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映画レビュー『とうもろこしの島』――静かな緊張感と、エロティシズム。

 

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 とうもろこしの島
原題:Simindis kundzuli
製作年:2014年
監督:ギオルギ・オヴァシュヴィリ
あらすじ:
1990年代初め。ジョージア最西端のアブハジアがジョージアから独立を主張、内戦が勃発した。両陣営の間のエングリ川の中州にできた島に、とうもろこし畑を耕すために老人が上陸する。孫娘とともに黙々と作業を続ける老人。両軍の兵士たちが、島の様子を横目にボートで通り過ぎて行く……。

 

ジョージア(グルジア)のアブハジア紛争を背景に。


この映画は、日本においては、同じくジョージアにおけるアブハジア紛争を題材に採った2013年の映画『みかんの丘』とともに、岩波ホール他で2016年に上映された作品です。その『みかんの丘』も少し前に観たのですが、ヘヴィなテーマながら、美しい自然や、人物たちの繊細な描写は、素晴らしいものでした。小さな国の作品ですが、「小品」というより、堂々たるエンターテイメント(というには、あまりにも苛烈な現実が背景ですが)でもありうるような映画でした。


――などといいながら、わたしはジョージアという国について、アブハジア紛争について何も知りませんでした。「グルジア」という旧国名については聞いたことがありましたが、その程度。『みかんの丘』を含めたこの2作品には、旧ソ連崩壊後のこの地域における分離独立運動であるアブハジア紛争が、ごく小さな舞台でのお話の下に、大きく横たわっています。この文章ではジョージアという国の歴史や、アブハジア紛争について詳細に論じる知識も技量もありませんので割愛しますが、これらの映画じたいの成立背景においても、おそらくこうした現実を無視して語ることはできないでしょう。しかしあえて、よりミクロな視点から、感想を書いてみます。

 

小さな中州でとうもろこしを育てる、という暮らし。

 

まずもって驚かされるのが、物語の(というにはあまりにもシンプルな筋立ての)主人公である老人が、エングリ川の中州に作るとうもろこし畑の、ささやかさ。もっとシンプルにいって、小ささ。とうもろこし畑というと、『フィールド・オブ・ドリームス』や『インターステラー』といったアメリカ映画の、広大な土地に、地平線まで続くかのような畑を想像してしまいます。舞台は1990年代初頭であって、ここでの暮らしがいかにつつましやかで、厳しいものなのかということが、これだけでわかるというものです。


しかもこの映画では、毎年川の氾濫によってできる中州に、今年もまた、アブハジア人の老いた男が小さなボートで辿り着いて――、収穫までのあいだ自分の住む小屋を作り――、土を耕し――。といった畑作り、というより老人の日々の営みぜんたいを、丁寧にていねいに、時間をかけて綴っていきます。「今年もまた」と書いたのは、ここでのゆっくりと、しかし流れるように続く描写によって、彼がこのような暮らしを何十年も同じように続けてきたのだ、ということが、観ているこちら側にも実感として伝わってくるからです。


孫娘を連れてきて、二人になっても黙々と作業を続けていきます。この映画の初めての、台詞らしいことばが少女の口から発せられるのは、映画が始まって30分近くも経ったころでしょうか。しかしこれほどまでに静かな暮らしのすぐそばでは、ジョージア側とアブハジア側の紛争が起きており、ときおり銃声が聞こえ、通り過ぎるボートの上や川向こうに、兵士の姿が見られます。

 

少女をめぐる印象的なショット。

 

映画中盤、中州のとうもろこし畑に、負傷したジョージア兵(老人たちにとっては「敵方」ということになる)が流れ着き、老人と少女が彼を介抱します。そしてその負傷兵を今度は、アブハジアの兵士たちが探しに来るが――という、一種のサスペンスとして展開していきます。そこがこの映画の、物語としてのクライマックスだと思いますが、私がむしろ印象に残ったのは、少女を捉えたいくつかの印象的な場面でした。


少女は日本でいえば中学生くらいの年齢でしょうか。老人と少女の交わす数少ない台詞から、少女が両親を失って、祖父である老人と暮らすことになったことがわかります。
少女は祖父の農作業を手伝います。長靴に水が入り、小屋の傍で片足立ちで靴をひっくり返すしぐさ。雨の作業のあと、濡れそぼった服を脱いで裸になるところを、背後から捉えたショット。看護する負傷兵に淡い好意を抱きつつ、ちょっとしたきっかけから「追いかけっこ」をするシーン。――こうした場面のいくつかで、このお話の筋立て上の要請を超えたエロティシズムがあるように、私には感じられました。


戦時下の無辜の生活者の日常をリアリズムで捉えた社会派、というような趣きにみえる映画に、一見不釣り合いのようにさえ感じられる少女への視線は、一種の戦争映画でもある本作において、「生への希求」の象徴とは言えないでしょうか。実際、私には少しアンバランスなくらいに見えたこうした描写によって、少女や、老人、そしてジョージアの負傷兵やアブハジア兵たちが、より私たちの「隣人」として、そこに生きているように感じられます。あるいは監督や作り手たちのもっと別の思惑や、映画史的な背景があることも否定はできませんが。

 

持続する緊張感と、彼らがそこに生きている感触。

 

いずれにしても、これほど静かな映画でありながら、1時間40分のこの作品は、終始、緊張感を失わないように見えました。彼らの日々の営みそのものの真剣さや、背景というよりすぐそこにある戦場、そして彼らがそこに生きているという感触――、忘れられません。『みかんの丘』も含めて、ジョージアという国の2本の作品を観たことは、素晴らしい映画体験でした。

 

みかんの丘、とうもろこしの島 映画オフィシャルサイト

http://www.mikan-toumorokoshi.info/

 

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