身近な鳥の生活図鑑 (ちくま新書)

身近な鳥の生活図鑑 (ちくま新書)

 

 本格的な趣味としての野山でのバードウォッチングだけではなく、カラスやスズメ、ハトやツバメといった、身近な鳥を観察する楽しみを教えてくれる楽しい入門書。

 

身近にいる鳥の姿と名前を覚えると、ただ町を歩いたり、車で走ったりしていても、彼らの暮らしている姿が目に入ってくるだけで、時に愉しみ、親しみや可笑しみを覚えます。あるいは、そういう余裕を持って過ごしたいと思えます。

 

私はカメラの液晶画面のミサゴのズームをかけたまま、飛び起きて家に入り、先に24時間テレビを見ながらくつろいでいた小2の長男に、それを見せに行きました。

 

 

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キレイな写真ではないですが、なんとなく「野鳥といえば」のイメージがあるカワセミを撮れたときは嬉しかった。

 

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スズメくらいのサイズ感に、鮮やかなオレンジ色が美しいジョウビタキ。

 

ビッグ・ボーイズ しあわせの鳥を探して [DVD]

ビッグ・ボーイズ しあわせの鳥を探して [DVD]

 

「一年間で見た鳥の数を競う」という、アメリカに実際にある大会をテーマにした映画。ジャック・ブラック、オーウェン・ウィルソン、スティーヴ・マーティンという新旧コメディ・スター揃い踏みの傑作。『プラダを来た悪魔』と同じ監督(デヴィッド・フランケル) と思って観るとまた味わい深いです。

【カバンの中身】Chromebookの導入で、Xperia Z UltraとBluetoothキーボードが不要に。Huawei P10 liteに買い換えた件。

 

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今週のお題「カバンの中身」

 

 

タイトルどおりというか、それ以上でも以下でもないのですが、3年間使った6.4インチのSONY Xperia Z Ultraのバッテリーがへたりきってしまったのもあり、先日、Huawei P10 liteに買い換えたところです。そしてこれがちょうど、2ヶ月ほど前に購入し愛用しているChromebook、 ASUS C202SAと非常に相性がいい。

 

Bluetoothキーボードが不要に。

 

Xperia Z Ultraを購入した当時は、大画面を利用して、Bluetoothキーボードを繋いでテキスト入力に使っていました。これはこれで便利だったのですが、C202SAの購入によりこれがChromebookに取って換わった格好です。
私の場合、仕事で使うわけではなく、こうしたブログの記事作成や、小説を書いたりといった趣味の領域の話で、実際に「持ち歩く必要があるケース」というのは、実はほとんどないのですが、以前(10年くらい前)やっていた雑誌編集やライターの仕事でこれがあれば、随分ラクだったかもしれないな、と思ったり。

 

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Microsoft Universal Foldable Keyboard。これはこれでコンパクトで、使い勝手もいい。

 

また、Xperia Z Ultraの大画面は好きだったのですが、P10 liteの5.2インチという、普通の大きさのスマホに持ち替えてみると、このくらいのサイズがやっぱり、スマホとしては適正なんじゃないか、という気がします。
私のスマホのクリティカルな用途は、スケジュール管理、メール、音声メディア、カメラ程度なので、P10 liteで十分こと足りてしまいます。

 

P10 Liteの指紋認証と併せ、Smart Lockの使い勝手がいい。

 

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P10 liteのブルー、C202SAのキートップとも馴染んでいます。

 

Chromebookには、Androidスマートフォンがロック解除された状態で近くにあるときに、ログイン時のパスワード入力が不要になる「Smart Lock for Chromebook」という機能が搭載されています。

 

support.google.com

 

その存在は知っていたのですが、P10 Liteを使うまでは、
「どうせスマホの方をロック解除しなきゃならないんだから、かえって二度手間だよ。」
と思っていました。

しかし、P10 Liteで指紋認証を初めて使用したのですが、これがすごく便利、というか快適でビックリしました。他社のスマホの指紋認証を利用したことがないので比較ができないのですが、ここまでとは。

 

私は仕事上、職場内の特定の建物で入館時のドアロック解除に指紋認証を使用しています。これが実に反応が鈍く、また、指の位置や湿度によってなかなかロック解除できなかったりするので、それとの比較になってしまうのですが、まさに雲泥の差です。
こういう常に使う機能は、ストレスなく、「機能を利用している」と意識せずに使えるということが肝なんだな、と改めて思いました。

 

sotoblog.hatenablog.com

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「私が考えるC202SAのいいところだけを挙げていく」という感じの信仰告白みたいなレビューになっています。

 

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“あってよかったChromebook” ―広島死闘旅行編。

 

 

映画レビュー『恋するふたりの文学講座』――ロマンティックコメディの皮を被った「俺たち」ムービー。

 恋するふたりの文学講座
原題:Liberal Arts
製作年:2012年
監督:ジョシュ・ラドナー
あらすじ:
ニューヨーク在住・35歳独身・文学好きのジェシーは恩師の退官パーティのため母校を訪れる。そこで出会った女子大生ジビーとは、年齢も趣味も異なるが、次第に打ち解けていく。彼の好きな文学、彼女の好きな音楽の話をするうち、互いに惹かれていくが、ジェシーはジビーとの年齢差に戸惑いを見せて……。

 

邦題と、“35歳の独身男性と19歳の女子大学生の出会い”というプロットから、いかにもなロマンティックコメディを想像しますが、この手の、低予算のアメリカ製ドラマ映画は注意が必要です。タイトルからも日本版ソフトのパッケージヴィジュアルからも、映画のジャンルやストーリーの内実が推し量れない、というよりミスリードされることが多いのです。
恋愛要素が少しでもあれば、“適度にライトでおしゃれな恋愛コメディ”といった体のジャケットにデザインされ、パッケージに印刷されたキャッチコピーや作品紹介(上記の「映画.com」のようなサイトの作品解説も同様)も、その線で書かれます。本当に恋愛がメインの、いかにも軽いコメディの場合もありますが、そうではない、もっとニュアンスのある、ヒューマンドラマだったりトラジコメディだったりすることも多いのです(軽いコメディ自体はわたしの好物でもありますが)。
というわけで、まずは原題をチェックします。

 

原題は「リベラル・アーツ」。一見オールドファッションな恋愛映画に見えるが、実は――?

 

この映画の原題は、"Liberal Arts"。

素直に直訳するなら、そのまま「リベラル・アーツ」か、「教養学部」あるいはもっと単純に、「教養」といったところでしょうか。
そしてこの映画を観終わったいま、私にはこの映画の主題は恋愛というより、「教養」、この映画での教養の描かれ方においては、「本を読むこと」だと思えます。

 

監督・脚本・主演のジョシュ・ラドナーが演じる35歳のジェシーは、かつての恩師、ホバーグ教授の退官パーティに招かれて、10数年ぶりに母校の大学を訪れます。そこで19歳の大学生、ジェシーと出会い、彼女のティーンらしい奔放さや、意外にも(彼にはそう思えた)クラシック音楽が好きだというセンスの良さに好意を抱き、ニューヨークでの生活に戻ってからも、彼女と「文通」を続けるうち、その「好意」は、“母校の大学の、年の離れた後輩”以上のもの、すなわちストレートな恋愛感情に育っていきます。

 

それがいわゆる一幕目で、ここまでの二人のやりとりは、文通という道具立ても含めて、少し古風すぎるくらいの恋愛ドラマといっていいでしょう。大学生のジビーを演じるエリザベス・オルセンの瑞々しさ、あるいは役柄としては35歳、実年齢も30代後半のジョシュ・ラドナーの、ちょっと学生崩れ感のある、若干の頼りなさげな雰囲気も、年の離れた二人が惹かれ合っていく過程を、自然に、そして魅力的でかわいらしく見せることに繋がっています。

 

魅力的な脇役たち。

 

しかしこの映画のストーリーは、この二人の「恋」が成就するのかどうか、という点を求心力として展開する、という方向とは少し違います。

映画の全体の雰囲気としては、どちらかというとコメディ的なニュアンスを帯びた、しかし地に足の着いたドラマといった趣きです。

二人のやりとりと並行して、躁鬱病のディーンや、ヒッピー風の自由人、といった趣のナット(ザック・エフロン)などのジビーの同窓生や、リチャード・ジェンキンス演じるホバーグ教授、彼と、その元後輩で現・学部長との確執、あるいはジェシーが大学時代最も尊敬していた英文学教授・フェアフィールド(いかにも「美魔女」な雰囲気のアリソン・ジャニーが好演しています)とのエピソードなどが綴られますが、ここで特筆すべきなのは、これらがほぼ、ジェシーの視点で描かれる、ということです。しかも、ジェシーとジビーのエピソードのあいだのおまけ、ではなく、あくまで並列的で等価なものとして、です。

 

ミドルエイジ・クライシス。あるいはラブコメの皮を被った「俺たち」ムービー。

 

その意味で、この映画は、ジェシーとジビーの年の差ラブストーリーというよりも、30代半ばを迎えたジェシー(を演じ、この映画の監督でもあるジョシュ・ラドナー自身)の、ミドルエイジ・クライシスを描いているのです。

彼は古書店に入り浸り、好きな本に囲まれた自由な独身生活を謳歌していますが、進学コンサルタントのような仕事をしているらしい自身の職業には飽いており、恋愛を始めとした他者との交わりも希薄です。

