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【連載小説】「踊る回る鳥みたいに」――第9回 “タイムリミット・サスペンス”

 

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踊る回る鳥みたいに-009

「踊る回る鳥みたいに」作:津森 ソト

 

【「踊る回る鳥みたいに」これまでの連載(第1回~第8回)】

第1回“どんぐりのスポセン
第2回“チューニング”
第3回“冷凍パインを砕く”
第4回“しおりさんのトリートメント”
第5回“もしも音楽に、苦痛が伴うとしたら”
第6回“透き通った最初の言葉を聞いて”
第7回 “好きになるまでは呼び捨てなのに(あるいは、エッセンシャルオイルから化粧水を作るレシピ)”
第8回 “ムーミン谷は閉店中” 

 

八-1-2 タイムリミット・サスペンス

 

 やがて人類は貨幣を使わなくなるでしょう。
 わたしはその言葉を当たり前のこととして聞いていた。同時に、そんな日が来るなんてまだ想像できなかった。妹のダンナの雅文くんがいった。
「どうなんでしょうね、実際。僕は好きですけどね、お金。お金って、硬貨。
 あれ? 貨幣、だから硬貨のことじゃなくて、お金そのもののことか。おねえちゃん、そう思ってました?」
 雅文くんは妹のダンナだがわたしと同い年だ。義姉・義弟の関係で雅文くんが敬語を使っていた。駅まで向かう道すがらの商店の軒先に、CDと、シルバーのアルミの光沢のあるビールの空き缶に縦の切れ目を入れて平たく広げたものが、紐で吊り下げられていた。
「カラスよけかなあ?」「あ、ほんと」
「わたしも硬貨のことだと思ってた。お金かあ、お金使わなくなったらどうなるんだろ?」
「お金なくなったら商品買えなくなってしまいます。父ちゃんお金なくなるの?」
 カズちゃんがいった。わたしと手を繋いで歩いていた。雅文くんは手を繋ごうと何度も試みたが、カズちゃんにそのたびに無言で振り払われた。わたしと雅文くんは、昨日雅文くんが読んだ本の話をしていた。わたしと雅文くんとカズちゃんはカズちゃんが好きなローカル私鉄に乗りに行くところだ。妹の店の前を通った。
「行ってきまァーす!」ガラス張りの店内へ向かって手を振りながら、大声でカズちゃんがいった。
「行ってらっしゃーい」妹と、見習いで入ったばかりのスタッフの女の子が応えた。声は聞こえなかったが口の動きがそういっていた。

 

No09

 

 ローカル私鉄の駅に着くと、電車は一時間に一本でちょうど五分前に出たところだった。
「さっき電車出たみたいだよ」とカズちゃんにいうと、
「ユウちゃん、電車じゃなくてディーゼル車だよ。ほら、パンタグラフないでしょ。前にもいったと思うけどなァ、ユウちゃん聞いてないなァー」
 といった。「聞いてるよー。ディーゼルは電車じゃないの?」
 ディーゼル車の動力はディーゼルであって電気ではないのだから電車ではない、とカズちゃんはきっぱりといった。雅文くんは笑いながら、じゃあ喫茶店行こうか、ソフトクリームかなんかあったと思うよ、というとカズちゃんは、
「ソフトクリームかなんか? ソフトクリーム」と確認した。
「ソフトクリーム」
「ソ・フ・ト・クリーーーム! 食べるゥー」
 カズちゃんは跳びはねながら歩き出したが、「あと何分ある? 次の電車まで」と心配した。
 雅文くん「まだ五十分以上あるよ」
 カズちゃん「何分?」
 わたし「五十五分」「正確に答えなきゃ。ねえカズちゃん」
 カズちゃん「そうだよー。その何秒かで乗り遅れるんだよ、父ちゃん。バカだなー」
 いいながらカズちゃんはとても楽しそうだ。ぴょんぴょんしながらなおも歩いた。ローカル私鉄は全長三キロに満たない路線で片道十分くらいしかかからない。たしか日本で一番か二番くらいに短い路線だった。カズちゃんはこれに乗って往復するのが好きでもう何回も乗っていて、わたしも毎回付き合っていた。というか、カズちゃんのなかではこの私鉄に乗るのは「父ちゃんとユウちゃんと三人で」と決まっているらしくて、雅文くんと二人で、とか妹を入れて親子三人で、とかで行ったことがないようだった。
 そういう決まりごとを作るのは子どもみんながやることなのか、自分はどうだったのかも含めてよくわからないが、カズちゃんはかわいい。喫茶店に行くのに幹線道路の横断歩道を渡った。
「ここの信号、十六秒しかないんですよ」
 とカズちゃんがいった。青になった瞬間、残り時間が電光表示される信号だった。

