ソトブログ

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里谷多英の金メダルと、ストーン・ローゼズ「エレファント・ストーン」――あるいは、純粋に私的個人的な想い出。

 

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1998年2月11日、長野オリンピック、フリスタイルスキー・女子モーグル決勝。

 

長野オリンピックというと今回のピョンチャン・オリンピックから5大会前、1998年で私は19歳、大学1回生ということになる。スポーツ観戦について、「他人(知り合いでも同じことだ)が身体を動かしているのを見るのが何が愉しいものか」という向きもあるし、冬季オリンピックというとふだんはなじみのない競技も多く、

 

「この種目をどういうキモチで見たらいいのかわからない」

 

という言いかたもあり得て、その言いぶんは解らないわけではない。どちらかというと私もいつもはそういう側の人間だからだ。

 

しかし長野オリンピックは面白かった。いや、自分にフェアに、そして正確を期すとすると私はその冬季五輪大会の各競技の模様について、あるいは開会式の演出や周囲の盛り上がり――メディアや一般の人々、身の回りの友人たちの反応に至るまで、殆ど何もおぼえていない、と言っていい。

 

ただ、明確におぼえていることがひとつだけある。

 

 

私はある日の午前中、当時下宿していたワンルームマンションの一室でフリースタイルスキー・女子モーグルの決勝を見ていた。うろ覚えであえて調べずに書くが、私が当時好きだった(註:ルックスと当時マスコミ稼働していたキャラクターが)、私の一つ年上か一つ年下の上村愛子は8位内の入賞だったが、里谷多英が優勝した。

 

モーグルという競技の競技性というか魅力の本質というか、もっと単純に見方とか面白さみたいなものを、当時の私はよく解っていなかった(今も解らない)。けれども私はこの瞬間、目茶苦茶興奮した(たしか中継で解説していた、おそらくまだ競技者に近い年齢の解説者も興奮していた)、そしてそのあまり、優勝の決定した直後、買ったばかりのターンテーブル、テクニクスSL-1200 Mk3Dに――これだけは今Wikipediaで調べたら、1998年9月発売だという。1998年の2月頃だったはずの長野五輪の頃に、私がこれを所有していることはあり得ないから、そのとき使っていたのはそれ以前に持っていたDJ仕様でないレコードプレーヤーだったのだろう。しかしこの文章は私の純粋に私的個人的な記憶に基づいたものなので、その時点でフィクションなのだ――、これまた買ったばかりのストーン・ローゼズの7インチ、「エレファント・ストーン」を載せて廻した。

  


The Stone Roses-Elephant Stone (with lyrics)

 

SL-1200 Mk3Dでないとすると私の持っていたオーディオテクニカのプレーヤーは、スイッチを押すと自動でアームが盤面に針を落とすタイプだった。これほどこの興奮に見合わない情景があるだろうか。私は震える手で、SL-1200 Mk3Dのカートリッジをローゼズの7インチに載せるべきだ。だからそうした(と、いま私は書く)。

 

私がストーン・ローゼズの音楽に熱中していたのはCDで聴いていた高校生の頃だったから、このときより1、2年は前で、7インチは大学に入り、高校当時の熱中の余波で入手したものだった。しかしアタックの強い、マッドチェスター、セカンド・サマー・オブ・ラヴの象徴のような「エレファント・ストーン」のビートとキラキラしたウワモノ、浮遊感というよりよれよれなイアン・ブラウンのヴォーカル。私の音楽体験のなかで、これほどその瞬間の感情にフィットした音楽を、私は他に知らない。

 

Burst into Heaven
天国へまっしぐら

 

とローゼズは歌っていた。

 

何だかよくわからないが異様な熱気だけは伝わる雪上の競技の、それまでファンでも何でもなかった選手の優勝に、私は何故そこまで熱狂したのか。しかも一人の部屋で。――私にとっては後にも先にもこのときだけで、私は私的個人的な経験だけで何かをしたり顔に言うつもりはない。ただ一つ言えることは、音楽は万能だったし、それは今も、いつだってそうだ。