母校への 帰還、そして自身がかつてそうであった、未知なる可能性に満ちた若者たちとの交歓、さらに自らの将来の似姿である恩師たちの姿をみて、自身の来し方と行く末を見つめ直す物語になっています。

身も蓋もない言い方をすれば、この映画は監督と同じ、30代以上のおっさんに向けた応援歌のような映画なんだと思います。

 

決して多くはない登場人物との出会いや、個々のエピソードの発生など、主人公にとって都合のいいタイミングで事が起こる、ご都合主義な部分も散見され、とくにジビーを始め女性をめぐるエピソードではそれが顕著な気もして、女性の視点ではどう見えるのか、気になるところではあるのですが、私自身は監督、そしてジェシーと完全に同世代であり、共感するところも多いドラマでした。

ジェシーは決して頼れるヒーローでも、高潔な人物でもありませんし、その行動についても疑問符がつくようなところも多々あって、だからこそ“俺たち自身”というか。

 

すなわちこの『恋するふたりの文学講座』は、ロマンティック・コメディふうの見た目をしていますが、その実、ウィル・フェレルやスティーブ・カレル、サイモン・ペッグやニック・フロストといった面々の、所謂「俺たち」映画、「ブロマンス」映画の系譜に連なるものとして見ることもできそうです。

 

俺たちフィギュアスケーター [DVD]

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ディス・イズ・ジ・エンド 俺たちハリウッドスターの最凶最期の日 [DVD]

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ホット・ファズ~俺たちスーパーポリスメン!~ [DVD]

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news.yahoo.co.jp

すごくわかりやすい「俺たち」映画の解説。ここでいう定義「(おもに)男たちのコンビやチームが、(これもおもにだが)特定の業界を舞台に、とんでもない騒動を引き起こしたりするコメディ」からすると、本作はまったく異なる作風ですが、「俺たち」映画の人物たちの、世代感やキャラクターの資質と、近しいところにある感じがしたのです。  

 

旧約聖書「伝道の書(コヘレトの言葉)」が引用される意味。

 

映画の冒頭、旧約聖書の「伝道の書」(コヘレトの言葉)から以下の引用がエピグラフとして提示されます。

 

He that increaseth knowledge increaseth sorrow. ー Ecclesiastes 1:18
知識を増す者は悲しみを増す
ー伝道の書 1章18節

 

「コヘレトの言葉」は旧約聖書でも異色の文書ということで、全編決定論的なシニシズムに満ちみちています。一見自由意思を否定し、
「いくら努力しても、どうせ運命は決まっているんだからムダだよ。」
――と、ジェシーやホバーグ教授のように、本を読んだり知識を蓄えたりすることは、結局はのところ無意味だと言っているようにも思えます。

 

しかしむしろ、“無限の可能性”を持った若者では最早ない、ミドルエイジを迎えた者たちにとっては、現在の自分をありのままで、再度肯定するものとして響きます。
ジェシーは卒業後も、学生に関わる仕事をしていますが、それは彼の人生のベクトルが「いまここ」ではなく、過去へ向いていたことへのメタファーです。
人生をリニアーなもの、あるいは上り、切り開いていくようなクエストと考えると、“「かつて思い描いていた輝かしい未来」のなかにいない現在の自分”、を肯定することは難しい。しかし因果律から自由な、シニシズムの裏返しとしての現実の肯定によって、私たちは飛躍的に自由になり、ジェシーにとっては、本を読む歓びは一層増すことになります。読書とは、本を読んでいるその瞬間が、歓びなのですから。


「コヘレトの言葉」にはこんな一節もあります。

 

わたしは知っている。人にはその生きながらえている間、楽しく愉快に過ごすよりほかに良い事はない。
(『旧約聖書』(口語訳、「伝道の書」第三章十二節)

 

本作はそんなおっさんの自己肯定によって、彼(ジェシー=ジョシュ・ラドナー)の後輩である若者たちにも、ポジティヴなヴァイブスを届けられたら、と願っている映画だと思うのですが、当の若者たちにはどういうふうに受け入れられるか、訊いてみたいものです。

 

gokuwataeiga.hatenablog.jp

今作のレビュー。各世代の人物を配置することで「人が歳をとるということはどういうことなのか?ということを考えさせる」という視点が面白かったです。

 

恋するふたりの文学講座 [DVD]

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【映画関連のこれまでの記事】

夏休みに家族旅行で広島へ。旅先での利用に持参したのは、iPadではなくChromebookでした。

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先週末、土曜日と休暇をくっつけて、2泊3日で広島へ家族旅行へ行ってきました。オーソドックスに平和記念公園、宮島、ひろでん(路面電車)、広島焼き、穴子めし、尾道ラーメンなどを満喫しました。小学2年生と2歳の男児二人のため、宮島の水族館「みやじマリン」と広島市郊外の「広島市安佐動物公園」を組み込めたのは良かったかな、と思います。

 

www.miyajima-aqua.jp

 

www.asazoo.jp

 

とくに「広島市安佐動物公園」は長男たっての希望で、ここにいるオオサンショウウオと、150センチ以上という最大クラスのオオサンショウウオの標本が見られて満足そうでした。これと、平和記念資料館の「オバマさんの折り鶴」にいちばん感動したとのこと。子どもの興味というのは面白いものです。

 

安佐動物公園のスター オオサンショウウオ|安佐動物公園 asazoo

 

旅のお供にiPadではなく、Chromebookを選んだ理由。

 

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これまでなら旅先での情報検索や、子どもに動画を見せるときなどのため(幼児がぐずってどうしようもないときなどは、本当に助かります)、スマホの他にはiPadを持って行っていたのですが、今回、初めてChromebook(Asus C202SA)にしてみました。

iPadではなくChromebookにした理由としては、

 

・ウェブブラウジングの快適性(早い!)
・Wifiの掴みの良さ(早い!!)
・入力のし易さ(物理キーボード!!!)

 

――これらのどの点においても、手許にあるiPad(4th Gen.)ではなく、Asus Chromebook C202SAの方に軍配が上がるからです。
C202SAは1.2kgと、モバイルPCとしては若干重たい(iPadは650g程度)のですが、子連れの旅行では必須のリュックに入れてしまえば、それほど重さは気になりませんし、C202SAはG Shock的なタフネス仕様のChromebookであり、ケースなどに入れずにかばんに放り込めるところがラクです。

 

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小ぶりのリュックにもすっぽり入ります。

 

実際、夜のホテルでの翌日の経路検索や、動画視聴等で重宝したのですが、最も役立ったのが雨宿りで足止めを食った「おりづるタワー」でのひとコマ。
資料館、原爆ドームと平和記念公園を一通り見て回ったあと、すでに夕方でしたが原爆ドーム近くにある「おりづるタワー」という施設に行きました(2016年オープン)。

 

www.orizurutower.jp

 

ここは展望台に昇って広島市内を一望できるところ。ただ、展望台の入場料が1,700円(大人料金)と意外に高かったのと(笑)、長男が高所を嫌ったため昇るのは断念したのですが、1階ロビーにお土産コーナーがあったので、夕食までの休憩がてら色々と見て回っていました。すると、急に雨が降り出しました。所謂夕立ちかゲリラ豪雨的なそれで、しばらくすれば止むとは思いましたが、当初予定していた晩ごはんのお店が少し遠かったので別なお店に変えることにしました。

 

しゃがみ込んだ膝の上のChromebookを、子どもと二人で覗き込む。

 

初日の長距離移動の疲れと夕食前だったこともあり、子どもたちもイライラし始めていましたが、長男と一緒にロビーの柱の陰にしゃがみ込んで、Chromebookで広島焼きのお店を検索してみることにしました。子どもと二人、大画面で見ることで気持ちも盛り上がって、なんとかこの時間を乗り切ることができました。11.6インチとPCとしては小ぶりなC202SAの画面であっても、スマホと違って二人で覗き込めます。スマホではこのシーンは成立しなかったかもしれません。

 

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11.6″ HDと決してPCとしては大きくない画面ですが、こういうシチュエーションでは大きく見えました。 

 

実際に濡らすことはしませんでしたが、雨の中、耐水性も謳われているC202SAには安心感もあってよかったです。

今後もラップトップを持ち歩くことは、私の生活スタイルのなかでは少なそうですが、今回、バッテリーライフも、利便性の上でも十分に使えることがわかりましたので、これからも、出先でも重宝しそうなC202SAです。

 

【過去記事より】

sotoblog.hatenablog.com

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「私がいかにChromebook、C202SAが好きになったか」だけがよくわかるレビュー。や、でも本当にいいヤツ(マシン)ですよ。

映画レビュー『ミスター・ノーバディ』――人生のあらゆる分岐を全て、私は経験した。

ミスター・ノーバディ
原題:Mr.Nobody
製作年:2009年
監督:ジャコ・ヴァン・ドルマル

 

難解さと紋切り型と。

 

ジャコ・ヴァン・ドルマル監督作品を観るのは、『神様メール』『トト・ザ・ヒーロー』に続いて3本目(そして後日、『八日目』も観てみました)。どれも一筋縄ではいかない作品ばかりで、私には簡単ではないのですが、不思議と肌に合う。と思っています。その理由を、ここでうまく説明できればよいのですが……。

