ソトブログ

文化系バーダー・ブログ。映画と本、野鳥/自然観察。時々ガジェット。

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読んだあとも、手許に置いておきたくなる小冊子「mürren」と、遠くてもいつか行きたい、と思える書店「スロウな本屋」のこと。

 

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「予感のする」本。

 

 よくできた装丁の本、というのは本当に美しく、手になじむだけではなくその内容ともうまくマッチしていて、たとえば一見アカデミックで質・量ともにヘヴィそうなコンテンツの本であっても、あえて手に取りやすいサイズ感やライトな紙質、ソフトカバーにポップな装画などが施されていれば、その本は著者ないし出版社にとって、気軽に手に取って読み進めて欲しい本なのだ、ということがわかります。

 

先日、40歳になる前日に、ふとしたきっかけで見かけ、以前から気にはなっていた本だったので注文して誕生日だった日曜日の夜に届いて、これから読もうと思っている、國分功一郎『暇と退屈の倫理学 増補新版』(太田出版)は、私にとってはそんな予感のする本です。

  

話題になった2011年初版の旧版にはうまく出合えなかったのですが、今回、この装丁にやられました(とはいえ本新版も2015年初版)。 

 

デジタルで、電子書籍でも本を読むことがかなり浸透しつつある今、たとえばリトルプレスとして、自分で本を作ることがあったとしたら、折角ならそのデザイン、装丁、体裁からして「紙で読みたくなる」もの、「読んだら、あるいは読まずとも、モノとして眺め、愛でたくなる」ような本が作れたらいいな、と思います。

 

フリーペーパーやミニコミ、小冊子のような雑誌というよりパンフレットに近いような少ページ、少コストの紙媒体であれば、たとえば市販の単行本のような、造本や印刷に凝ることは難しいでしょう。それなのに、ただの紙に文字や写真が印刷され、ホッチキスで中綴じされたごく薄い、当たり前の小冊子なのに、なぜか「ここにしかない」魅力を放つリトルプレス。

 

「街と山のあいだ」にある小冊子、「mürren」。

 

 

www.sotoblog.com

 

――それが、上記、前回の記事で紹介しそびれた「mürren」(ミューレン)という小冊子です。

 

 

 編集・発行人は登山の専門出版社である山と渓谷社を経て独立、編集者・文筆家として活躍される若菜晃子さん。「街と山のあいだ」をキャッチコピーに毎号違った切り口の特集で読ませる雑誌スタイルの小冊子ですが、この特集が面白い。「登山の出版社」「街と山のあいだ」といったキーワードから想像する読み手の想像を、ちょっと超えてくるというか、思わぬ方向から届いてくるような。たとえば私が数年前、たまたまとある雑貨店で始めて手に取った号、2011年6月のvol.9の特集は、「ゾウ」。そして今回、改めて手にした最近号(2018年1月、vol.22)は「岩波少年文庫」です。

 

表紙の一枚外側についたタイトルと号数、特集の標題を書いた帯を開くと、控えめに、しかし決然とした意思を感じるような、こんなステートメントが書かれています。

 

山や自然は変わらずそこにあって、思っているよりもすぐそばにあって、行こうと思えばいつでも行けて、いつも黙って受け入れてくれる。行けば必ずいいことがある。山のある人生にはいいことが多い。 

 

帯のようについた一番上の紙を開くと、まさに「大切なことは小声で語られる」ように、こんなステートメントが。 

 

一見するととても洒落たデザインの、グラフィックブックのようですが、その実、その多くを若菜さん自ら手掛けられたテキストも読み応えがあって、私は上記のステートメントをも、こうして引用すべきじゃなかったかな、とも思い始めています。この「mürren」の写真とテキスト、1ページ1ページは、実際に手にとって、手許においてこそ、享受すべきものじゃないかと思うのです。

 

そして、最新号が読みたいと思ってこの「mürren」vol.22を探したとき、私ははじめ、ウェブを検索して、どこでもいいから目についたネット書店で買おうと思っていました。そこでこちらも本当に偶然、出合ったのが岡山の書店、「スロウな本屋」です。

 

岡山の書店、「スロウな本屋」――「ゆっくりを愉しむ」という矜持。

 

slowbooks.jp

 

こちらは、木造長屋を店主自ら改装し、“「ゆっくりを愉しむ」をコンセプトに店主が厳選した絵本と暮らしの本が揃う”新刊書店だそう。

 

店主による絵本の月間セレクト便「絵本便」や、朗読や読書会などの様々なイベントなどの情報発信をされていたりと、――『子どもの哲学2 この世界のしくみ』刊行記念「哲学カフェ」など、もし近くのお店だったら、本書のもとになった連載の掲載紙である「毎日小学生新聞」を購読している長男とともに参加したい!と思いました――特徴的な屋号以上に、文化の発信基地としての書店たろうとする矜持が感じられます。

 

小冊子「mürren」も、こちらの「スロウな本屋」も、ぱっと見というか、何となく見てしまうと、流行りの(というのも今更ですが)Slow Life/LOHASというような、何となくのイメージだけの、フワッととしたものだけを見てしまうかも知れません。しかしこうした本や、書店をお遊びではなく続けていくことのバックグラウンドが、「mürren」にも「スロウな本屋」にも、ぎっしりと詰まっているように、私には思えました。

 

それがなになのか、私にはこれだけの文章で上手く語れることばが手持ちにありませんが、実際、手にとって見たり、サイトや店舗を訪れて目や耳で、身体で感じないとわからないものだとも思います。身体性を秘儀のように語るのを嘘くさく感じる人もいるかもしれませんが、私はここ数年、小学生の長男とともに人生で始めて、いや彼と同じような少年だった頃いらいに自然のなかに繰り出すようになって、リアリティとともにそれを実感しています。

 

とは言いながら、岡山にあるという「スロウな本屋」の実店舗にはまだ、訪れたことがありません。いつか岡山に行くことがあったら訪れてみたいと思っています――いつかそこに行ってみたい、という場所がある歓び。

 

――「別にどこでもいい、なんでもいい」を、「ここで買うことに意味がある」「他でもない、この本をこそ読みたい」に変える力。そんな個人の営みに、今は興味があります。