 

No09-2

 

 喫茶店でもさつまいもソフトクリームを食べながら、
「今何分?」「あと何分?」
 と何分かおきに繰り返しカズちゃんはいって、そのたびに「まだ大丈夫だよ」「あー、あと一分しかない!」とか雅文くんにいわれて、カズちゃんも、「だってさー、乗り遅れたらまた一時間またないとダメじゃん」とか「父ちゃんのウソつきー。そんなわけないでしょ」などと心底楽しそうにいった。
 さつまいもの果肉が入ったソフトクリームがおいしかったのも気分の高揚に拍車をかけていたのだろう。わたしたちが頼んだ神山というバリ島産のコーヒーも、いちごジャムの乗った分厚いトースト(わたしの)も、カツサンド(雅文くんの)もおいしかった。
 駅に十分前に着くと「ディーゼル車」はもう駅にスタンバイしていて、アイドリングしたまま停車していたが、運転士も乗客もまだいなかった。
 階段を上るとすぐホームで、券売機もなく車輌のドアも空いている。一輌編成のワンマンカーで、料金はバスのように下りるときに払うようになっていた。
「これさあ、もしわたしたちが運転士できたら、発進できちゃうんじゃない?」
 とわたしはいった。
「そうかなァ。何か鍵がかかってるんじゃないですか?」
「あー。そんなこと言ったら悪ぅー」
 と雅文くんとカズちゃんが同時にいった。
「ここに中井精也*1が来たらいいのにね」カズちゃんが見ているテレビ番組の鉄道写真家のことを雅文くんがいった。
「来たらいいなァー。来て欲しいなァー。でも短すぎるから来ないのかなァー」
 番組では毎回、取り上げた路線の沿線で、その車輌とともに絵になる風景を撮るのだった。この短いみじかいローカル私鉄の周りには、テレビ映えするようなところはなさそうだった。だいいち、線路上も線路脇も雑草がぼうぼうに茂っていた。猫が駅長の鉄道や、観光列車で集客しているJR九州のように、もっとうまく魅力をアピールする方法はあるかもしれない。でもここはこのままでもいいんじゃないかとも思う。カズちゃんは今のこの車輌が気に入っていた。
 さっきの喫茶店では、コーヒーカップのソーサーの上にゴーフレットが載っていた。この路線では、ときどき運転士の気まぐれで、往復するわたしたちの運賃を片道分まけてくれることがあった。
 父の行く千円カットの理髪店ではスタッフに直接料金を払わずに、券売機でチケットを買い、来客者名簿に名前を書かなければならない。スタッフの着服を防止するためだろう。
 雅文くんが車輌の後ろにあったチラシを持ってきた。A4の紙にワープロソフトで作ったチラシだった。インクジェットで印刷されていた。商店街とのタイアップで、チラシを持参すれば色々と割引きが受けられるらしい。
「お肉やさんのコロッケ二個で百円だって。これどう?」
「でも今日ママご飯作るんでしょ。勝手に買っていいの?」
「今日はカレーって言ってたよ、ママ。これ入れてコロッケカレーにしよう」
「じゃあ賛成!」
「おねえちゃんも今晩来ます? 二個百円だから二人で買ったら四個買えますよ」
 わたしもご馳走になることにして、
「コロッケコロッケコロッケコーロッケ!」と三人でいっているうちに運転士が来て、出発した。

 

(つづく)
「踊る回る鳥みたいに」第10回は2022.2.11(金)掲載予定(毎週金曜更新)です。

 

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*1:※中井精也(1967~):鉄道写真家。NHK-BSプレミアム『中井精也の絶景!てつたび』出演中。写真集『中井精也 写真集 1日1鉄!』(インプレス刊、第46回講談社出版文化賞(写真部門)受賞作)など。