今作も、SF的な仕立て、バタフライ効果やエントロピーの増大、ビッグバンからビッグクランチといった宇宙論まで言及されて、ひどく「難解」です。

 

ただ、118歳の老人、ニモ・ノーバディ(「名無しの権兵衛」の意)のランダムに回想する、いくつもに枝分かれした人生の様々なエピソードの一つひとつは、端的にいって紋切り型、ありきたりといっていい。父母の離婚。少年時代に想いを寄せた3人の女性との、恋愛から結婚生活、その破綻。

 定型的といっても、様々な人生の可能性を演じ分ける主演のジャレッド・レトや、サラ・ポーリー、ダイアン・クルーガー、リン・ダン・ファンの3人の女性たち、子役に至るまで役者たちが素晴らしく、一見難解な仕立ての物語の、細部のリアリティに見入ってしまいます。

 

私たちの人生と同じリアリティ。

 

そして、「ありきたりかつ、細部までリアル。」というのは、それもそのはず、私たちの人生じたいがそういうものだからでしょう。そのことに対する誠実さが、ジャコ・ヴァン・ドルマルの映画には感じられます。

 人生の黄昏にある人物にその半生を回想させる、という形式も、『小さな巨人』や『インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア』など、映画でもよく取られるものです。同じドルマル監督の『トト・ザ・ヒーロー』も同様の語り口でした。

 人生のあらゆる可能性を「実際に生きた」ものとして語る老人ニモの回想の、どこまで本当で、どこまでが作り話なのか。こうした仕立てをする場合、語り手が謎めいた人物であればあるほど、その境界は曖昧になります。文学手法における「信用のおけない語り手」と同じく、それこそがこうしたギミックの面白さであって、映画においては客観的事実か妄想かの区別なく映像化されれば、観客にしてみれば、その判断はさらに難しくなります。

 

全てを経験している=起こり得た可能性の全て。

 

その曖昧さ、判然としないことそのものが、私の現実だ、と捉えることはできないでしょうか。私の記憶は、時間のようにリニアには、 私の頭のなかには存在しません。あの頃のあの記憶と、別のあの頃のあの記憶がくっついたり。夢のなかでは時代を飛び越えて、もう会うことのないかつての友人が、同じ職場で働いていたりします。

その意味で、この映画や、たとえばデヴィッド・リンチの諸作(『マルホランド・ドライブ』でも、『インランド・エンパイア』でも何でもいいのですが)の方が、出来合いのフィクションよりも私の人生に近く、親しいようです。

あるいは私の個人的な読書体験に基づくものですが、この映画を観ながら、時間を縦横無尽に行き来する中盤の展開で何度も頭に浮かんだのは、保坂和志『朝露通信』という小説でした。

この本はランダムに、どのページを開いてどこを適当に読んでも面白く、どの順番で読んでもよく、その意味で読み終わる必要さえないのですが、その読んでいるときの感じが「近い」のです。

出版社の作品紹介が、小説の面白さを的確に表しています。

 

たびたびあなたに話してきたことだが僕は鎌倉が好きだ。この小説の主役は語り手の〝僕〟でなく、僕が経てきた時間と光景だ、それ以上に、読みながら読者の心に去来するその人その人の時間と光景だ。人は孤立していない、一人一人は閉じられた存在ではない。人は別々の時間を生きて大人になるが、別々の時間を生きたがゆえに繋がっている。朝露の一滴が世界を映す。

朝露通信|単行本|中央公論新社

 

この映画をして、宇宙の収縮、ビッグクランチをフィクションのなかで表現した稀有な映画だ。――という趣旨の評し方もあるでしょう。しかし私には、ビッグクランチ云々は道具立てであって、この映画は、「起こり得た可能性の全て」それ自体を、「私の人生そのもの」だと言いたいという、エモーションに満ちているように感じられます。

解釈は様々だと思いますが、少なくとも118歳の老人にとって、彼の記憶にある幾通りにも枝分かれした人生、その「全てを経験している」ということが紛れもない事実である。というふうに見るべきだと思いました。ニモは聞き手の記者にこう言います。

 

人生にはほかのどんなことも

起こり得ただろう

それらには同等の意味があったはずだ

 

テネシー・ウィリアムズだ

年を取ればわかる

(『ミスター・ノーバディ』字幕より採録)

 

ジャコ・ヴァン・ドルマル監督が、不死の実現した2092年におけるただ一人の限りある命を持った118歳の老人という設定や、ビッグクランチまで持ち出して、どうして、ある一人の人物の「起こり得た全ての可能性」を、「全て経験したもの」として描きたかったのか。監督の前作にあたる『八日目』に、そのエモーションの源泉が垣間見えたので、また機会を改めて書いてみます。

  

ミスター・ノーバディ [DVD]

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朝露通信

朝露通信

 

 

【映画関連のこれまでの記事】

熊楠もフィールドワークした“ひき岩群国民休養地”で粘菌観察。

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ちょっと失敗しましたが、顕微鏡にスマホを当てて撮影。

 

小学2年生の長男が夏休みである7、8月。

この間、和歌山県田辺市の「ひき岩群国民休養地 ふるさと自然公園センター」では、「自然観察教室」が計6回開催予定で、私と長男は、すでに終了した4回には全て参加しています。

 

ふるさと自然公園センター 自然観察教室のご案内|田辺市

 

sotoblog.hatenablog.com

 

sotoblog.hatenablog.com

 

今回は、7月22日の午後、午前中の「植物の採集・標本作製」に続いて行われた、「粘菌の観察」について紹介したいと思います。

 

粘菌研究でも知られる熊楠の暮らした地で。

 

和歌山県田辺市は、南方熊楠の英国から帰国後の永住の地。1929年(昭和4年)には、昭和天皇のこの地への行幸に際し、熊楠がキャラメル箱に粘菌標本を入れて献上したことが知られています。

また、ふるさと自然公園センターのあるひき岩群国民休養地(田辺市稲成町)周辺は熊楠が植物採集等のフィールドワークを行った地ということもあって、自然観察教室でも毎年この時期に、粘菌の観察会が行われています。

ただ、本日は粘菌を専門とする先生はいらっしゃらないとのこと。様々な生物に詳しい先生方は、私や長男のような素人からすれば神のような存在ですが、「微生物」を研究対象とされている先生も、粘菌は専門外だそう。生物、というのは広くて深い世界だと思わされますね。それでも、「粘菌かそうじゃないか、カビとかキノコとかとの区別くらいはお答えできますよ」と先生。

 

粘菌を探してみよう!

 

まずは外に出て、粘菌を探すところから。場所はふるさと自然公園センターの裏手の駐車場脇。センター裏は斜面林のようになっていて、その一角に、あらかじめ「その辺りから朽ち木や倒木を集めておいた」そうで、湿り気のある場所にそういったものがあれば、森林や山道だけでなく、実は人家の庭などでも見ることができるようです。ただしなかなか広い場所で、粘菌をピンポイントで探すというのはいきなりは難しいので、粘菌の好む環境をあらかじめ作っておいて、そこで発生した粘菌を探してみようというわけです。

 

すると意外なことに、けっこう次々に見つかります。カビやキノコもたくさん生えていて、私などにはパッと見なかなかわからないのですが、身軽に動き回ってしゃがみこんで、長男も見つけていました。

 

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この赤茶っぽいのや、

 

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グレーの、お線香の燃えかすみたいなのや、

 

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びっしり覆っている白いの。

 

粘菌とは?――飼育?(栽培?)も可能?

 

粘菌は菌類学者が研究対象としたため粘菌、変形菌などと呼ばれていますが、

 

変形菌(へんけいきん)とは、変形体と呼ばれる栄養体が移動しつつ微生物などを摂食する“動物的”性質を持ちながら、小型の子実体を形成し、胞子により繁殖するといった植物的(あるいは菌類的)性質を併せ持つ生物である。

(Wikipediaより) 変形菌 - Wikipedia

 

ということで(センターの先生方も同様におっしゃっていました)、菌類とはまた別のカテゴリーなんだとか。その後、研修室に持ち帰り顕微鏡でも観察しました。やろうと思えば自宅で「飼う」?「栽培」?することもできるようです。実際、クワガタを飼っていて朽ち木に粘菌が繁殖したりすることもあるといいます。

ネットでも色々面白いものが見られるようですし(下記等)、熊楠の街に住んでいるのだから、もっと粘菌のことを知ってみたいな、と思った一日でした。

 


Slime mold solving maze

粘菌の変形体が迷路を進む動画

 

www.1101.com

「ほぼ日刊イトイ新聞」の「粘菌のはなし。」

 

ところで国民休養地って?

