ソトブログ

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映画レビュー『スウィート17モンスター』――“あの頃に戻りたい”なんて思わせない。青春映画の正しいあり方。

 

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スウィート17モンスター
原題:The Edge Of Seventeen
製作年:2016年
監督:ケリー・フレモン・クレイグ
あらすじ:
17歳の高校生、ネイディーンは妄想癖と自己嫌悪感で空回り気味のスクールライフを送っている。唯一の親友、クリスタが、イケメン・勝ち組で自身の目の敵である兄ダリアンと恋に落ちたことから、疎外感に苛まれ、ドツボにはまっていく……。

 

www.sweet17monster.com

 

あの頃に戻りたいと思わない。 

 

夜見る夢のなかでは、学生に戻っていたり、会社の同僚に今はもう会うこともない学生時代の友人たちがいたりして、それについてどう解釈するべきなのか、私にはわかりませんが、私は大人になって、「学生時代に戻りたい」と思ったことはありません。“リア充”とかそういう話ではなく、今が「あの頃思い描いた理想の自分」でもなければ、「あのときああしていれば今頃自分は――」みたいな気持ちは人並み(か、それ以上)にありますが、それでも、自我を持て余す発達途上のティーンエイジというのは、苦しいものです。

 

小学2年生、7歳の息子は、先日行われた運動会が嫌でいやで仕方がなかったようでした。しかしそれをぶっちぎって、ズル休みするようなアウトサイダーにもまだ、なれない(そういう発想はないのでしょう)。

 

父親である私に対する息子のコミュニケーションとして、彼が私を誘う“トイケン”というルーティンがあります。先日も、下記の記事で触れました。

 

sotoblog.hatenablog.com

 

私は現在単身赴任で週末だけ家族の許に帰りますが、週末の二日間のルーティンのなかに、息子との“トイケン”があります。息子に誘われる“トイケン”とは「トイレ見学会」の略。ただ息子が用を足すのを私が同室して見ているだけ(その間に私に息子が悪態を吐いたり下ネタを行ったりするだけ)なのですが、寝る前や出かける前のこのバカバカしい十数秒は、私にとっては、そしておそらく長男にとっても貴重なものなのです。

 

“トイケン”のときに息子は、しきりに、「風邪をひいて休めればいいのに」「ケガして行けなくなったらいいのに」とこぼしていました。運動会前日の夜には、風呂上がり、裸のままなかなか着替えようとしませんでした。おそらく「このまま風邪をひかないかな」という彼なりの“牛歩戦術”だったのでしょう。私も妻も、それを指摘することはしませんでした。ただ、「早く着替えなさいよ」とだけ。彼もあえて言いません。

 

運動会だろうが何だろうが、子どもにしたって「誰にとっても愉しいイベント」というものはありません。それはもう、そういうものです。ただ当日は少し気になって、応援席での息子の様子を遠巻きに探りに行ったりはしましたが(隣のクラスメイトと「指ずもう」をしたりして笑っていました)。

 

彼女自身の「今」を共有することは誰にもできない。

 

『スウィート17モンスター』の主人公、ネイディーンは妄想癖と自己評価の低さゆえに、幼い頃からなかなか友だちができません。唯一の親友が、小学生の頃から「同類相憐れむ」という感じで一心同体のように付き合ってきたクリスタですが、彼女が、ネイディーンが目の敵にしているイケメン/リア充の兄ダリアンと交際を始め、彼女との仲もこじれていきます。

 

ネイディーンにとって、身近な一番の理解者は、父でした。何かと干渉し世話を焼き小言をいう母や、天敵の兄に囲まれた家族のなかで、父親は娘の味方につき、他の家族との緩衝役になってくれます。娘を送迎する車のなかで、父親は陽気にビリー・ジョエル“You May Be Right”を歌います。

 

You may be right
I may be crazy
But it just may be a lunatic you're looking for
Turn out the light
Don't try to save me
You may be wrong for all I know
But you may be right


"You May Be Right" Lyrics by Billy Joel

 

「君は正しくて/僕はクレイジー/僕は変わり者だけど、だからこそ君が探している人かもね」という歌詞からも、父が娘に寄り添う姿勢が伺えます。ただ、(当たり前のことですが)彼はもう子どもではありません。他の誰とも同じように、ネイディーンのような孤独を彼がいつの日か味わって大人になっていたとしても、彼女自身の「今」を共有することは、決してできないのです。

 

大人たちを「わかってくれない」者としてだけ描かない。

 

その父とも数年前に死別しており、クリスタとも決別したネイディーンは、さらに負のスパイラルに突入していきます。私自身も(誰だって少なからず)経験したこのような思春期特有の息苦しさを、再び経験したくない、という意味で、私は「あの頃に戻りたい」とは思わないのですが、この『スウィート17モンスター』の特筆すべきは、主人公ネイディーンや、若者たちのリアリティを尊重しながら、周囲の大人たちを、ただ、「わかってくれない」者としてだけ描いていない。ということです。

 

身勝手に見える母親も、不干渉でやる気のなさそうな教師(ウディ・ハレルソンが好演しています)も、自身と真逆の「天敵」に見えた兄ダリアンも、一様な存在としてではなく、彼らなりのやり方で、ネイディーンを理解して、寄り添い、関わろうとします。その意味で、『スウィート17モンスター』と、奇を衒ったものに見える邦題も、大人たちがネイディーンたちに向ける眼差しを表した、的確なものだと思えます。

 

「青春映画だから」観ないのはもったいないし、ただ「青春映画」として観るのももったいない、良作。

 

スウィート17モンスター [DVD]

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スウィート17モンスター (字幕版)
 
Ost: the Edge of Seventeen

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