ソトブログ

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祖母と“第三の新人”たち、祖父とビルマ戦線――小島信夫から『ダンケルク』まで。

 

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今週のお題「私のおじいちゃん、おばあちゃん」


20170920-eye


先日私は自身で書いた祖母の告別式での挨拶を引用し、祖母の思い出について書きました。そこで私は、祖母と同世代の作家たちが晩年に書いた小説について触れています。


www.sotoblog.com

わたしはおばあちゃんの訃報に接して、一昨日の晩、なぜか本棚からおばあちゃんと同世代の小説家たちが晩年、今のおばあちゃんと同じくらいの歳で書いた小説をいくつか取り出し、開いてみました。それらは作家の日常を描いたものです。おばあちゃんも本や芸術が好きで、おばあちゃんの部屋には婦人雑誌や絵画についての本や小説などがたくさんありました。わたしが文学や芸術に興味を抱くようになったのは、おばあちゃんの影響もあったように思います。

「孫代表の挨拶(祖母の告別式、平成24年1月25日)」より
http://d.hatena.ne.jp/tkfms/20120125


小島信夫と庄野潤三の晩年の著作


ここで挙げている小説とは、具体的には、小島信夫の『残光』(2006)、『月光・暮坂 小島信夫後期作品集』(2006)、庄野潤三『山田さんの鈴虫』(2001)などであって、日本文壇史的には“第三の新人”と呼ばれる作家の、晩年の著作です。 正確には、

- 庄野潤三:1921-2009、満88歳没
- 小島信夫:1915-2006、満91歳没
- 私の祖母:1920-2012、満91歳没

であり、小島信夫の2006年『残光』も含めて、祖母の亡くなった年齢よりも、いくらか若い年齢で書いたものですが、80歳を超えたあたりからのディケイドというのは、本人にはどう感じられるものなのでしょうか。


庄野潤三『山田さんの鈴虫』は、『貝がらと海の音』(1996年)あたりから晩年まで書き続けられた、著者夫婦の日常を綴った小説。小さなエピソードを、日記のように綴ったもので、ほぼ年に1冊のペースで、それぞれ『庭のつるばら』『うさぎのミミリー』といったタイトルがついて長編小説として刊行されています。
小島信夫の『残光』もまた、作家そのものである語り手の日常を書いていますが、こちらの方はより縦横無尽な語り口であって、時間軸も発話者も、文章のトーンさえ不定形。小説、というより、小島作品を読み慣れていない者にとっては、“ただ惚けているだけ”と感じる人もいるかもしれません。庄野潤三の小説にしても、“ただの日記じゃない?”という人もいるでしょう。


思考の痕跡としての小説/小説は読んでいる時間のなかにしかない


たしかに『山田さんの鈴虫』や『残光』を読んでいると、庄野潤三や小島信夫があと半世紀、遅く生まれていたら、ブログで文章を書き続けているのではないか、とも思いますが、そういう仮定にはあまり意味がありません。
ただ、彼らが晩年に書いた小説には、彼らが小説家として半世紀に渡り書き続け、思考し続けてきた痕跡のようなものを感じます。
短い文章でその魅力を伝えるのは難しく、“小説は読んでいる時間のなかにしかない”という、晩年の小島信夫と交流の深かった小説家、保坂和志(1956年生まれ)がしばしば使う言葉を、ここでも使いたくなりますが、少しだけ引用します。


往来で大声で訴えなくとも、たとえば声を出さなくとも、心の中では、訴えたい気持があったことは事実である。直接に和やかに、多少妻がヘンと見えるかもしれない機会を作った。短いコースになってからでも、花の咲く時期に住宅街を歩いていると三、四人の婦人達が道路の中央で立ち話をしていた。もっと近づくと、右の一軒の二階家が夫婦ともに目についた。玄関先きからはじまって、家のぐるりがありふれた花で飾り立てられている。

小島信夫『残光』より


しかしこの程度引用してもやはりだめで、この調子で続く小説を5頁、10頁、50頁と読んで初めて、その面白さがわかるのです。そして小説は読んでいる間面白ければ、どこで読み終わってもいい。保坂和志はデビュー作『プレーンソング』で編集者に「長すぎる」と言われ、「適当なところでカットして下さい」と答えたといいます。


祖父とビルマ戦線、自室に貼られていたビルマの地図


祖母といえば私にとっては母方の祖母で、祖父といえば父方の祖父です(母方祖父と父方祖母は私の生まれる前と幼少期に亡くなっている)。
祖父は先の大戦のビルマ戦線の生き残りで、暗号兵をしていたといいます。戦後、警察官として警察署長にまでなった祖父は(私には)恐い存在で、あまりこちらから口を聞けず、話をできなかったこともあって、戦時中の話を祖父から聞いたことはありません。祖父が自費出版した、先に亡くなった祖母に捧げた自伝で読んだだけです。暗号兵というと小島信夫がそうで、『墓碑銘』『寓話』の登場人物、浜中がそうでした。


祖父の亡くなる少し前、自室にビルマの地図が貼られていたと記憶しています。ヨーロッパ戦線初期を描いた映画『ダンケルク』を昨夜劇場で観て、そのことを思い出しました。
『ダンケルク』の“無名の主人公”トミー(「トミー」とは、イギリスの兵卒を意味するスラングだそう)は、生きてイギリスへ帰還しますが、私にはあの映画は、「ダンケルクの戦い」の死者たちが、いまもあの時間のなかで生き続けているように感じられました。
生きて帰って来た祖父の戦後60年とは、どういうものだったのでしょうか。
祖父の部屋に貼られたビルマの地図の意味は。




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