 

ところで、前回、前々回と触れなかったのですが、そもそも「国民休養地」って何でしょうか? 私も長男とこのふるさと自然公園センターに通うようになるまで知らなかったのですが、田辺市のサイト内の、「ひき岩群国民休養地」のページにはこう書かれています。

 

自然とのふれあいが少ない都市やその近郊の人々に、ハイキングなど単なる一時的なレクリエーション活動の場を提供するだけでなく、そこに生きる植物等と人間との調和のあり方、また自然の保護育成に関して考える機会を作るための場所となることを目的としています。 

 

その他、ウィキペディアや環境省のサイト等を見てみると、都道府県立自然公園内に、環境省からの補助金で整備でき、「中心施設として、ふるさと自然公園センターとして機能するビジターセンター(博物展示施設)を設ける」こととなっています。

 

国民休養地 - Wikipedia

環境省_国民休養地の今後の整備及び運営について

 

 

貴重な「体験」「学び」の場。

 

ここ田辺市の「ひき岩群国民休養地 ふるさと自然公園センター」も同様の経緯でできたもののようですが、ためしに「ふるさと自然公園センター」で検索してみると、全国各地のふるさと自然公園センターが出てきますが、ここと同じような自然観察教室を行っているところは見当たりませんでした(私が見つけられなかっただけかもしれませんが)。

 

私も長男も、当たり前のように通っていましたが、この観察教室、確かに先生方の熱意で成り立っている部分が大きいように感じます。年配の先生方も多く、次男(2歳)が行けるようになるまで続いてるかな、と思ってみたり、いつまでも続いて欲しいな、と勝手に思ったりしていますが、ともかくも、いち参加者として楽しんで、せめてこういう文章で、面白さを伝えることができたら、と思います。

 

映画レビュー『とうもろこしの島』――静かな緊張感と、エロティシズム。

 とうもろこしの島
原題:Simindis kundzuli
製作年:2014年
監督:ギオルギ・オヴァシュヴィリ
あらすじ:
1990年代初め。ジョージア最西端のアブハジアがジョージアから独立を主張、内戦が勃発した。両陣営の間のエングリ川の中州にできた島に、とうもろこし畑を耕すために老人が上陸する。孫娘とともに黙々と作業を続ける老人。両軍の兵士たちが、島の様子を横目にボートで通り過ぎて行く……。

 

ジョージア(グルジア)のアブハジア紛争を背景に。


この映画は、日本においては、同じくジョージアにおけるアブハジア紛争を題材に採った2013年の映画『みかんの丘』とともに、岩波ホール他で2016年に上映された作品です。その『みかんの丘』も少し前に観たのですが、ヘヴィなテーマながら、美しい自然や、人物たちの繊細な描写は、素晴らしいものでした。小さな国の作品ですが、「小品」というより、堂々たるエンターテイメント(というには、あまりにも苛烈な現実が背景ですが)でもありうるような映画でした。


――などといいながら、わたしはジョージアという国について、アブハジア紛争について何も知りませんでした。「グルジア」という旧国名については聞いたことがありましたが、その程度。『みかんの丘』を含めたこの2作品には、旧ソ連崩壊後のこの地域における分離独立運動であるアブハジア紛争が、ごく小さな舞台でのお話の下に、大きく横たわっています。この文章ではジョージアという国の歴史や、アブハジア紛争について詳細に論じる知識も技量もありませんので割愛しますが、これらの映画じたいの成立背景においても、おそらくこうした現実を無視して語ることはできないでしょう。しかしあえて、よりミクロな視点から、感想を書いてみます。

 

小さな中州でとうもろこしを育てる、という暮らし。

 

まずもって驚かされるのが、物語の(というにはあまりにもシンプルな筋立ての)主人公である老人が、エングリ川の中州に作るとうもろこし畑の、ささやかさ。もっとシンプルにいって、小ささ。とうもろこし畑というと、『フィールド・オブ・ドリームス』や『インターステラー』といったアメリカ映画の、広大な土地に、地平線まで続くかのような畑を想像してしまいます。舞台は1990年代初頭であって、ここでの暮らしがいかにつつましやかで、厳しいものなのかということが、これだけでわかるというものです。


しかもこの映画では、毎年川の氾濫によってできる中州に、今年もまた、アブハジア人の老いた男が小さなボートで辿り着いて――、収穫までのあいだ自分の住む小屋を作り――、土を耕し――。といった畑作り、というより老人の日々の営みぜんたいを、丁寧にていねいに、時間をかけて綴っていきます。「今年もまた」と書いたのは、ここでのゆっくりと、しかし流れるように続く描写によって、彼がこのような暮らしを何十年も同じように続けてきたのだ、ということが、観ているこちら側にも実感として伝わってくるからです。


孫娘を連れてきて、二人になっても黙々と作業を続けていきます。この映画の初めての、台詞らしいことばが少女の口から発せられるのは、映画が始まって30分近くも経ったころでしょうか。しかしこれほどまでに静かな暮らしのすぐそばでは、ジョージア側とアブハジア側の紛争が起きており、ときおり銃声が聞こえ、通り過ぎるボートの上や川向こうに、兵士の姿が見られます。

 

少女をめぐる印象的なショット。

 

映画中盤、中州のとうもろこし畑に、負傷したジョージア兵(老人たちにとっては「敵方」ということになる)が流れ着き、老人と少女が彼を介抱します。そしてその負傷兵を今度は、アブハジアの兵士たちが探しに来るが――という、一種のサスペンスとして展開していきます。そこがこの映画の、物語としてのクライマックスだと思いますが、私がむしろ印象に残ったのは、少女を捉えたいくつかの印象的な場面でした。


少女は日本でいえば中学生くらいの年齢でしょうか。老人と少女の交わす数少ない台詞から、少女が両親を失って、祖父である老人と暮らすことになったことがわかります。
少女は祖父の農作業を手伝います。長靴に水が入り、小屋の傍で片足立ちで靴をひっくり返すしぐさ。雨の作業のあと、濡れそぼった服を脱いで裸になるところを、背後から捉えたショット。看護する負傷兵に淡い好意を抱きつつ、ちょっとしたきっかけから「追いかけっこ」をするシーン。――こうした場面のいくつかで、このお話の筋立て上の要請を超えたエロティシズムがあるように、私には感じられました。


戦時下の無辜の生活者の日常をリアリズムで捉えた社会派、というような趣きにみえる映画に、一見不釣り合いのようにさえ感じられる少女への視線は、一種の戦争映画でもある本作において、「生への希求」の象徴とは言えないでしょうか。実際、私には少しアンバランスなくらいに見えたこうした描写によって、少女や、老人、そしてジョージアの負傷兵やアブハジア兵たちが、より私たちの「隣人」として、そこに生きているように感じられます。あるいは監督や作り手たちのもっと別の思惑や、映画史的な背景があることも否定はできませんが。

 

持続する緊張感と、彼らがそこに生きている感触。

 

いずれにしても、これほど静かな映画でありながら、1時間40分のこの作品は、終始、緊張感を失わないように見えました。彼らの日々の営みそのものの真剣さや、背景というよりすぐそこにある戦場、そして彼らがそこに生きているという感触――、忘れられません。『みかんの丘』も含めて、ジョージアという国の2本の作品を観たことは、素晴らしい映画体験でした。

 

みかんの丘、とうもろこしの島 映画オフィシャルサイト

http://www.mikan-toumorokoshi.info/

 

とうもろこしの島 [DVD]

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みかんの丘 [DVD]

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【映画関連のこれまでの記事】

ASUS Chromebook C202SAの魅力をもう少し。気軽で、気楽で、気安い「気分」。

ポケットに多様性
サバイバルキット
ミネラルウォーター
既読されないLINEは
玄関に置き去りのまま


(けもの「めたもるセブン」の歌詞より)

 Chromebookにおいては、Chromeウェブストアのウェブアプリにより、LINEが使えます(通話はできません。為念)。これはスマホ版アプリと併用できるので、便利。LINEで長文を打つ方は、あまりいないかもしれませんが、私には、便利。

 

 

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 USB-AやSDカード(標準サイズ)が使えるのも地味に便利

 

 

ASUS Chromebook C202SA、大変気に入って、毎日使っています。このブログも、このところ小説を書けていないこともあって、「C202SAで何かテキストを書きたい」という欲求で始めたようなものです。

 

sotoblog.hatenablog.com

 

コンピュータ、ITまわりのことに関して専門的な知識もないし、スマホだタブレットだPCだ、といった「ガジェット」についてもやはり知識も、感性も情熱も持ち合わせていない身ですが、それでも仕事は常にPCに向かうような仕事をしていますし、プライベートでも日常の道具として使っています。

 

「日常の道具」としてのPC。

「日常の道具」という点においては、やはり使い勝手がよく、外見や質感なども、気に入ったものを使いたいもの。しかしPCについてはスペックや外観等も含めて、その都度、(ごく主観での)見た目の格好よさで選んだり、自分の用途に合うスペックのもので適当に目についたものを買ってきたような塩梅で、あまりこだわりというものを持ったことがありません。いいものに(ダメなものにも)たくさん触れてきていないからかもしれません。

コンピュータに対して、その程度の意識だった私が、このC202SAというChromebookのどこがいいと思ったのか、もう少し掘り下げて書いてみます。そうすることで、自分のコンピュータに対する接し方を少し整理して考えてみることができそうな気がします。これを読まれた方にも、何か参考になることがあれば幸いです。

まず、前回も少し書いたChromebookの特性、Google Chromeというブラウザだけで完結したOSの設計があります。意外なことにオフラインでできる作業もありますが、基本的にはオンラインが前提の道具です。私はC202SAを仕事では一切使っていませんので、用途としてはウェブ閲覧、テキスト入力、ブログの更新(そのための若干の画像編集含む)など。所謂「ライトユーザー」といっていいと思います。

