ソトブログ

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こんな文章が、書けたなら――。片岡義男『彼らと愉快に過ごす 僕の好きな道具について』

 

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文章を書くうえで、おおきな影響を受けた作家が何人かいます。
はじめに、高橋源一郎。小説や、文章で表現できること(してもいいんだ、ということ)の可能性の拡がりを教えてもらった。
そして、リチャード・ブローティガン。「針の穴を通して世界を見る」ような、ごくパーソナルな視点から世界のひみつを覗くような好奇心。
保坂和志。この人の思考のあり方や、それを反映した途切れなく、しかし飛躍しながら続く文章は感染力がある。

 

片岡義男による、30年早いガジェット・レビュー。

 

なかでも、「ああ、自分にも、こういう文章を書くことができたなら」と思うのは、片岡義男です。

片岡義男が雑誌『BE-PAL』に連載し、1987年に上梓した『彼らと愉快に過ごす』という単行本があります。
連載時のタイトルは「ぼくの好きな道具たち」という。写真家でもある片岡みずから撮った写真とともに、身の回りの愛用品について、短いエッセイを添えたものを、集めた本です。
30年も前の本ですが、いま、ブログには同趣旨の文章が溢れていますが(私のこれも含めて)、片岡義男のような文章は殆ど見たことがありません。

 

他のどこにもない、片岡義男の日本語。

 

百聞は、一見に如かず。少し引用してみましょう。

 

 もう何年もまえの、ある年の真夏、素晴らしい海岸と海に面した田舎町の駄菓子屋兼玩具屋さんで見つけて買ったこれを、ぼくはいまでも持っている。ぼくにとっては、大事なものだ。
 大きさは、ぼくの薬指ほどだ。先端からすこしだけ出ている鉄の棒を引っ張ると、スプリングが縮み、ボディの台座とのあいだにすきまが出来る。そのすきまに、紙火薬から一発分だけを切り取り、スプリングの力ではさみこむ。ロッドが紙火薬をきちんと正面から押さえていることを確認して、この小さな爆弾状のものを、高くほうり上げる。

 

この文章は引用のあと、一段落だけ続きます。
「ぼくはこれで遊びたい」というタイトルのこのエッセイは、香港製のホチキスについてのもの。
何が他のたくさんの、日本語で書かれた同種の文章と違うのでしょうか。
簡潔で、映像を喚起しつつ、情緒的でない文章。映画になりやすい小説や文章は山ほどありますが、それらとはまったく違う、そのままで映像作品のような文章です。あるいは、写真作品を見るときの人の視線を分解したような。
私はこうした文章が108つ並べられたこの本を読んでいると、ほとんど小説を読んでいるような気分にさえなります。こんな小説は他に読んだことがないのに。

 

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平野甲賀による美しい装丁(写真はグラシン紙がかかっています)

 

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カバーを外したところ。樹脂の繊維による編み込み、プリントではないのです!


片岡義男はここしばらくまた、若い人も含めた幅広い世代の読み手に支持されて、カルト的な支持を得ています。
わたしはかつて、いくつも角川映画で映画化されたりと、流行作家であった、80年代の片岡義男を、リアルタイムでは知りません*1。その事実は恐るべきことですが、それ以上に30年も前に、どんな製品レビューよりも的確でありつつ読むだけで背筋が伸びると同時に、リラックスすらできるような文章が、このような形式の単行本として出版されていたことの驚き。

  

 

 【当ブログの書き方、どういう記事を、どのように書くのか、という点について、(そうは見えないかも知れませんが)片岡義男の文章、とりわけ以下の記事で取り上げた『個人的な雑誌』という本に影響を受けています。】

www.sotoblog.com

 

*1:少し前まで、この時代の片岡義男は、赤い背表紙の角川文庫が、ブックオフなどでどれも1冊100円で入手することができました。しかも驚くべきことに、どれを読んでも同じように面白いのです。ここ最近の事情は、新古書店が近所にないのでわかりません。