ソトブログ

文化系バーダー・ブログ。映画と本、野鳥/自然観察。時々ガジェット。

ソトブログ

幸せだった頃、したように――私のママ・グランデの葬儀。

 

この記事をシェアする

お題「もう一度行きたい場所」

 

f:id:tkfms:20090503152908j:plain

 

もう一度行きたい場所

 

このはてなブログでは、自己紹介めいた文章とか、作品や対象について書かない本当の雑文はいままで書いていなかったのですが、「お題スロット」というものに触発されて、少し個人的なことを書いてみます。「もう一度行きたい場所」について――。 

 

私が以前はてなダイアリーで書いていたブログはおおよそ、人に読まれること、控えめに言っても知り合い以外の人間に読まれることを、少しも考えずに書いていた独りよがりのものですが(そしてだからこそ、私自身には最高に面白く、とくに古いものは、今の私には書けそうもない文章が並んでいます)、それでもよく検索される記事がひとつだけありました。

 

d.hatena.ne.jp

 

「孫代表の挨拶(祖母の告別式、平成24年1月25日)」という題の上記リンクの記事で、これは私が実際にその日、祖母の霊前で読み上げたものでした。以下に再掲します。

 

孫代表の挨拶(祖母の告別式、平成24年1月25日)

 

 おばあちゃん、あなたが亡くなって、わたしの眼に浮かぶのは、わたしが高校を卒業するまで毎朝、家の門の前まで出て、通学するわたしを見送ってくれたおばあちゃんの姿です。おばあちゃんはわたしが角を曲がるまで、ずっとわたしの背中に手を振ってくれていました。


 わたしが小学生のとき、海外旅行から帰ってきたおばあちゃんが倒れてしまい、しばらくして家に帰ってきたとき、おばあちゃんがわたしたちの顔も名前もわからなくなっていたことがわたしにはとてもショックでした。少しずつ回復していきましたが、わたしは倒れる前のおばあちゃんに戻って欲しくて、毎日のようにおばあちゃんの部屋に行ってはおばあちゃんの肩をたたいたり、遊んでもらったりしたことを覚えています。


 毎朝、おばあちゃんがわたしを見送ってくれたのは、わたしが倒れた後のおばあちゃんに尽くしたからだ、わたしはどこかそう考えていたふしがあります。おばあちゃんが亡くなった今、そのことをわたしは恥ずかしく思います。おばあちゃんがわたしに与えてくれたのは、言葉通りの意味で「無償の愛」だったはずです。


 小学生のとき、雨のなかランドセルを忘れて学校に行ったことがありました。わたしは教室について初めてそのことに気づいて、泣きながら通学路を逆走し、ずぶ濡れになっておばあちゃんのいる家に駆け戻りました。泣きじゃくるわたしを、優しく抱き留めてくれたおばあちゃん。
 二階のおばあちゃんの部屋から見える松の木の枝にスズメが巣を作っているのを、うれしそうにわたしに教えてくれたおばあちゃん。


 こうして思い浮かぶわたしにとってのおばあちゃんの姿、その笑顔を思い出すだに、今人の親となったわたしは、おばあちゃんに教えられているように思います。人を愛するということ、どんな見返りを期待するということなく、ただ愛情を持って家族を見守るということ。


 そんなおばあちゃんの人生には様々な紆余曲折があったらしいことを、わたしは詳しくは知りません。わたしはおばあちゃんの訃報に接して、一昨日の晩、なぜか本棚からおばあちゃんと同世代の小説家たちが晩年、今のおばあちゃんと同じくらいの歳で書いた小説をいくつか取り出し、開いてみました。それらは作家の日常を描いたものです。おばあちゃんも本や芸術が好きで、おばあちゃんの部屋には婦人雑誌や絵画についての本や小説などがたくさんありました。わたしが文学や芸術に興味を抱くようになったのは、おばあちゃんの影響もあったように思います。


 しかし小説家のようにはおばあちゃんの生きた痕跡はこの世に形として残りません。それは残されたわたしたちの心のなかにだけ、あるということになります。けれども、だからこそ、おばちゃんがわたしたちに残してくれたものはかけがえがないものだと思っています。おばあちゃんの優しさ、愛情を、わたしたち自身やわたしたちの子どもたちに受け継いでいくことが、おばあちゃんがわたしたちにしてくれたことに、報いることだと思っています。どうか安らかに、いつまでもわたしたちを見守っていて下さい。


おそらく同じように祖父母の葬儀で挨拶をすることになった方々が、どのように書いたらいいのかと検索したのだと思いますが、読んでいただければわかるようにこれは私と祖母だけのとても個人的な体験に基づくもので、コピペして引用できるようなものではありません。兄弟や両親でも知らない話もあります。

 

私は通夜の式場から実家に戻った夜に、翌朝の挨拶のことを聞かされて書いたこの文章が、私自身がこれまで書いた文章のなかで一番いいものだと考えています。祖母もそう思ってくれているといいな、と思いつつ。

 

本来祖母にだけ聞かれるべき言葉を人前で読み、こういう場に一度ならず晒す私は痴れ者じゃないか、という気もしますが、今日こうして書いてみたのは、私は私自身の少年時代に戻りたいとか、もう一度青春を経験したいなどとは露ほども思いませんが、あの頃の放課後。祖母が惚けてしまったあと、二階の子ども部屋の隣にあった祖母の和室で祖母の肩を叩いていた、哀しさと愛おしさがないまぜになったあの時間、あの場所になら、もう一度行きたいと思うからです。

 

(記事タイトルは以下から引用しました。)

しあわせだったころしたように

しあわせだったころしたように

 
ママ・グランデの葬儀 (集英社文庫 40-A)

ママ・グランデの葬儀 (集英社文庫 40-A)