この点においての使い勝手が、すこぶる良い、というのがこのC202SAで、初めてChromebookを使ってみた私の実感です。いくつか気づいた点を挙げてみます。

 

 その1。軽快さ。

 きょうび、ブラウジングだメールだのは、スマホ1本で済ませてしまえるものですが、そこにおいても、画面の大きさ、動作の軽快さ、キーボードによる入力のしやすさ、という点で、自宅での利用を考えた場合、私にとってはChromebookに軍配が上がります。入力に関してはスマホのフリック操作が苦手(というかできない)という私自身の残念さもありますが、動作の軽快さに関しては、スマホより安く買えるくらい(2017.6購入時26,000円)のラップトップPCなのに、これほど軽いとは思いませんでした。

 

その2。タフでラフ。

C202SAの特徴としては、教育市場での使用、すなわち学校等で子どもたちが利用することを前提に設計されているため、多少の落下にも耐える耐衝撃性、キーボードへの水こぼしにも対応する防水性を備えています。

 

www.youtube.com

実際に落下テスト等をしている動画。可笑しい。


また、ボディの質感としても、グレーのプラスティックの筐体に、梨地っぽい凹凸加工が施されていることで、指紋等をあまり気にせず、ラフに使えて気分的にラクです。外周(ダークブルーの部分)がゴムで覆われているのも、多少落としても平気かな(よくないけど)、と思わせてくれます。
ただこうしたゴム(樹脂)製の部分、ノートパソコンやポメラのような、入力や持ち運びで頻繁に触る機器の場合、経験上必ずといっていいほど、経年劣化してペタペタと加水分解してしまう(私の場合、買い換えスパンが長く、使用期間が長いので)ので、C202SAもその点少し、心配です。 

 

気軽で、キラクで、気安くて――いつもその辺にいる感じ。

 

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ともあれこういったChromebookと、このC202SAという機種の特徴の全てが、軽快で、気軽で、気楽で、気安い、という「気分」に寄与しており、それはたぶん偶然ではなくて、教育市場向け、ということもあり、そのような思想のもとで作られた道具なのだと思います。ついでにいうと(実はここが個人的には最も重要だったりしますが)、見た目のポップさ、しかもポップなわりに落ち着いた、質実剛健といってもいいカラーリングが、他のマシンにない魅力になっています。

結局前回と同じようなことを書いた気がしますが、一緒にいて気軽だったりキラクだったり、気安く話ができたり、そんな(精神的に)近しい友人のような、そういう付き合いかたのできる相棒のような道具、それがC202SAだと思います。渾名とかつけたくなるような。とはいえ大切に使っていきたいです。

 

あなたの力を貸して
ひとりじゃ行けない
未来の気配がするから
想像もしていなかった
ギフト受け取る喜び


(けもの「めたもるセブン」の歌詞より)

 

www.youtube.com

 

ChromebookではAndroidアプリの対応も徐々に進んでいますが、私は使っていません。
出来ることは今までと変わらないというより、Windows PCと比較して、むしろ少ないのに(だからこそ)、今までにない軽快さがある――ちょうど「めたもるセブン」MVのなかの小谷実由さんの足取りのような――。

そういうのが、未来の気配かも、知れません。

 

  

劇場未公開コメディ・ムービーの愉しみ――あるいは、つまらなそうな邦題と、映画の面白さはほぼ関係ないことについて。

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写真:The Next Web

 

ブログの副題のところに挙げている、「映画と本、自然観察(あるいは30代後半、2児の父の日常)」というのが、このブログを始めるにあたって、中心的に書こうと思っていたことでした。

理由は簡単で、私が日常生活のなかで、いちばん関心があって、実際にやっていることが映画を観たり、本を読んだり、小学生と幼児の二人の男児と自然観察をしたり、その他の遊びをすることだからです。

なかでも映画は、奈良県で単身赴任、週末和歌山の自宅に帰る、という生活をしている私にとって、ウィークデイの娯楽の中心、というかほぼそれだけみたいなもの。ほぼ毎日、寝る前に――仕事用のシャツにアイロンをかけながら――DVDやネット配信で観ています(ときどき映画館にも行きます)。

というわけで今回、初めて映画のことを書いてみます――映画というとだれでも楽しめる娯楽である一方、ファン層も広く深く、一家言持った方々のたくさんいる分野です。そのなかで、たいしたこと、有益なことを言える知識も教養もありませんが、何かひとつでも違った視点を提示できたら、などと大それたことを思いつつ。 

 

レンタル1本50円――という安さに、もう驚かなくなっている。

 

 実は私、数年前まであまり映画を観ていませんでした。

根っからの文化系なのですが、音楽や本(とくに小説)の方に関心が高くて、映画は観てもDVDで年間20~30本程度で、今劇場でかかっている作品に何があるのか、そもそも俳優や監督の固有名詞も覚束ないくらいでした。ほぼ毎日、日常的に観るようになったのはここ数年です。

きちんと観た映画の記録をつけ始めたのが2013年。その年に、当時の職場の近くのTSUTAYAと、新規出店してきたゲオが価格競争により、旧作1本50円、という破格の値段に落ち着いたことがきっかけでした。

現在はAmazonビデオなどのネット配信もあり、動画コンテンツの価格は、観れば観るほどダダ下がりといってもいい状況で、その是非はここでは触れませんが、一介のコンシューマーとしては歓迎すべき状況です(お財布事情にとって)。

現在はTSUTAYAディスカスの宅配レンタルと、プライム会員になっているAmazonビデオを利用しています。新作をディスカスで、ディスカスの返却中にAmazonビデオで旧作を観る、という利用方法で、定額料金以外の追加料金なしで観ることができて、おすすめです。 

ツタヤ ディスカス/TSUTAYA DISCAS - 宅配DVDレンタル/無料お試し

Amazon.co.jp: プライム・ビデオ: Amazonビデオ

 

海外コメディ映画不遇の時代。

 

……という私の映画鑑賞歴ですから、これまで名作・良作・話題作と呼ばれるものであっても、観てこなかった映画が大量にあって、そういうものを観ているだけでも愉しいし、汲めども尽きぬ映画の泉の豊穣さには敬服するばかりなのですが、毎日のように観ていると、「すごい」「面白い」「濃い」「深い」作品ばかり観るというわけにはいかなくなってきます。そういうものがなくなってくる、というのではなくて、こちらはたいした取り柄もない凡人ですから、名作のアウラを浴びすぎるのは端的にキツイ。疲れてしまうのです。

それでこの数年、息抜き、箸休めみたいなつもりで、これまであまり観なかったコメディ映画、それもアメリカを中心としたコメディ映画をしばしば観るようになり、これが見事に自分にハマりました。面白いのです。とくにアメリカン・コメディは、人種問題や地域紛争など、けっこうギリギリのテーマを扱ったりもするのですが、あえてなのでしょう、コメディとして成立させるため、程度の差こそあれ、「その先」にいま一歩踏み込まず、安心して観られる位置に留まります。一本の作品としては、「食い足りない」という気がするかもしれません。ただ、映画という大海においては、こういう「普通の面白さ」が結構、大事な気がします。本当は個々の作品に触れるべきなのでしょうが、長くなってしまうので、今日はやめておきます。

しかしながら! 現在の日本においてはどうも、海外コメディ映画というのは当たらない、市場規模の小さい、細いジャンルのようで、その多くが所謂「ビデオスルー」と呼ばれる、日本国内で劇場公開されず、DVDや配信のみといった作品が多くなっています。

 

ひどい邦題!――どうしてこういうことになるのか?

 

そしてさらにそういう作品の多くは、監督や俳優の知名度といった観客に対するわかりやすい「惹き」がない(とソフト会社が勝手に忖度している)からか、説明的だったり、実際の内容と異なる、日本の観客に受けそう(と、これも勝手に考えているよう)に見える邦題を付けていると思しき、珍妙なタイトルになっていることがままあります。

映画ファンのあいだで良作とされているもので有名なものでは、

 

『バス男』

(原題 Napoleon Dynamite/後に邦題も『ナポレオン・ダイナマイト』に改題)

ナポレオン・ダイナマイト : 作品情報 - 映画.com

 

『小悪魔はなぜモテる?!』

(原題 Easy A/アカデミー賞女優エマ・ストーン主演。ホーソーンの小説『緋文字』を下敷きにした良質な学園コメディ)

小悪魔はなぜモテる?! : 作品情報 - 映画.com

 

『26世紀青年』

(原題 Idiocracy/バカしかいない世界になった26世紀アメリカの世界で、21世紀の普通の青年が大統領に。原題はIdiot(バカ)+cracy(政体・支配)の造語)

26世紀青年 : 作品情報 - 映画.com

 

『45歳からの恋の幕アケ!!』

(原題The English Teacher/こちらもアカデミー賞女優ジュリアン・ムーア主演。アメリカ映画版『ここは退屈迎えに来て』とでもいうべき地方生活者の悲喜こもごも)

45歳からの恋の幕アケ!! : 作品情報 - 映画.com

 

などといったものがあります。私も大好きな作品ばかり。とくに『小悪魔はなぜモテる?!』はベストオブ・エマ・ストーン、ベストオブ学園映画、といいたいくらい好きな作品のひとつです。しかしながら、これらの邦題を観て、なかなか積極的に「観たい!」と思う人がいるかどうか。

 

バター細工選手権を通して成長する話。(←間違ってない)

 

 他にも私の個人的に好きな作品で、妙な邦題がついているものとしては――、

 

『ビッグ・ボーイズ しあわせの鳥を探して』The Big Year

『Mr.ボディガード/学園生活は命がけ!』Drillbit Taylor

『ダメ男に復讐する方法』The Other Woman

『マン・アップ! 60億分の1のサイテーな恋のはじまり』Man Up

『ハイスクール白書/優等生ギャルに気をつけろ!』Election

『キミに逢えたら!』Nick and Norah's Infinite Playlist

『カワイイ私のつくり方 全米バター細工選手権!』Butter

 

カワイイ私のつくり方 全米バター細工選手権! [DVD]

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 などなど。あえて今回は、個々の作品の内容を紹介はしませんが、このなかでも『キミに逢えたら!』などは、いかにもラブコメ、といった体の邦題にした結果、無個性で当たり障りのないタイトルになってしまった悪例だと思います。

逆に『カワイイ私のつくり方 全米バター細工選手権!』などは、積極的に素晴らしいタイトルだとはいわないものの、案外これはこれで内容を表現した、苦肉の邦題じゃないかと思っています。

 

愛すべきバカ邦題。でもできれば、映画本編に則したタイトルであって欲しいです。

 

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写真:Forsaken Fotos

 

実際、邦題を考えられている映画会社やソフト会社としても、何の考えもなく、くだらないタイトルをつけているわけではないと思います。なんとかして1人でも多くの人に観て欲しい。ときにその熱意が空回りして、ヘンなタイトルになってしまう。

後に改題される例もありますが、たとえそれがどんなに小さな、無名の作品であっても、映画という100年以上続く歴史上のデータベースのなかに、残ってしまいます。そのことも踏まえたうえで、正直にいうと、こうした珍妙な邦題に、実は私、だんだん愛着を覚えつつあったりします。

こういう一見軽薄に見える邦題の作品であっても、映画自体の面白さとは関係がありません。個人的にはこれからも邦題にとらわれずに映画を観たいと思いますし、こういうもののなかにある良作が、1人でも多くの人の目に触れることを願っています。

 

【当ブログ、映画関連の記事一覧】

ひき岩群ふるさと自然公園センターにて。「植物の採集と標本作製」。

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植物採集中に、枝にじっと止まって動かないトンボを見つけました。

 

 本日はダブルヘッダー。

 7月22日。7月17日に続き、「ひき岩群ふるさと自然公園センター」(和歌山県田辺市)での2週続けての自然観察教室。ふだんは月1回の、こちらでの自然観察教室ですが、子どもたちが夏休みの7、8月は、今年も計5日間6回の開催となっています。
しかも今日は午前、午後の2回。午前中は「植物の採集と標本の作製」、午後からは「粘菌の観察」です。 

 

自然観察は長袖・長ズボンが基本。

 植物は、わが長男の得意とする分野。田舎育ちのわりに草木の名前を全然知らず、ミュージシャンや作家等、カルチャー関連の固有名詞ばかりに耽溺してきたインドアな親の子であって、どうしてそうなったのか、2年弱、この自然観察教室に通いつめた結果、長男は、道端の植物をかなり見分けられるようになっています。
他の回もそうですが、この「植物の採集と標本の作製」も、我々は昨年に続き2度目の参加。勝手はわかっています。真夏ですが長袖・長ズボン(草むらのマダニなどの虫除け、そしてマムシなどが出る可能性もあります)、そして帽子。軍手をして大きなポリ袋を持って植物採集に出発!です。
今回、残念ながら前週の昆虫採集よりも参加者が少なく、小学生はウチだけでした。小学生は植物なんか興味ないのかな、などと軽く嘆いてみますが、私自身も子どもの頃は、全然興味を覚えなかったために、まったく草木の種別のわからない、無風流な大人になってしまっています。なかなか今の世の中、日常的に花鳥風月を愛でる暮らしを送るのは難しいもの。そんななか、こういった教室が身近にあって、気軽に参加できるのは本当にありがたいものです。端的に愉しいし。

 

大自然は足許から広がる。

 さて、どんな険しい自然のなかに入って採集するのかな、と思うと、まずはセンターの建物のまわりの地面にしゃがみ込みます。そう、まるで自宅の庭の草むしりをするかのように、です。すぐに先生方が、「これは○○で」「こっちは×▲」と次々に解説して下さいます。
今回、あとで採集したものを調べられるから、とメモを取っていなかったのでその場その場での植物の名前(や特徴)を出せないのが残念ですが、こういうところがこの教室の醍醐味です。すなわち、対象を目の前にして、「その場で」「リアルタイム」で先生方のレクチャーが聞ける!ということ。息子など、私よりずっと先生方に慣れていて、「先生、これ何ていうの?」と次々に聞いていきます。
ここが豊かな自然に囲まれた場所、ということもありますが、例えば近所の公園や道端の雑草にも様々な種類があり、それぞれに名前があって、どこからでも自然観察ができるということ。よく言われることですが、この教室に来るとそれを肌で実感できます。

 

測量野帳は野外で本当に便利。

 そして、書き忘れていましたが、自然観察のもう一つの必需品、それは紙とペン。見ていると先生方も参加者の方も、コクヨの測量野帳を使われている方が多いことに気づきます。私もいつも、ファミリーマートで売っている無印良品の(コクヨのOEMらしい)を持参していますが、これ、野外で使うノートとして、本当に使いやすいです。新書ほどのサイズで薄いので持ち運びしやすく、しかも厚紙入りの表紙が硬くて書きやすい。本当によく考えられた「道具」だと思います。  

この野帳に、植物の名前や採集場所のメモを取ったり、時としてスケッチなどを描くのも面白いです。

コクヨ 測量野帳 スケッチ 白上質紙 40枚 セ-Y3

コクヨ 測量野帳 スケッチ 白上質紙 40枚 セ-Y3

 

スタンダードなタイプ。「野帳」にふさわしいグリーンのカラーが無骨でいい。

 

コクヨ 測量野帳レベル合成紙24枚  セ-Y11

コクヨ 測量野帳レベル合成紙24枚  セ-Y11

 

ビニールのカバーがついたタイプ。こちらは表紙の紙はやわらかいですが、濡れやすい場所ではこちらが便利かも。  

 

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 愛用の「無印野帳」こと、「手のひらサイズポケットノート」

 

植物の採集方法について。

 それからも近くを散策しながら目についた植物を、植物標本を作ることを念頭に置いて採集していきます。つまり、それぞれの植物の特徴を捉えることができるようにします。すなわち、


・小さい草などは根から(全体をまるごと)採集する
・できるだけ花や実がついているものを選ぶ
・大きな樹木の場合、枝先を切り取る


という感じ。植物標本は、八つ切り(新聞の1面の半分のサイズ)で作ることが多いので、採集するのはそのサイズに収まるくらいのサイズ、ということになります。ただし、大きいもの、長いものは折り曲げればよいので、採集のときはあまり厳密には考えません。
などとごたくを並べる前に、長男はどういう基準で選んでいるのか、興味を持った植物を先生に名前を訊いたうえで、「これ、ホシダ」「これはホラシノブ」「オニヤブソテツ」などと、私の手にしている持参した大きなポリ袋に次々と、入れていきます。ちなみにいま挙げた3つは全て、シダ類です。私にはなかなか、区別がつきませんが。

 

標本の作り方。――2週間は毎日吸水紙を換える!

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採集した植物を新聞紙に拡げ、挟み込んでいきます

 

 暑さもあって、30分から1時間程度で採集を切り上げ(それでもウチの袋はパンパンです)、クーラーの効いた研修室に戻って標本作製の開始です。植物も昆虫と同じ、ナマモノですから乾燥させる工程があり、今日だけで完成!とは行きません。


本日の工程は、
・取った植物を、大きく拡げた1枚を2回折った新聞(つまり、1面の半分のサイズ)に挟みこむ。長いもの、大きい物は茎などを折り曲げて、1枚に収まるようにする。新聞のオモテには、マジック等で植物の名前(わかれば)、採集場所、日にちを書いておく。
・その上に何も挟んでいない、同じ大きさの新聞を載せる。
・さらにその上に、別の植物を挟んだ新聞を載せる。
・以下、繰り返し。

こうやって何重にも積み重ねた新聞紙の上から、なるべく均一に重量をかけられるもの(石とか分厚い本とか)で重しをします。ようするに、「押し花」を作る要領。基本的にはこれだけです。


ただし、ここからが肝心。


あいだに交互に挟み込んだ、何も植物を入れていない新聞は、標本から余分な水分を取るための「吸水紙」です。これを植物によりますが、2週間から1ヶ月、毎日交換します。これをちゃんとやらないと、カビが生えてしまったり、色が黒ずんで、いい標本になりません。昨年もやったのですが、小学校低学年の長男には、この作業が面倒なのか、「やるやる」といいつつかなり私任せになってしまっていました。確かに毎日同じことの繰り返しで、退屈な作業なのかもしれません。ただ私は、吸水紙を換えながら、採った植物が毎日少しずつ、「標本」らしくなっていくさまを眺めていくのは、けっこう楽しいものだな、と思います。

 

「現場」だけでそっと教えられる裏ワザも。

 この作業を簡略化する方法として、ある先生は、

「いまみたいな真夏だったら、車のループトップや単車の荷台にギュッとくくり付けて、日中一日走れば、シダみたいなものなら一日で乾く」

とおっしゃいます。
また、もうひとりの先生は、「吸水紙を紐で束でくくっておいて、交換したときに乾燥した場所に干しておけば、繰り返し使える」といった小ワザを紹介されていました。


植物標本の作成方法などは、ネットでも検索できますが、こうした実際に作業をする上で役に立つ情報を得られるのも、こういう場ならではなのかな、と思います。

 

大切なのは、「いつ」「どこで」「だれが」採集したのか。

 きっちり乾いて乾燥した標本は、台紙(ケント紙など)に、和紙を細くテープ状にして貼り付け(セロハンテープは耐久性がないので不適。私はマスキングテープを使用しています)、ビニールの袋に入れて保管します。ここで標本として最も大切なものの一つ、ラベルを作成します。


ラベルには、
・植物の名称
・採集地
・採集者
・採集日
を記載します。

このうちとくに大切なのは、採集地、採集者、採集日だそう。

先生いわく、
「植物の名称は、モノがあるのだから、その場でわからなくても調べたり、専門家に聞いて同定できます。いつ、どこで、誰が採ったのかわかることが、研究のうえでも、新発見があったときにも重要なのです」
ということです。

 

f:id:tkfms:20170731193952j:plain 昨年の教室で、長男と作成した標本

 

昨年は採集後の作業の大部分を私がやってしまったのですが、長男は今年、植物標本で自由研究をやる、と言っているので、今年はがんばってくれるといいなあ、と思っています。長くなってしまったので、午後からの「粘菌観察」は次回、紹介します!

 

ふるさと自然公園センター|田辺市

ふるさと自然公園センター 自然観察教室のご案内|田辺市

 

 

※上記の記述のなかの、植物採集の仕方や標本の作成方法は、まったくの素人である筆者が、参加したこの教室等で聞きかじったり、その後多少調べた程度の知識ですので、誤っている部分もあるかもしれません。その点、ご了承のうえでお読みいただきますようお願いします。

 

ASUSのChromebook、C202SAを購入、約1ヶ月使ってみて。――「軽快でかわいくて、最高じゃないですかっ」

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ASUS Chromebook C202SA | Laptops | ASUS USA

 

ディスコがあるらしいの わたしは踊りたい

殺されたって構わない それから

ステレオを買いたいの でも彼はね

本ばかり買う それはいいの

 

(けもの「第六感コンピューター」の歌詞より)

 

この歌詞世界は、ジャン=リュック・ゴダールの映画『気狂いピエロ』に依拠するものだということです。20年ほど前に『勝手にしやがれ』を観たきりのゴダール弱者の私ですが、この素晴らしい楽曲に誘われて観てみました。本当にそのもの! ビックリしました。「パクっている」とかではなくて、『気狂いピエロ』の映画世界を的確に解釈している、という感じ。素敵です。

 

新しいパソコンを買う理由(は実は、ない。)

新しいパソコンを買いました。ASUSのChromebook、C202SAというものです。Amazon.comで購入*1し、価格は送料、関税等全て込みで26,000円ほどでした(2017年6月下旬当時)。欲しかったものを買う、それも、切迫した必要のためでなく、ただ愉しみのための消費。というのは、甘美な背徳感のただようものです。


理由がないわけではありません。

 

理由その1. 自宅にあるノートPC(HP envy14 Beats Edition/Windows7)は重くて持ち運べない

理由その2. キーボードに興味を持ってきた小学2年生の長男に、そろそろパソコンを触らせようと思っていて、セキュリティや使い易さの観点から、どうもChromebookが良さそうだ。子ども専用のを買い与える前に、自分でも使ってみて、子どもにも少しずつ触らせてみたい

理由その3. 小説やブログを書くのに良さそうだ

理由その4. (パソコンにしては格段に)安い

 

しかしながらそれらは全て口実に過ぎません。下記により4点とも排除されます。

 

反証その1. そもそもPCを持ち歩くような生活をしていない(仕事はほぼ内勤)

反証その2. 今じゃなくても良い。少し早いかも(学校でローマ字を習うのは小3)

反証その3. iPadやWindowsノートでこと足りている

反証その4. それでも(自分には)安い買い物ではない

 

そういう自分内会議を経ても、やっぱり買ってしまったのは、モニター越しの二次元世界で見ても伝わる、このASUS C202SAの、匂い立つようなかわいらしさ。そして実際、使い勝手もよい。起動からブラウジング、テキストの入力まで、動作は軽く、快適です。 

 

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キートップのアクアブルーの印字がかわいい

 

 Chromebookとは?――ブラウザだけの、安価なノートPC

“そもそも“Chromebookとは何か?”という説明をしていませんでした。

とはいえ私はとくにコンピューター界隈に明るい人間ではないため、ちゃんとした説明はできません。そういったものは私も参考にした他の素晴らしいサイトがいくかあるのでそちらを見ていただくとして、すごく簡単に――そしていい加減に――いうと、Googleが作った、「Chromeブラウザとそのなかで動くウェブアプリのみが搭載、動作可能な」(この言い方がすでに間違っている自信アリ)、「Chrome OS」というOSの専用ノートブック、というもの。

基本的にChromeブラウザだけなので低スペックのハードウェアで軽快に動作するのが売りで、端末も他のOSと比較して低価格なのが特徴です。

しかしながら日本市場で苦戦したためか、現在は国内モデルが数少なく、現行のラインナップの大半は、海外から購入するしかありません。OS側で日本語対応しているため、いわゆる「技適問題」(これも色々と難しい論点があるようです)さえクリアした端末であれば、日本語、日本国内での使用に問題はないのですが、海外モデルのため基本的にUSキーボードとなります。

それ以前に私はAmazon.comをはじめ、海外のECサイトを利用したことがほとんどなかったため、心理的にハードルがなくはなかったのですが、これもいくつかのサイトを検索、参考にすればわりと簡単にクリアできました。

 

ポメラとの比較――実はより「軽快」なのはChromebookではないか?

Chromebookに興味を持ったきっかけがどういうものだったか、すでにちゃんと覚えていないのですが、ポメラの現時点での最新型、DM200について調べていたときに、たまたま用途として競合するものとして挙げられていたことだったかな、と思います。

私は趣味で小説を書いていることもあって、キーボードを備えた端末が好きで、これまでも初代ポメラ、auの初代android端末「IS01」、NECのクラムシェル型android端末「LifeTouch Note」などを購入し、一時期はiPhone5、iPad(第4世代)などもキーボードカバー付きで使用したりしていました。

なので特にガジェット好きのアーリーアダプター、というわけでは全然ない(むしろ買うのは値崩れしてからが多い)のですが、こういうものを買うときに気になるのは、「いかに快適に入力できるか」そして、「使いたくなるか」ということです。

「快適な入力」という点ではポメラにも一日の長がありそうですが、私が初代ポメラを使って感じたのは、「文章作成しかできない」という機能の割り切りのために、意外と使用頻度が下がる、ということ。書いたものをウェブ(ブログやDropboxなどのクラウドストレージ)にアップしたり、印刷したりするにあたっては、別途PCを起動する必要があります。

私は小説を書くときに作成したテキストファイルをDropboxで管理し、スマートフォンの読書アプリで縦書き表示させて読み返し、校正等を行っています。スマートフォンを持つようになるより先に購入した初代ポメラは、USBないしMicro SDカードでファイルのやりとりをするしかなかったために、しだいに使用しなくなってしまいました。今のポメラはBluetoothやWifi機能も搭載しているようなので、だいぶ使い勝手はよくなっているようですが。

「使いたくなるか」という点では、ブラウジングや入力も含めた挙動の軽快さは、Chromebookの大きな魅力だと思います。書きながらネットで調べ物をして、また書く。ということを、ストレスなく行うことができます。バッテリーの持ちも非常にいい(公称10時間)。ポメラではブラウジングはできませんから、スマホやPCなどに頼ることになりますが、現状、私の手持ちのデバイスのなかで、それが一番快適なのは、Chromebookです。

 

(意味なく)持ち歩きたくなるラップトップ。

端末のサイズや重量ということではなくて、使い勝手や挙動の面で、より軽快なのは、(11.6インチで重量1.2kgと、決して薄く軽い端末ではないC202SAでも)Chromebookじゃないかと、私には思えます。前述したように、Chromebookに限らず、仕事上で個人の端末を使うこともなく、業務上の外出も少ないため、ふだんPCを持ち歩くことはないのですが、それでもカバンに入れて外出したくなるラップトップ。というのは、個人的には初めてです。先日、久しぶりの宿泊ありの出張にも持参しましたし、数日取れそうな夏休みでは、家族旅行の際に調べもの用に持って行こうかな、と考えています。

 

情報収集など(勝手にお世話になりました。)

 [かぶ] ASUS C202SAレビュー。現時点でChromebookに必要なスペックを過不足なく綺麗にまとめた、スタンダードな良モデル。 | おふぃすかぶ.jp

今回、「ASUS Chromebook C202SA」を購入するにあたって、色々とウェブ上の情報を調べましたが、なかでも一番参考にさせていただいたのが、上記のレビュー等、私のような初心者にも比較的わかりやすく、読みやすく、何よりChromebookに対する個人的な「熱量」を感じさせつつ、物腰の柔らかな上品な印象を受けるテキストを多数掲載されている、「おふぃすかぶ.jp」というサイト。

 

第六感コンピューター(reprise) 

振り回されてしまうのに もっと君を知りたくなる

エレベーターガールの時も コールガールの時の貴女も

第六感コンピューター 第六感コンピューター

第六感コンピューター スイッチは押された

(けもの「第六感コンピューター」の歌詞より)

 

めたもるシティ

めたもるシティ

 

 

私にとっての「第六感コンピューター」、Asus Chromebook C202SA。これからも愛用していきたいと思います。 

 

*1:日本のAmazonでも並行輸入品の取扱がありますが、Amazon.comで個人輸入した方が安価だったため。

“標本で表現する”――自然観察教室で昆虫採集と標本作製の本当の面白さを学ぶ。

「ひき岩群国民休養地」のふるさと自然公園センター(和歌山県田辺市)

7月17日。小学二年生の長男と二人で、「ふるさと自然公園センター」での自然観察教室に参加しました。本日のテーマは「昆虫採集と標本の作製」。

田辺市の施設であるふるさと自然公園センターは「ひき岩群国民休養地」内に整備されており、自然観察教室はほぼ毎月1回の開催。専門の指導員や高校の理科教員、行事によって近隣の博物館等の学芸員など、自然科学のスペシャリストの先生方の指導のもと、広く小学生から一般まで参加するこができます。

県外出身者である私はこの施設の存在についても、そもそも田辺市の自然環境についてもまったくの無知だったのですが、長男が幼稚園の年長になった頃に妻がこの自然観察教室の情報を入手してきて、以後ちょくちょく参加――というより、「植物の採集と標本の作製」「野鳥観察」「粘菌の観察」「夜鳴く虫をさがそう」といった毎回のテーマの面白さはもちろんのこと、子どもたちの質問攻めにも「わかることは答えます。わからないことは答えられません(笑)」とユーモアも交え気さくに答える先生方の人柄と博識に魅せられた長男が、毎月何を措いてもこの教室を楽しみにしていて、よほどのことがない限り毎回参加するようになりました。

 

今回のテーマは「昆虫採集と標本の作製」

今回の「昆虫採集と標本の作製」は、“夏休みの自由研究のお助け講座”ということで、参加者は親御さんと一緒の小学生の子どもたちがメイン(ウチもその1組)。とはいえこの自然観察教室、意外と参加者が少ないんですよね。今回も十数人といったところ。少子化とはいえ人口7万弱の田辺市にあって、このテーマなら、もっと子どもたちの参加があってもよさそうな気がするのですが、少人数のアットホームな雰囲気が居心地がいいのは長男も、実は私も同じ。あまり人数が増えて、ガチガチの運営になるのも嫌だし。こういっては失礼にあたるかも知れませんが、官製の施設のわりにラフな感じの運営はかえって好印象というか、参加者としてもキラクでいいのです。

 

南方熊楠も愛したひき岩の自然

施設内の研修室で車座になって簡単な説明を受けたあと、捕虫網を持って、「ひき岩群国民休養地」である近隣の自然を散策します。このあたりは田辺の市街地から5キロほどの、「ひき岩」と呼ばれる奇形の岩山が並ぶ丘陵地で、田辺市に暮らしたかの南方熊楠が、植物や菌類の観察や採集に明け暮れた場所ということもあって、豊富な植物相や生物相に恵まれています。散策コースも整備されていて、今回も小川や蓮池に沿って歩きながら、虫たちだけでなく、木々や草花、小川を泳ぐ魚たちを、先生方の同時解説つきで(!)見て回ります。

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ヒキガエルに似た「ひき岩」。Wikipediaより

 

昆虫採集の必需品、「毒ビン」と「三角紙」

昆虫採集というと虫カゴを想像し、実際に子どもに持たせていたのですが、今回は標本作製が目標なので、カゴのなかで暴れて翅や脚が千切れたり、姿かたちが傷つかないように、酢酸エチルを含ませた脱脂綿を入れた「毒ビン」(主に甲虫に使用)に入れたり、パラフィン紙で作った「三角紙」(トンボやチョウに使用)に挟んだりして捕獲するのだそうです。ここらへんは昆虫採集の基本の「き」みたい。

 

アマゾンでも活躍した捕虫網で

この日はあいにくというべきか絶好のというべきか、ピーカンの夏日和で、子どもたちは汗だくになりながらトンボやチョウを追いかけます。それを見ている大人たち(というか私)も同じように夢中になります。先生たちも、先日アマゾン(仮想世界のマーケットではありません)での捕獲にも使用したという本格的で大きな捕虫網をいともたやすく振り回して、あちらも生存のために必死に逃げ回るチョウなどを、華麗に捕らえてみせます。

チョウだけでもキタキチョウ、モンシロチョウ、ベニシジミ、ウラギンシジミ、カラスアゲハ、アゲハチョウなどなど。とくに珍しいチョウではないのかもしれませんが、その場で名前や特徴がわかる、特徴や生態などについてプロフェッショナルに教えてもらえるというのは、子どもだけでなく大人にとっても、刺激的で面白いものです。

 

 標本作製開始!

たっぷり午前中いっぱい、虫を追いかけまわしたあと、センターに戻って各自持参した弁当を食べて、午後からは標本の作製です。といっても、虫という「ナマモノ」を扱う昆虫標本は、「捕って出し」みたいなかたちですぐに完成するわけではなく、腐ったりムシが湧いたりしないように、しっかりと乾燥させる必要があります(こういうふうに訳知り顔で私が書いている解説は、全て先生方の受け売りです)。なので本日は、虫を殺す→展翅、展足を行い形を整えるといった標本作製の最初の工程――そしてそれは美しい標本を作るためにもっとも重要な工程なのですが――を行います。

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慣れた手つきで標本作製に取りかかる先生

 

長男のカラスアゲハを使って、先生がお手本を見せてくれます。まず、チョウの胸の真ん中に、昆虫針と呼ばれる細い針を刺し、展翅板(てんしばん、と読みます)という、翅を見栄えのいい形に整えて拡げるための板(これは先生が発泡スチロールで作成し用意してくれていました)に、チョウを刺した昆虫針を固定します。そしてまち針を使って翅を、「綺麗な」「かっこいい」位置に微調整します。同じ虫でも、標本の出来映えというのは細かいところでずいぶん違いが出るということです。

 

「標本で表現する」ということ

「最近では小学生の科学展でも、標本を出す子が少なくなったんよ。というのは、評価する先生たちも標本を作ったことがないんよ。だから自由研究というと文章で表現するものと思ってるわけや。そやけど、標本で表現するのもありやと思う。文章にしないから劣ってるということはない」

とは、ある先生の弁。作ろうとしてみるとわかるのですが、いざ展翅、展足といっても、触覚や脚の向き、揃え方など、やっぱりそれぞれの生き物の特徴がわかっていないと、どういうふうに整えていいかわからないんですよね。蝶の翅にも丁度いい、格好いい角度があって、自分なりに「こうかな?」と思っていても、先生方にいわせると「もうちょっと高く」ということになります。

「標本作製におけるセオリー」ということでもあるのでしょうが、チョウならチョウで、その一匹、その一種類だけじゃなくて、色々なチョウを見て、触って、そして実際に標本を作って知っているから、「この角度が格好いい」となるのだと思います。

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ふるさと自然公園センターに展示されている標本より

 

続ける愉しみ

さすがに小二の長男には(私にも)、いきなりのチョウの展翅は難しく、その名の通り翅の裏が綺麗な銀白色に輝くウラギンシジミの翅も、鱗粉が取れ、いたるところ破れてしまいました。しかしながらなんとか展翅板に貼り付け、その後もトンボやバッタなどの展翅、展足を終え、満足そうな長男の顔を見ると、今回も来てよかったな、と思いました。この楽しみを、子どもたちにも自分も、ずっと味わって欲しいし味わいたいから、この自然観察教室がいつまでも続いて欲しいと思い、極々微力は承知で、ここにこうして記録することにしました。

そして次週は長男の特に好きな、植物がテーマ。「植物の採集と標本の作製」です*1。田辺市や近隣の方は、ぜひ一度参加してみて下さい。この教室で聞いた生き物を、後で図鑑で調べたりするとなお楽しいです。

また、自然観察教室の先生方が編集に携わった「田辺市の自然観察ガイドブック」もふるさと自然公園センターで販売されています(250円!)。下記サイトでpdf版も無料でダウンロードできます。自然や生きものたちへの愛のあふれた楽しくてためになるガイドブックだと思います。私も長男と2冊買って、愛読しています。60ページほどのブックレットのなかに、沢山のたくさんの動植物の名前が出てきて、これを味わい尽くせるようになるにはまだまだだな、でもそれができたら本当に愉しいだろうな、と思います。

 

ふるさと自然公園センター|田辺市

ふるさと自然公園センター 自然観察教室のご案内|田辺市

田辺市の自然観察ガイドブック|田辺市

 

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田辺市の自然観察ガイドブック[2017年改訂版](田辺市発行)

 

*1:「植物の採集と標本の作製」は2017年7月22日、実施されました。こちらに、参加した様子をまとめてみました